嵐が丘

 その晩、の肉を使った質素な食事を振る舞われた一行は、この家の客間の暖かい布団で眠りに就いた。

 皆、この盆地に着くまでも着いてからも野宿の連続で疲れ切っていたので、この歓待は非常にありがたくすぐに眠りに落ちてしまった。


 ただ一人を除いては――


 何かがおかしい、この家も、盆地も、山脈も……!

 それを彼女、ジオムバルグになんとかして問い質さなければ成らない。

 眠れないゴーシェはベッドから抜け出すと灯りの漏れている部屋を覗き込もうとした。


「起きているのでしょう? ゴットフリト公子、入りなさい」


 不意にジオムバルグの声がしたのでゴーシェは大層驚いた。

 そこは彼女の自室のようだった。

 入ったゴーシェは後ろ手で扉を閉める。

 普段の彼なら夜中に女性の部屋に入り込むなど、罪深いことは決してしないだろう。

 だがこの晩は全てが狂っていた。


「失礼する、いくつか訊きたくてな」


わたしもいくつか貴方に教えることがあるわ、ゴットフリト」


 椅子に座っていた彼女はこちらを振り返った。

 まただ! また、あのだ、どこも見ていない眸!

 それがゴーシェを堪らなく不安で不安定にさせていることに、この女は気づいているのだろうか?


「貴方は妾と過去に逢ったことがある、そう考えているのでしょう?」


「まさしくそうだジオムバルグ、しかし一体いつだったのか思い出せないでいる……」


「……それについては貴方が見出しなさい、妾の口から言うべきことではないわ、ただ――」


「ただ?」


「わたしはとして普く存在している……そう言ったら?」


「大した誇大妄想だ!」


 ゴーシェは笑い飛ばしたが、彼女の眼は笑ってなかった。


「質問はそれだけ? 妾の口から言うことが何点かあります」


「何だ」


「まずはそのあなたの持つ、その剣は本来あなたの兄の物」


「なんだと!?」


「神話によれば神がに与えた剣がグラムよ、そしてそれは一度折られ彼の死後に打ち直される」


「………………」


「しかしその剣は今は沈黙しています、剣の声を聞く必要がある」


「剣の声だと?」


「妾がその手伝いをします、グラムを抜きなさい」


 ゴーシェは訳も解らずグラムを抜くとそれは黒ではなく白く輝いていた。


「どういう事だ!?」


 だがジオムバルグはそのグラムを一方的にゴーシェから奪い去ると、己の胸に突き立て深々と刺していった。


「お、おい何やってんだ!!?」


 その様を見て、ゴーシェの視界は真っ暗になった。

 

 目の前に剣を胸に刺した女、部屋は既に暗黒に染まりこの世の物ではなくなっていた。

 しかしいつの間にか彼女も消え失せ完全に暗黒の空間に白く光る、グラムが浮いている状態になり、ゴーシェはますます混乱した。


「剣に触れなさい……」


 ジオムバルグの声だけが耳の中で木霊した。


「グラムの刀身を握りなさい」


 言われるままゴーシェは刀身を握りしめた。

 不思議と血は出ない。


 するとおそろしいまでの圧迫感でグラムに触れた部分から『集合的無意識』がゴーシェに流れ込んできた。

 ――なんだこれは……!

 それはに生命が誕生してから現在までの全集合的無意識だった。

 その圧にゴーシェは膝を付き、遂に倒れ臥した。


 長い時間が、経ったと思う……いやそれさえもゴーシェの夢の中なのか?


 目を覚ますとそこには光しかなく、ジオムバルグが見たこともない服を着て奇妙な装置の前で立っていた。


「オレは……どうしたのだ?」


入力インプットが完了したわ。おまへはグラムに撰ばれた。そして次はこれを見なさい」


 そうして彼女は装置を仰ぎ見た。


 それには共通の中心をもつ垂直の円と水平の円がある。これは宇宙時計である。この時計は黒い鷲に支えられている。垂直の円は青い円盤になっており、白の境界線で32の区画に分割されている。円盤上では指針が回転している。水平の円は四色(小豆、オリーヴ、レモン、黒)で構成されている。こちらの円の上には振り子をもった侏儒こびとが四人いて、円の周囲には、それを取り巻くように輪が配置されている。この輪は以前は黒だったが、いまは黄金きん色である。


「これはいったい何なのだ? 一口に宇宙時計と言われても理解が追いつかない!」


「これはほんとうの時が訪れるのを報せる機構よ、今は沈黙しているけれどもが来たら動き出します」


「ではどう動くのだ?」


 ゴーシェは訊ねた?


「1 小脈動 垂直になっている青い円盤上の指針は、32分の1ずつ進む。


 2 中脈動 青い円盤上の指針が完全に一回りする。それと同時に、水平の円が32分の1だけ回転する。


 3 大脈動 中程度の脈動の32回分は黄金色の輪の1回転分に等しいわ



 この黄金の輪が一回転するときにおまへの運命も定まるでしょうね……」


 そう、ジオムバルグは説明した。


「もう一つ訊こう、この黒鷲は生きているのか?」


「勿論、触ってみなさいな」


 ゴーシェはおそるおそる、黒鷲に障ると温もりを感じ取ることができた。


「もう一度目を閉じなさい、そしてまた開いたときにあなたはグラムを使いこなせるようになっている」


「なんだって!?」


 だが命令通りにゴーシェは眼を閉じると、何かが、彼の内側へとそして外側へと、過ぎ去っていくのが感じ取れた。


「もういいわ、目を開けて。あなたの『』は過ぎ去った」


「『夜』……」


 不意に周りの光景が「剥がれ」出した。さんざめく宇宙時計も黒鷲もすべてが嘘のように、剥がれてゆく――そしてその破片は渦を巻き、深い奈落へとゴーシェを飲み込んでいった、彼は黒鷲の翼に捕まったが無駄な抵抗であった。上下すらわからぬ奈落は彼を飲み込むと元居た地平を拒絶するかのように閉ざし、すべてが暗転した。


――そこは海、浜辺……小さな入り江にゴーシェは打ち上げられていた。潮の匂い。目を覚ますと一人の少女が手を差し伸べる――


嗚呼、オルランダ!


 完全に目を覚ますとそこは元の彼女の部屋で、傷一つ負っていない普段着のジオムバルグが立っていた。


「目が覚めた? ゴットフリト……、そして最後に言うわ……、それが最後の、最悪の敵になるでしょうね」


「メルキオル?」


 そこで目が覚めた。



 朝、不思議な廃屋の客間の寝室のベッドでゴーシェは誰よりも早く、目を覚ましていた。

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