隻腕と隻眼

 一方ここは都の色町、夜鷹や客引きが酔客の手を引く治安も何もない無法地帯。

 客も運に見放された自由民や文無しの奴隷や流民ばかりだ。

 其処にある一軒の薄汚れた酒場。

 扉が開くと酔客は一斉にそちらを向いた。

 男には左腕が無かった。

 生まれつきではない、ごく最近、昨日今日切り落とされたのだ。

 おまけに緑色のは右目が

 その他にも体中傷だらけだ、そう拷問の痕きずあとと言った方がいいだろう。

 服も粗末で襤褸同然だ。


 ともかく男はカウンター越しに店の主人を見遣ってこう言った。


「エールをくれないか?」


「アンタ金は持ってるのかね」


 主人は冷たく言い放ったが、男は右手で腰に付けた皮袋を漁ると数枚の銅貨ペタルを出した。

 しばらくして大きな音を立てて木のジョッキになみなみと注がれたエールが出てきた。


 男はそれをぐびぐびと煽って飲み干した。


「おい、オニイサンよ?」


 だが隻腕隻眼の男は黙ったままであった。


「なんかワケアリかい?」


「………………」


 テーブル席でカードゲームをしていた五人組連中の一人が、彼をからかった。


「腕もダメ眼もダメ、口も利けねえのかよ、ああん?」


 残された左目がその男に一瞥を呉れたが無視した。


「もう一杯エールを呉れ」


 あくまでその男を放置し、隻眼の男はもう一枚銅貨を出した。


「へ、へい……」


 隻眼の男は二つ目のジョッキを飲み干すと先ほど、からってきた男に向き直った。


「今、私は機嫌が悪い、どうなっても知らぬぞ……」


「遣ろうってのか片目片腕で!」


 男の額には何日も洗っていない頭髪が張り付いている、鬼気迫る形相だ。


「いい度胸だ、抜け」


 残った左目がぎらついている。


 右腕一本で左腰に佩いた剣を抜き放った。


「畜生! やっちまおうぜ!!」


 そのテーブルに座っていた男たちが一斉にカードを放り出して立ち上がった。

 手にはそれぞれ粗末な武器。


 だが隻腕隻眼の男の動きは凄まじかった。

 剣戟が片手というのに全く見えない、次々に断末魔が聞こえ鮮血が飛び散る。

 あっという間に四人をその剣は平らげると、言い出しっぺの男の喉元に迫った。


「た、たすけて……ください……」


 男は震えながら小便を漏らして命乞いをした。

 だが次の瞬間、あんぐりと口を開けたまま男の首が宙を舞った。

 酒場の汚れた板張りの床にどすんと目を開けたままの男頭が落ちた。


 一斉に他の客が酒を置いて、蜘蛛の子散らすように店内から逃げ出して行った。


 店の主人はそれをカウンターの奥から覗いていたが、隻腕隻眼の男はテーブルに鉄貨ザーヒルを数枚出すと、


「掃除代金だ、悪かったな」


 そう言って返り血も拭かずに店を後にした。



 当て所もなく血にまみれた悪鬼の如き男は街を彷徨する。

 誰にでも声をかける夜鷹ですら、彼には目を覆った。

 悪事千里を走る、というが酒場での蛮行は直ぐにこの城下の無法地帯に浸透していった。


 彼が一件の安宿に今晩の床を求めると、店の丁稚の小僧は震えながら隻腕の男の出した鉄貨二枚を受け取った。


 案内された簡易寝台の並ぶ部屋で、軋む安っぽいベッドに男が寝転がって考え事をしていると直ぐに先ほどの小僧が来た。


「旦那様」


「なんだ?」


 隻腕の男はぶっきらぼうに応えた。


「あの旦那様……食事はどうされますか?」


粥飯かゆで充分だ。それと酒をくれ。どうした、テメェが持ってくるのか?」


「へい、解りました。粥飯と酒ですね、……ところで女はどうしますかね、呼びますか? 夜鷹よりはいい部類の商売女なら斡旋できますよ」


「女は暫らくは見たくもない、呼ぶな」


「はい、承知で……」


 小僧は、男の機嫌を損ねたくなかったので、早々に立ち去った。

 男は汚れた毛布に包まると、無いはずの左腕が痺れるのが判った。

 またあの感覚だ、何故ないものが痛むのだ?

 未だに右目は焼けつく炎を纏っていた。

 抉りだされた眼球。

 だが現状を嘆いてばかりいても仕方あるまい? 為すべきことを男は考えねばならなかった。

 夕刻、いつの間にか眠りに落ちてしまったとしても――


 うつらうつら、かつての夢を視ていた。

 かつて枢機卿だった自分。

 信者に恩寵を与えていた自分。

 教団の上層部にまで昇りつめ、権力を欲しいままにしてた自分。


 だが全てを失い、右目と左腕も失った。

 目を覚ますと失った筈の左腕がひどく傷むのであった。

 憎い、私を陥れたあの『王討派おうとうは』が。

 自分を切り捨てたシャフトが。

 そしてボレスキン伯一味が。

 何としてでも捜しだしてみせるぞ、アルチュール・ヴラド。



 今や復讐に燃える悪鬼その人となった、かつての面影もないはこの無法地帯で虎視眈々と、牙を磨き続けていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る