死と腐敗の家

 奇妙な人間のなれの果てを見た翌朝――

 あれをオルランダやセシルに見せずに良かった、ということで三人の結論は着いていた。

 またあのが夢の中にしか存在しない生き物が姿を現さないようにと、祈るしかないのであったが……


「いつまでもここに居ても仕方ない、山の辺縁を歩いてみることとしよう。幸いここでは水にも食糧にも困らぬ故」


 そう、アルチュールが音頭を取って歩きはじめた。

 盆地は思っていたよりもはるかに広く、此処を踏破するのはかなり骨が折れそうであった。


「あー、今晩も野宿かよ。でここんな所に人が住んでいるとは考えづらいしな……」


 そう言ってゴーシェは詰まれた石に手を掛けた。


「ゴーシェそれって……」


「うわぁっ!?」


「なんだ? 石垣ではないか。ん……遠くにの影が見えるぞ!」


「アルチュールは眼がいいですね、ってヨツメウシですって?」


「ここには人がいるの?」


「どうやらそのよだな……ここはウシの放牧地のようだな。少しこの石垣で囲まれた範囲を探索してみよう」


 すると殆ど山の斜面に縋り付くようにして、山中に不釣り合いなほど立派な一軒家が佇んでいた。


「罠じゃねえのか……」


「王家も此処まで精緻な罠を張り巡らすほど暇ではないだろう、我々は色々補給もせねばならぬ。この家の主人に一夜の宿と水を乞うくらいは許されるではないのか?」


「随分変わりましたね、アルチュール」


 ダオレはちくり、と言ったが当のアルチュールは一向に気に返さな様子だった。


「でも本当に誰が住んでいるのかしら……」


 家畜は居るというのに家の外観は蔦が絡んでいる。

 オルランダは訝しがったが、尚も蔦の絡んだドアノブに手を掛けた。


「おい不用意にドアに触るな、」


 ゴーシェが注意を呼びかけたそのとき――


「誰? この家に近づく者は」


 低い、女の声がした。

 全員が一斉に振り返ると、いつの間にやら一行の後ろに背の高い赤っぽい髪の女が立っていた。

 はっきりとした目鼻立ちの美人だが、どこか秘密めいて怜悧そうな雰囲気は人を遠ざけるものだった。

 しかしながら一行はセシルを除き奇妙な既視感に襲われてもいた。

 何故か彼女とは初めて逢った気がしないのである。

 ――そう、どこかで既に出会っているような……


「あんたの家……だと?」


 やっとのことでゴーシェが女に問いただすと女は無言のまま、でゴーシェの方を見遣った。


「失礼つかまつる、私は元フォン・ボレスキン伯爵、こちらは王兄アルテラ・イーサー・ゴットフリート・デュランダー・カスパル公子。正統なる王権の後継者だ」


 そうアルチュールはゴーシェを紹介した。


「おい、オレの本名を易々とバラして大丈夫なのかよ、この女は王家側の協力者かも知れないぞ?」


 だがそれを聞いた赤毛の女はにこりともせず言った。


わたしはあの王国のことについては一切関与していません、ただあなた方が一晩の宿と補給をを望むのならばできる限りのことはしましょう」


「有り難い! マダム、してお名前は?」


、妾のことはそうお呼びしていただければ」


 ジオムバルグがドアに手を掛けると纏わりついていた蔦はひとりでに剥がれ、一件家への入り口が開かれた。

 オルランダは目を丸くした。

 一行が内部へと案内されるとその家は室内も些か奇妙であった。

 大きな本棚のある居間、そこには客人用のキルトが掛かったソファと主人の椅子が置かれていたが、その書棚の本というのはゴーシェですら読めない古文書ばかりなのであった。

 一体何が書かれているというのか。

 ジオムバルグがお茶を淹れに席を立っている間、ゴーシェはその本棚を見つめていたが押し黙ったままであった。


「ゴーシェさん。さっきから本が気になってるみたいですけど、どうしたんでしょうね?」


「セシル、あれが学士の性だ放っておけ」


 やがて女主人が盆に茶を持って戻ってきたが、色とりどりのティーカップにオルランダは我を忘れてときめいていた。


「そこの金髪のお嬢さんはやはり可愛らしいものが好きね、これらは妾が趣味で集めたものだけど、中のお茶は同じだから好きなのを選んで頂戴」


 そう言われてオルランダは一番可愛い、薔薇の花を模した桃色のカップとソーサーを選び取った。

 各々カップを受け取ると口を付けたが、それは蜂蜜入りの紅茶であった。

 殊にアルチュールとセシル以外は初めてそんなものを飲んだので、この甘くておいしい琥珀色の液体は何だろうと驚愕した。

 そして茶菓子も見た目がとても愛らしいクッキーで、甘くて少し生姜の味がするそれをオルランダは必死にぱくついた。

 一段落してようやくアルチュールがジオムバルグに質問を浴びせた。


「してマダム、どうして貴女は斯様なところで自給自足を? そして奇妙な人間のなれの果てを見ませんでしたか?」


「貴方、はおそらく『王国』の貴族ね……ひとつめの質問にはこう答えるわね、妾は『王国』とは無関係ですし、それに長く生き過ぎたわ、そして全てを知り過ぎているとも。二つ目の質問、貴方がたは『ポロッグ』と遭遇したようね……あれはまるきり無害な存在よ、あまり苛めないで頂戴」


「別にあの奇妙な夷狄に何かしたワケじゃねえが……」


 ゴーシェが答えるもジオムバルグははねのけた。


「昨晩、ポロッグの悲鳴を聞いたわ」


「それについては異論は何も申し上げますまい」


 アルチュールは彼女の前で黙ってしまった。


「ところであなた方……お名前を聞かせてくださる?」

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