薔薇の復讐
雀ヶ森 惠
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霧の中を一艘の小さな舟が音もなく水を割く。
広大な湖を舟は漁場を求めて進んだ。
『さ霧消ゆる湊江の 舟に白し、朝の霜。
ただ水鳥の声はして いまだ覚めず、岸の家』
やや小柄な船頭は歌う。
うつくしい声だ。
砂漠は夜になると湖になる。
生命なきものの王の国の愚か者たちは砂漠を恐れて近づかなかった
少なくとも砂漠は無と解されていたから。
だが砂漠は生命の揺り籠でもあった。
夜になると昼間蒸発していた水分が川のように砂漠へと流れ込んでくる。そして、砂漠の底で眠っていた魚たちが泳ぎだし絶好の漁場となった。
青年はいつも通り夕刻を待ち、霧を待ち舟を漕ぎ出した。
舟は海と家の間に、つまりは昼間は砂の上にせり出した桟橋へ置いていた
だがその日は全てが彼にとって変わっていたし、変わらざるを得ない日の始まりであるとは夕刻になってこそ、知る由もなかった。
霧の湖を進む。
眼下には決して昼間には見ることの出来ぬ都市の遺構があった。
『太古の昔、神々の怒りに触れ砂漠と湖の底に沈められたのよ』
そう養父に説明されてきたし、青年はそれ以上のことは何も知らなかった。
霧の湖を進む。
時々魚が跳ねた。清澄な水。
今日の釣果はいかほどか?
すでに衰弱を始めた養父と己が食べる分だけ取れれば、
青年の漁は終わりだった。
彼がいつもどおり投網を投げると何か大きなものがかかった。
宵闇の中、金色にきらきらひかる。
始めは鱗を持つ鰐わにか何かの類かと思ったのだが、それが人間の
しかも恐らくそれが女であろうことが分かると青年はひどく憤った。
水死体か? 砂漠で、ご苦労なことだ。
青年は生まれて初めて女を見たのだから。
ひどく、下品で派手な格好をしている。
更に網を引くときらきら光るのは女の髪だということが分かった。金髪というのは話には聞いていたが、見たことは無かった。
不幸にも女にはまだ息があった。
青年は見殺しにする気だったが、養父の事を考えると、女を舟に引き上げた。
恐ろしく軽い。
絡まった網を解く。
青年は仕方なく女の背を叩いた。
女は大量の水と砂を吐き出した。
こんな水死体すれすれの死にかけをどうすればいい?
養父の教えが嫌でも頭をよぎった。
青年は紫色になった女の唇に己の唇を当てると息を吹き込んだ。
女の薄い胸が上下する。
何故見殺しにできないのだろう?
もう一度湖に捨てて何食わぬ顔をするという選択肢もあったのに。
程なくして女は意識を取り戻した。
そして起き上がると、闇の中で薄茶色の眸が吃驚した様子でこちらを見ていた。
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