沖家の徒然帳

浅葱いろ

序章

始まり【沖家の徒然帳】

 2018年、秋。

 さて、今までろくに文章などを書いたことがないので、どういった始まりにしようか。悩みどころだ。


 手紙ではないから〝前略〟と始めるのはおかしい気がするし、かといって時候の挨拶から始めるのも殊更におかしい。

 僕が今これを書いているのは秋だが〝青葉も暮れ泥む夕日のごとく赤い色を帯びて、ほおを撫ぜる風も肌寒く感じる季節になりました〟と綴っても、読んでくれている人の季節が秋だとは限らないからだ。


 こうも書き出しに悩んでしまうとは、これまでの長くも短い人生で、一度でも良いからブログというものを書いておくべきだったと思う。


 今はインターネットの主要コンテンツとして、短文で投稿が出来るツイッターやフェイスブック、写真に重きを置いたインスタグラムなどのSNSが台頭しているが、僕がまだ若かった頃は、スマートフォンなんて便利なものはなく、皆パソコンで長々とした記事を書き、日記——ブログに投稿したものだ。


 周りの友人たちはみんな高い確率でブログを書いており、その頃の若者たちを代表する流行の一つでもあった。だが僕は天邪鬼な一面を持っていて、流行りに興じることを恥ずかしく思っていた。皆と同じことをしたくがないという、一種の若気の至りであったのだろう。


 ……まあ、今もツイッターやインスタグラムを使ってみればいいものを、流行りの落ち着いているブログにこうして文字を綴っている。しかもスマートフォンからではなく、デスクトップのパソコンからだ。それを今だ天邪鬼が治っていないと表せばいいのか、老人が昔を惜しんでいると表せばいいのか。理由を突き詰めるのは、どちらにしても有益ではないのでごめん被りたい。


 一つ、言い訳をするのならば、書きたいことが長くなるだろうことを見据えて、ブログというツールを選んだということだ。

 とは言っても、ただ僕の日常を書き留めるだけの雑記だ。だから、ブログタイトルはこうとする。


〝徒然帳〟


 これを読んでくれる人がどれほどいるのかは想像も付かない。偶然にも訪れた人が、面白いと思ってくれたのならばいいのだが——。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る