空白地帯

「仕方ないな……アルチュールは、あとでわたしが説得するとしよう」


 ミーファスは大きくため息を吐いた。


「で、これからどこへ行こうというのです? ぼくたちは」


「待てダオレ、半ば強引にアルチュールに連れて来られたが、オレは汎神論者はんしんろんしゃの仲間じゃねえ。王家側とオレは対立しないことも可能じゃないのか?」


 ゴーシェはミーファスに問いかけた。


「アルチュールに聞いているぞ、養父を殺した賊を追っているとな」


「それがどうした? そういえば最初近衛兵らしき連中が、地下の庵から出てきたな?」


「その凶器は乳を赤子に飲ませる狼の意匠ではないのか?」


 オリヴィエがぼそぼそと口を開く。


「――!? 知ってやがったのか!」


「その紋章は王家の傍流、シグムンド公子が使っている物。つまりお前の養父の下手人はシグムンド公子も同然だ。そして近衛兵なら彼の手足となって動くぞ」


 ミーファスはきっぱりと言い放った。


「あの野郎ども――知ってて涼しい顔してやがったのか!」


「誰だね? あの野郎ども、とは」


「アルチュールとシグムンドの二人だ! 決まってるだろ!」


「ボレスキン伯は君がそうやって暴走しないよう黙っていたのだ」


「しかし何故このタイミングで、シグムンド公子は自分が下手人と判るようにゴーシェの養父を殺しに来たのでしょう? 少々おかしくはないですか?」


 ダオレは首を傾げた。


「ゴーシェ? 君の養父の名は?」


「ボージェス!」


 ミーファスの問いにゴーシェは苛々しながら答えた。


「……知らんな。王族しかその名を知らないとなると、失われた神々の神官に繋がる者やもしれぬ。では我々に付いてくるということで相違ないか? ゴーシェにダオレ」


 二人は顔を見合わせたが、ほかに選択肢は無かった。


「都に行けば仇討ちが叶うと思ったがとんだ誤算だったぜ、まさか都から敗走するとはな!」


「付いていくのは一向に構いません、元より寄る辺なき記憶喪失者です。ですがこの先どこへ行けばいいのでしょう?」


「空白地帯」


 ミーファスは躊躇いなく言い放った。


「地図にも記されていない、王国未踏破の地――」


 オリヴィエは地図を広げるとそこを指示した。


 砂漠の北東に広がる何も描れていない、確かに空白の土地。


「未踏破って……じゃあ何がいるかもわからないじゃないですか、野生動物とか、異民族とか」


「野生動物は大いにありうるな、だが異民族とはどうだろう? アルテラ朝始まって以来一度として夷狄いてきの侵攻を受けたことはないのだ。存在しないと考えるのが自然ではないのか?」


「それより正規軍の追撃が始まるでしょう、早く空白地帯へ入った方が得策かと」


 オリヴィエもそう進言した。


「考えてる暇もなさそうだな、おそらくその案しかないだろう、ダオレはどうする?」


「ゴーシェ! 本当に大丈夫なのですか? ぼくもその案で行くしかないと思います……」


「いいだろう、あとでわたしからアルチュールには伝えておこう、それとゴーシェ」


 天幕を出ていくゴーシェの背中にミーファスは声をかけた。


「何だ」


「シグムンド公子は怜悧だ、あの娘の神の左手についても聞き及んでいるとみていいぞ、せいぜい注意しろ」


「オルランダはオレが守る」


 そう一言だけ、ゴーシェは言って、その場を出て行った。



※※※



 オルランダの寝ていたベッドは気づくとあの天幕ではなく、かつて宿屋であった燃え滓の上に帆布はんぷのかけられた、あまり快適ではない室内に移されていた。


「――ここは」


 目が慣れてくるとますます立ち込める死の臭いに、彼女はぞっとして肩を竦めた。

 部屋は一応片づけられていたが、誰かが亡くなった形跡があることは明瞭だった。

 声なき者の声を聞いてオルランダは耳を塞ぐ。


「たすけて――」


 声なき者の手が彼女へと押し寄せ思わず、叫んでいた。


水が一滴、水面を叩くとその波紋が広がってゆく。


――おとうさん!



「オルランダ! おいしっかりしろ、オルランダ!」


「!?」


 寝台を覗き込む赤い眸を見て初めてオルランダはそれがゴーシェと気づいた。


 上半身だけ起き上ると、まだ下着姿なのを意識して、オルランダはひどく恥じ入った。


「ゴーシェ……」


巫子いちこの体質、か」


「何?」


 オルランダは上半身を起こすとベッドの上で膝を抱えた。


「いや、ミーファスが以前そのようなことをお前について言っていた」


「イチコ?」


「恐らく霊媒体質とか、憑き物とかそういった意味合いだろうな」


 ゴーシェは説明するがオルランダは訳が分からないといった様子だ。


「やめて、非科学的よ」


「あんな力を使えるお前が一番非科学的だろう。随分と魘うなされていたがまたあの夢か――」


「うん、少しね……それよりここにいると得体のしれないなにかに囚われているようで……」


「怖いか?」


「ううん」


 オルランダはかぶりを振った。


「今は平気、貴方が来たから」


「オレは平気じゃない、こんなにもお前に囚われてるというのに……!」


 そう言うとゴーシェはオルランダに深く口づけた。

 オルランダはこんなにも口を貪られ、求められたのは初めてのことで酷く衝撃を受けた。

 やがて熱っぽい接吻は終わり唾液が糸を引きながら互いの口が離れると、ゴーシェは足早にこの部屋を出て行った。


 独り残されたオルランダは今さら先ほどの言葉の意味を理解すると、赤面するばかりなのであった。

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