ジラルディン

『がらくたの都』を見渡す一際高い尖塔がもう何世紀も王宮に聳そびえていたが、そこに住まうのは罪人中の罪人と相場が決まっていた。


 であるからして、この塔がここまで厳重に警備されているのもさもありなんである。

 しかし塔の管理ことはアルテラ25世、アシュレイは知る由も無かった。

 むしろ罪人の管轄は傍流であるシグムンドの仕事でもあったからだ。

 死罪や拷問にすら妾腹のこの公子は関わっていた。

 だから彼がここを訪れることは自然なことであり、何らおかしなことではない。


 だが塔の螺旋階段を昇りながらシグムンドはとても機嫌が良い、鼻歌すら歌っている。

 いや、このシグムンド、唄うとなったら大変な美声の持ち主なのだが――

 ともかくここに彼が立ち入るのは初めてではない。

 可也頻繁に出入りしている様子なのだ。

 ではどんな罪人に逢いに行くというのか?

 そもそも塔の主はいったい誰であるのか?

 シグムンドは塔を昇りきる。

 ところが牢の筈の塔の頂上は豪華な王家の紋入りの扉になっており、そこに二人の兵が立っているのだが、兵は公子を見るなり一斉に敬礼した。


「ご苦労」


 シグムンドは非常な上機嫌で扉を開ける。

 するとどうだろう、塔の内部の牢は座敷に改装されどう見ても小さな男の子の部屋の様だ。


 精巧な玩具の兵隊、木馬。

 調度のどれをとっても高級品である。

 だがもっと奇妙なのは塔の主でそれは小さな男の子などではなく歳若い乙女であった。

 彼女は公子によって事前に持ち込まれた目新しい男の子用の玩具に夢中で、部屋に居るシグムンド公子には何も関心を払ってなどいなかった。



 しびれを切らしたシグムンド公子は彼女の名を呼んだがうわの空だ。


 公子を無視して左手で玩具を弄っている。


「ジラルディン!」


 シグムンド公子はもう一度、荒々しく彼女の名を呼んだ。


 ようやく乙女はこちらを振り向いた。


 長身で少年の様だがはっきり女性と判る身体つき、貴婦人にしては中途半端な長さの黒髪を赤いリボンで結い、緋色のドレスに薄く化粧した赤い眸は美しいが少々きつい印象だ。


「耳が聞こえない訳じゃない、一度呼ばれれば分かる」


 鈴の鳴る様な声で彼女は答えた。


「では一度目で返事をしてくれ給え、ジラルディン」


「失敬、今日の貴殿の贈り物が余りに素晴らしかった故」


「素晴らしい? そうだ素晴らしい贈り物だぞ、で気に入ってれたか」


「とても」


 言うが早いか彼女は再び玩具に向き直ると、せっせとそれをまた左手で弄りはじめた。


「またかね? 今度は花など持ち込んではいないだろうな」


「その通りだ俺は貴女が花を嫌いなことくらい知っている。大丈夫だ」


 そう言うとシグムンド公子は眼鏡をを直した。


「して巫子いちこのお前の眼には何が見えている? 汎神論者たちとゴットフリトの末路は?」


「彼らは狂気の山脈へ立ち入った」


 乙女――ジラルディンは冷静に事実を述べた。


「狂気の山脈とは?」


「空白地帯の北、このの最果て――もうそこに入れば戻る充てもない……」


「そうか! そうだったのか! ではもうこれ以上兵を送る必要もない!」


「……兵そうか兵を死地に送っておいて、見殺しにするのかい?」


「仕方あるまい、必要な犠牲さ」


「そうだな、お前の枕元に兵の亡霊が立つだけで私には何ら関係のないことだ、あははははははは!」


 ジラルディンは愉快そうに笑ったが、シグムンドは少しも愉快ではなかった。

 なので彼女の気を引こうと話題を変えることとした。


「ジラルディン、お前にはもっと素晴らしい贈りものもしてやれるぞ、此処から出してやろう」


「いやだ、私は此処に居たい、此処を出たら殺されるんだ!」


「俺の妻になるのだぞ? 殺されるようなことはあり得ない。なんだその、何か見えるのか?」


「違う、此処から出ないための、方便だ」


 シグムンドはいつの間にか玩具に夢中のジラルディンの背後に回り肩を抱いた。


「何故俺を拒む? さしたる理由もあるまい。子供のころあんなに好きだった狩りにだって、塔を出たら毎日連れ出してやるのに」


 ジラルディンは貪欲なその手をぴしゃりと拒み、こう言った。


「私は平素あんたの眼となって十分尽くしている、あんたの体の世話をするのは他の女の仕事だ」


「いいから聞け、ジラルディン。お前だ、お前じゃなきゃ俺の妻は務まらん。いっそこのままここで……」


 公子が彼女のドレスの裾から手を入れてきたので、ジラルディンは平手をお見舞いした。


「出ていけ! 好色なさもしい男め、二度と私の前に姿を現すな!」


「ふん、男の餓鬼が喜ぶ玩具でいくらでも機嫌を直すくせに、そんなに塔に居たいなら一生入ってろ莫迦ばか女!」


「莫迦と言った奴が莫迦なんだ、出てけったら出てけ!」



 結局のところシグムンドは彼女の左の掌の跡の残った頬を隠しつつ、塔の階段を一人で降りていた。

 眼鏡の鼻当てを直し、まだどうすればジラルディンが自分になびくか? などと無駄なことを考えながら。

 彼女以上の結婚相手はいなかったし、彼女以外とシグムンドは結婚する気も無かった。

――絶対に俺の子を産ませてやるからな!

 彼らしからぬ無駄な決心を胸に彼は塔を出て行った。

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