第8話 夢叶

 ピンポン、と玄関のベルが鳴った。こんな時間になんだろう?と思いながら出る。

「はい……」

と、恐る恐る出たらカメラの向こうには彼がいた。まさか。

「……幼稚園一緒だった、夢叶だ。久しぶりだな、乃愛。少し、近くの公園で話さないか?」


 くるくる、とさっき持ってきてくれたホットミルクティーの缶を回している私。言葉が出てこない。間が持たない。まさか、幼稚園の時に唯一仲良かった夢叶君が私に会いに来てくれるなんて。沈黙を破ったのは、彼だった。


「すまなかった」

 彼は深く頭を下げた。

「あの時。お前を置いて引っ越してからもずっと、お前の事が気になっていたんだ」

 彼は私にサヨナラも言わずに引越ししてしまった。引っ越ししてしまったのを知ったのは、先生が皆に言った時だった。

「サヨナラって、言いたくなかったんだ。父の異動だから仕方なかった。けれど、だからといって、約束を破って何も言わずに去った俺を許してくれなんて言わない。ただ、謝りたかったんだ」


 彼は悪くない。頭では分かっていた。幼稚園で他の男の子からいじめられていた時、いつも庇ってくれた。お世辞にも良い父親と言えないお父さんの話を、ただただ聞いてくれた。「ずっといっしょにいるから」と約束してくれた。そんな優しい彼に裏切られた気持ちになっていたのは、私の我儘だ。


「引っ越した後も君が忘れられなくて立ち上げたのが『夢製作所』という会社なんだ。……すまん。名前を見てもしかしてと思ったら、居ても立っても居られなくなって。つい家まで押しかけてしまった。お前が引越ししてなくて、良かった」

 彼は、私と別れた後もずっと私を思ってくれていた。「男性が怖い」と泣いていた私の為に、少しでも気持ちが安らぐようにと会社まで立ち上げて。私が「夢製作所」にアクセスするかどうかなんて分からないのに。それでも懸命に私を思ってくれていたのに。


 私はどこかで何も言わずに去ってしまった彼の事を恨んでいたのかもしれない。約束に囚われていたのではなく、私が彼を約束で捕らえてしまっていたのかもしれない。そう思ったら。


「お、おい……泣かないでくれ」

「ご、ごめんなさい。ごめんなさい……」

 貴方はいつも優しくしてくれたのに、私は恩を仇で返すしか、恨むしか出来なくて。それでも彼の事が忘れられなくて夢の中でも彼に頼ろうとしていた。


「……返事は?」

「へ?」

「夢で『ずっと一緒にいたい』って言っただろう?」

 なんでも。他のユーザーはAIがお相手するらしいけど。途中からAIの「夢叶君」の調子がおかしくなって、リアルの夢叶君自身が操っていたらしい。全部、知られてたの!?


「勝手にデーターを見て、すまない。『夢叶』にエラーが出て使えなくなって、仕方なく俺が途中から操っていたんだが……。返事がほしい」

 彼の指が私の頬に触れて、涙を拭いとってくれる。本物の彼の温もりに、私の心がぽかぽかと、まるで陽だまりにいるかのようにあたたまっていく。


「は」

「は?」

「はい……」

「!?イ、イエスって事で良いんだな!?」

 珍しく彼が取り乱し、ガタッとベンチが鳴った。


「うん……ずっと、一緒に、いて……」

 そう言って彼を見上げると、彼が嬉しそうに満面の笑みをうかべる。

「ああ。ずっと、一緒、だ」


 風が花びらを舞い上がらせる。引っ越す前。桜が好きだと話した私に「なら、桜をいっしょに見に行こう」と言ってくれた彼。その後引っ越す事になって行けずしまいだったけれど。


 今ちょうど満開の時になったピンク色の花びらが、夜闇に舞う。その一つ、一つが私達を祝福するかのように舞い踊っている。


 黒と桃色の世界の中で、私達は本当の口付けを交わすのだった……。

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