バレンタイン・デー1(藍の場合)

 「あー…… うー…… あー……」


――明滅するかのように、リビングのソファーの上で唸りを上げ続ける。


分厚いタオルケットに包まれた彼女は、すっぽりと頭までその姿を覆い隠していた

……今朝の朝方から、ずっとこのような調子だった。


それは、まぁ、オレとしても心苦しいというか、何というか。

初のバレンタイン・デーを“同棲”状態で迎えるのだから、何とも言い難いし、如何ともし難い。


ゾンビの断末魔のような藍の声は、そう言った非難めいたものなのだろう。


――オレに言われても困るけど。


何度となく、それを繰り返し、いい加減掛ける言葉も想いもなくなった頃に、やっとのことで藍が這いだしてきた。


「 あ ぁ 、 も う 、 い い 加 減 に し ろ ! ! 」

「 こ っ ち の 台 詞 だ よ ! ? 」


「  ど  う  し  て  こ  う  な  っ  た  !

  誰 の 所 為 だ ! ? わ た し の 所 為 か ! ! 」


「――あぁ。

  間 違 い な く お 前 の せ い だ 」


唐突にズカズカとダイニングテーブルに歩み寄り、バンと音を立てた。

そんな彼女の文句に、素直に返しておく。


塩対応にも慣れたものだ。

彼女への対応は、チョイスさえ見誤らなければ、これで相手も満足することが多い。


「この展開は考えてなかったわー……。

 ぶっちゃけ、クリスマスみたいにお客様気分で座って待ってれば良いようなイベントばっかだと思ってたわー……」

「そりゃ、大きな誤りだな」


――確かに、クリスマスはケーキを用意したのもオレだし、料理を用意したのもオレだった。

かと言って、今日この日だけは、オレがどうこうするわけにもいくまいよ。


そんな思いを込めて態度で返すと、藍は「はあぁ~~~~~ぁぁぁぁぁ」と長い息を吐いた。


あの時から、変な方向にやる気に満ちあふれている彼女のことだ。

どうにかオレを出し抜いて、この日のために手作りしようとしたのだろう。


……まぁ、藍の料理は長年の特訓でやっと、“凶器”が“危険物”に変わった程度だ。

市販品で済ませてくれるならば、こんなに有り難いことはない。


――とは、口が裂けても言えないが。


とりあえず、様子伺いをしておくか。


「……それで、今日は何なんですかね?」

「 バ レ ン タ イ ン ・ デ ー だ が ! ? 」


「 そ れ は 知 っ て る 。

 それに際して、どうしてそういう態度になっているのか、ってことだ」

「むぅ……」


――と、唸った。


贈る相手が家の中にいるのでは、手作りなどしている隙もない。

……そういうことだと思っていたが、そうでもないらしい。


「えぇい、かくまで追いつめられては致し方もない……」

「  武  士  か  よ  」


「 タ イ ミ ン グ が わ か ら な か っ た ! 」

「――タイミング? 何の?」


「 引 き 渡 す タ イ ミ ン グ だ が ! ? 」


……引き渡す、て。

言い方ァ!


まぁとりあえず、どうやら、何やらかの“プレゼント”の用意は出来ているらしい。

つまり、朝から散々迷い果てていたのは、それをどうやって渡すか、どうやって切り出すか。


そこの一点だけらしい。


――となれば、この流れを引き出した以上は悩み苦しむこともないだろう。

代わりにオレの方が戦々恐々ではあるが。


「……それで。

 一体、何を作ってきたんだ?」


「  な  ぜ  バ  レ  た  し  」

「まぁ、そうだろうと思ったからな……」


出来合いの物で満足する性質じゃない。

変な方向に頑固なのだ、彼女は。


そのことをオレはもう重々に知っている。


それを聞いて、藍は何故か満足げに自分にあてがわれた個室に向かった。

数十秒後、抱き抱えるようにして何物かを運んでくる。


100cm程はあろうかという、細長い形状の何かだ。

己でしたのだろう、手作り風のラッピングがされてはいるが、どう見てもチョコレートには見えない。


「……」

「ど、ぞ」


「――あぁ、とりあえず、ありがとう。

 開けて、見ても、良いか?」

「ど、ぞ、ど、ぞ」


了承を得た上で、おっかなびっくり、と封を外す。


――そこから現れたのは。


大凡茶色く、所々黒く、時々赤く、一部だけが小麦色。

上の方はやや太く、下の方に行くにつれて細い、そして、最後だけまた太く。


……そう言った様相の“棒”だった。


「うん…… わかった、“バット”だな、これは」


「  チ  ョ  コ  ○  ッ  ト  だ  が  !  ?  」

「 そ れ は 違 う け ど な ! ! 」


 も う い っ そ 怒 ら れ ろ 。


何故彼女のやる気は、人とは違う方向に全力なのだろうか……。


「えぇ――…… これ、中の、何?」


「 フ ラ ン ス パ ン だ が ! ? 」

「 フ ラ ン ス パ ン ――……?

 そうか、中身の部分が、フランスパンか……」


――恐らく、フランスパンとして日本人によく知られた、バゲットのことを言っているのだろう。


さすがに、コレは手作りではないはずだ。

どこかのパン屋に無理を言ってバットの形状にしてもらったのだろう。


――なんかスミマセン、ホント。


見知らぬパン屋の人々に頭を垂れる。


「――赤いのは?」


「 ジ ャ ム だ が ! ? 

 フランスパンと言えばー、ジャムだが!!」

「……そうか?」


少なくとも、色味が華やかになったのは確かだが、それ以上に見た目に与えるインパクトがすごい、すごすぎる。


 バ イ オ レ ン ス 的 な 意 味 で 。


「まぁ、茶色いのはチョコ、だよな……」


「 コ コ ア か ら 作 っ た が ! ? 」

「……  ん  ?

   ん  、  ん  ?  ?  」


―― 聞 き 間 違 い 、 か ?


“カカオから”、じゃあないよなぁ……。

ココアはチョコレートを作る際に出来るもので、ココアからチョコレートを逆生成するのは……。


――いや、不可能ではないのか?


さすがにそこまでは知らない、詳しくない。

仮に出来たとしても、そんな錬金術めいたことを藍が出来るとも思えない……。


不安が、また一つその嵩を増していく。


「――とりあえず、食べてみてくれ……。

 悪いところは、残らず、言え! 言ってくれ!」

「あぁ―― わかった……」


意を決して、それに向かう。


だが、どう食べたら良いのかわからないままのオレ。

困ったあげくに、ついこの間に終わった節分の恵方巻きなどを思い出して、バットの頭からかじり付くことにした。


「……」

「……」


「…………」

「…………」


「――  か  て  ぇ  !

 いつ作った、これ!?」


「――五日前、デス……」


――だろうな、そうだろうな。


 知 っ て た 。


店で作ってもらうようなものを、そんな長時間置いてたらそうなるよな……。


どうにかこうにか、岩のようになったバゲットの一部を食いちぎる。

――食レポにあるまじき絵面になっている気がする。


「……これはアレだな。

 ココアを濃いめに作った後、フランスパンに浸したな?」


「 ナ イ ス ア イ デ ア だ ろ ! ? 」


「とりあえず、派手に焦げてるのがなかったらな!

 パンに直接掛けるには、味も薄いし!」


一瞬にして得意げな顔がシュンと凹んでしまう。


――少し悪いな、という気もするけれど。

……だが、情けは藍のためならず、だ。


「後、言っとくけど、 “ コ コ ア ” はチョコレートの精製時に出来る物で、チョコの原材料は “ カ カ オ ” だからな!」


「  な  に  ゃ  て  !  ?  」


――あぁ、やっぱり勘違いしてたか。


逆にスゴいな、感嘆する。


「――なんか…… ゴメン……。

 せっかくのバレンタインなのに……」

「……良いよ、別に、そんなこと――」


「わたし―― 出来ると思ったんだ。

 その…… 色々、がんばった、つもりだし……。

 今日くらい! 喜んでもらえる物を、って――……」

「……」


「正直、舐めプしてた――……。

 世の女の子って、すげぇ…… 普通に生きてきて、常識的に出来るなんて思えない。

 ――ゴメン。

 やっぱり、わたしじゃない方が良かった―― と思ってる?

 っていうか、思ってくれて良いよ。

 しょうがない…… しゃーなしだ――……」


どんどん、どんどんと沈み込んでいく。


いつの間にか、立てた膝に挟み込むように、彼女の顔が消えていった。


――ったく……。


「はぁ、もう……。

 ――来年のバレンタイン・デーまでに、絶対ちゃんとした物を作れるようになってもらうからな!

 それまでずっと特訓を続けるぞ!」


「……!

 ――サー、イエッサー!!

 よろしくお願いします、教官どの!!」


そう言って、跳ねるように顔を上げた。


生き返ったような笑顔で、胸から上で敬礼のポーズを取った彼女がまぶしくて。


目を細めて、苦し紛れにもう一度かじり付いた――……。

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