Bar.Friday

悠生苺瑚

第1話

「あー、つかれた」

仕事からの帰り道。思わずため息をついた。

今日は、頑張った。大きなプレゼンうまくいった。契約も取れた。よくやったよ、私。こんな日は、身体が疲労を訴えているけれど、心はすごく満たされていた。明日からも頑張ろうという、ワクワクが湧き出てくる、ある種のハイな状態だ。

こんな日は、お酒がおいしいんだよなぁ。

電車を降りた私の足は、自然と行きつけのバーに向かった。

家の近くにあるそこは、1階にイタリアンレストランが入っている建物の外階段を上がるとたどり着ける。重厚感のあるこげ茶色のドアには、『Friday』というプレートが今日もかかっていた。

そこ開けると、カウンター席と、数か所のテーブル席。10人ほどしか入ることのできない店内では、オレンジ色の照明の中、マスターがこちらを見止めた。

「いらっしゃいませ」

落ち着いた声のマスターは、私がいつも座るカウンターの端の席に案内してくれた。

「今日、多いですね」

店内のテーブル席はすべて埋まっていて、コトコトと小さな話し声が聞こえる。

カウンターも数席開けて、2人組の男性が座っていた。

「水曜日ですからね。お仕事を早く終わられた方が多いようですよ」

白髪交じりのマスターは、にこにこ話してくれた。

私はいつも通りのお酒と、軽い軽食を頼んだ。すこしだけ携帯を触って待っていると、すぐに用意されて出てくるお酒たち。

私は、今日もよく頑張ったな。と自分をほめてそれに口をつけた。

しばらくすると、店内のお客さんも入れ替わる。何回かドアが開き、テーブル席の2人組も、違う人に代わっていた。

私が次のお酒は何を頼もうか考えていた時だった。

「あのー」

控え目な声を隣からかけられた。

パッと見上げると、私の方に頭を少し下げて、隣に立っていたのはおしゃれな男の子。明らかに年下風で、髪の毛も短いけれどセットされた茶色。ピアスも開いていて、緩いセーターを着ていた。

「おれ……おれにナンパされませんか!?」

勢いよくストレートに言われた。と思った瞬間、その男の子の顔は真っ赤になった。

「いや、あの、えっと、何度かここにきていて、それで貴女も何度か見ていて。きれいな人だなって思っていて、その……」

言葉を詰まらせながら、必死に考えを真っ赤な顔で述べる彼。

なにこれ。めちゃくちゃ可愛い。すごい小動物っぽい。

「とりあえず、座る?お店の中で目立つし」

そんな必死さが可愛くて、私はとなりの席を示した。

「あ、ありがとうございます!」

彼は慌ててカウンターチェアに座ろうとして、隣の椅子に引っ掛かりながら、なんとか座った。顔が赤いのは少し落ち着いたかな。

「おれ、周防タカトっていいます。これ、名刺」

ズボンのポケットから名刺を出されたので、私は受け取ってじっくり見る。

「デザイナー」

書かれている職業名が珍しくて口に出して読んでしまった。

「はい!そうです!俺この近くでお店持ってて、ファッションデザイナーしてます」

ニコニコと話す彼。

「え、若いよね?自分のブランド?」

「若いって言っても、おれ25です」

25歳で自分のブランド持ってるって、すごいんじゃ?

いやファッション業界はあまり詳しくないから、よくわからないけれど。

「おれはたまたま運よく自分のブランド作れたんですけど、経営方面はダメダメで。一緒に働くスタッフに頼りきりなんです」

「へぇ」

自分の世界を持っている人か。すごいな。

「あの、名前、聞いてもいいですか?」

「ミカ。橘ミカ。しがないアラサーOLよ」

いくら可愛くて人畜無害そうな彼でも、さすがに名刺は怖かったので、名前だけ伝えることにした。

すると彼は嬉しそうに、私の名前をつぶやいていた。

「ミカ、さん。へへ。やっと声をかけられました」

そういえば、さっきも同じようなこと言っていたな。

「ストーカー?」

「い、いや!家を突き止めたりとかはしてないです!」

必死に否定する彼の顔はまた赤くなっている。

「その、ここに来て、今日はあなたがいるなって、思うくらいで。いつも、疲れてそうなのに、楽しそうにお酒を飲む人だなって思ってました」

楽しそうに飲んでたのか、私。

ここに来るときは、仕事がひと段落した時だから、よっぽど気が緩んでいたのだろう。

隣の顔をもう一度よく見ると、顔は相変わらず赤いけれど、かわいい顔をしていた。よく笑う人で、笑うとえくぼができる。必死に話している姿は子犬を相手にするようで本当にかわいかった。

「おれ、もうわかっていると思うんですけど、すぐ顔赤くなるんですよね。好きな人の前はもちろんなんですけど、デザイン描いてるときも集中すると赤くなるし、知らない人の前でも緊張して赤くなるし」

私はあまり顔に出ないほうだから、顔も赤くなることはあまりないけれど、ずっと赤くなるようだと大変なのかな。

「でもいまは、ミカさんに好意をこの顔で伝えられるので、赤くてよかったです」

ボフッっと飲んでいたお酒をこぼしてしまう。

「わーっ!おしぼり!」

慌てて彼がとってくれたそれで口元を拭く。

この子は、恥ずかしがり屋なのかと思えば、こういうことをさらっと言ってくるし、なんだろう。掴みどころがない。

「大丈夫、ですか?」

心配そうに私の顔を覗き込んでくる。

「うん、へいき」

目が合わせられない。目が合ったら、また何か言われそうで怖い。

口元を拭うおしぼりがなかなか手放せなかった。

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Bar.Friday 悠生苺瑚 @yuichigo

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