霧のなかの男(2)
どこからでも来い、そう
だがゴーシェが打ち込もうにもこの男全く隙がなかったのである。
畜生ペラペラとお喋りしてる学士風情と思っていたが、とんだ食わせ者だ。
そう思っている間にも視界を殆ど無くすほどに霧は濃さを増し、蚩尤は輪郭を消した。
――何処だ!?
ゴーシェは静かにグラムを抜いた。
しかし全くグラムは反応しない、まさか蚩尤の奴霧になっている……?
不意に背後に気配を感じた。
ようやくグラムが反応したがギリギリであった。
白刃が火花を散らすが一瞬蚩尤の方が早かった。
思わず草地に倒れ込んだゴーシェの喉元に蚩尤の剣が突き付けられる。
「勝負ありましたね」
ゴーシェは蚩尤の強さに愕然とした。
霧になる能力を使ったとはいえ、此処まで強いとは。
「嗚呼、完敗だ」
「ガッカリしないでくださいね、わたしは別格なのですから……」
「自分で言うなよ」
「でもわたしが興味があるは黄帝の台だけです」
「ときに蚩尤、お前に一夜の宿を求めても構わないのか?」
「歓迎しましょうゴーシェ、ただしむさ苦しい洞穴ですよ」
蚩尤のねぐらは黄帝の台からほど近い、本当に洞窟の中に布を敷いただけの粗末な住居であった。
「壺の中に干した肉が入ってますからご自由にどうぞ、わたしは霞を食べても生きていけますから」
そう、冗談か本気かわからないことを言って蚩尤は寝ころぶ。
途中、沢の水を飲んだきりのゴーシェどぶろくを勧めもした。
夜になった。
今まで黙っていた二人の男は語りだした。
「しかし一体何者がこのような元型の世界たる山地をわざわざ創造し、お前のような者を住まわせるに至ったのだ?」
「わかりません……」
「この山地に出口はあるのか?」
「海の側に出る洞穴があった筈です、わたしもそこから来たはずですから……」
「オレの元居た砂漠、あそこも色々おかしな点が多い、何がおかしいかはハッキリは言えないのだがな」
「何故砂漠は夜になると湖になり、同緯度のここがこんなに緑に溢れているのでしょう?」
「さあな……まだ答えは出ていない」
「貴方が目を覚ました廃屋の女主人、以前わたしが居た島にいた女王によく似ています」
「女王?」
「はい、『北風』とそのときは名乗っていましたが奇妙な女性でした」
「どう奇妙なんだ?」
「南面して易を立てるのです」
それを聞いてゴーシェは黙りこくってしまった。
翌朝、蚩尤の姿は跡形もなく消えあの黄帝の台だけがぽつねんと聳えていた。
「もう会えねえって事か……負けたのは事実だ、だがありがとうよ、蚩尤」
自分は砂漠の庵に閉じこもり何も知ろうとしてこなかった。
だが世界は考える以上に複雑で、山脈の奇怪さどころか己のいた砂漠の事さえまともに知らないことに、ゴーシェは落胆した。
そして重い足取りで下山した。
蚩尤は手合せしたが、倒すような相手でも倒せる相手でもなかった。
ではジオムバルグの言っていたメルキオル、あれはなんなのだ?
しかし都に戻る充ては無かった。
今戻ってもシグムンドに殺されるのが関の山であろう。
ゴーシェが下山すると徐々に霧は晴れアルチュールたちが野宿しているのが見えてきた。
それを視てオルランダは声を上げた。
「ゴーシェ!」
「……ああ、戻ってきたさ」
皆、様子がおかしくなって出て行ったゴーシェを心配して、次々と集まってきた。
「ゴーシェ大丈夫なのか、随分と髭が伸びているようだが?」
アルチュールが言うのも無理はない、ゴーシェの顎は無精髭が伸び放題だったからだ。
「おかしいですね? ゴーシェが居なかったのはたった一日なのに……」
ダオレは首を傾げる。
「おい、狂気の山脈の出口が判ったぞ」
だがゴーシェは構わず言葉を続けた。
「なに!? どうやって知ったのだ?」
アルチュールは訝しがったが、ゴーシェは続ける。
「海の側に出る出口がある洞穴がある。そこからしか脱出は不可能のようだ」
「むむむっ、ゴーシェさん、一体それはどの筋の情報なのです?」
セシルが質問するがゴーシェは、はぐらかした
「さあな……とりあえずその洞窟を捜すこととしよう」
「海か……今度こそポロッグではなく異民族がいる可能性があるぞ」
「その時はそのときだ……いいな?」
誰にでもなくゴーシェは同意を求めた。
「ときにゴーシェ」
「何だアルチュール」
「その妖怪退治は上手くいったのか?」
「彼は化け物ではなかった、それだけのことだ。……疲れたオレはもう休む」
「おい、こんな真昼間から……!」
「いいじゃないの、ゴーシェ、疲れてるみたいだし」
そう、オルランダは助け舟を出した。
そしてゴーシェ以外、彼が奇妙な体験をし続けていることに気付く者はなかった。
この山地が――狂気の山脈なんのために存在しているのかも……
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