第2話 九郎山の鬼
山道を歩く。季節はもう、とっぷりと秋である。紅をひいた様に染まった木々は、絶えずさらさらと茶色い葉を地面に落とし衣替えをはじめている。落ちた枯れ葉を踏むたびにぱり、ぱりと乾いた気持ちのよい音が響く。
私は秋が好きだ。
寒くもなく暑くもないという点では春と同じなのだが、春にはないどこか落ち着いた装いを感じる。獣も木々も、みな一様に落ち着きをはらっている。秋は、静けさを好む私にはまさにうってつけの季節なのだ。
「先生ぇ、待ってくださいなぁ」
「
「先生。ゆっくりお願いします」
好事家だけならまだしも五平までもがそう言うので、流石に歩みを緩めることにした。
「いやしかしな。好事家はまだ分かるが、五平さん。君はそれではいかんだろ。そんな足腰で畑が耕せるかね」
私がそう言うと五平は肩で息をしながら、きまりの悪そうな顔をした。
「いえね。先生。情けない話なんですが、最近じゃ化け物騒ぎに加えて不作続きでしょう。畑の仕事もとんとなくて。すっかり身体がなまっちゃいまして」
「そうは言ってもね。この程度で根をあげてはダメだろう」
「この程度って…」
好事家と五平が振り返ったその先には、今まで歩いてきた山道がズッと続いていた。
「先生は足腰も化け物じみてるんだから。ちったぁ遠慮してくだせえ。な、五平さん」
「へえ、まあ」
なにが、へえ、まあ、だ。失礼な連中だ。私がいなくては怖くて山も登れないくせに。
私はだんだんと、この仕事を引き受けたことを後悔し始めた。
少し休んだ後、我々はまた山道を歩き出した。
朝の早い時間に出発してもうそろそろ日も高くなってきたなと思った頃、とつぜん好事家と五平が歩みを止めた。
「ん?どうした着いたのか?」
私が好事家に問いかけると彼は懐から手ぬぐいを取り出し、静かに額の汗を拭った。景色に夢中で気がつかなかったが、二人とも物凄い量の汗を全身にびっしょりかいていた。気のせいか表情もなんだか覇気がなくなっている。
「先生、ここが山の七合目辺りでさ」
「ほう」
言われて見ればなかなかの景色である。七合目はとは言え、山あいから五平らの住む村がすっかり見渡せる。
「絶景かな」
思わず芝居のような台詞を口にしてしまった。それほどに美しい場所だった。たとえ鬼でなくとも、ここに住み着いてしまう理由も分かる。
「ここいらが鬼の棲家なのか?」
「いえ、ここからは一本道で。もう
「そうか。ならば急ごう。もう日が暮れるよ」
しかし二人は足を動かさない。
「ん?」
「先生。非常に言いづらいんですが、こっからはお一人でお願いしやす」
「なに?」
好事家は特に悪びれる様子もなく続ける。
「いえね。アタシらはあくまで道案内とただの物好きだ。先生みたいに腕に自信があるワケじゃねえんですよ」
「だからついて来れないと?」
私と好事家の会話に五平が恐る恐るという感じで入ってくる。
「すんません。お願いしてんのに押し付けて。でも、オラなんかが行って足手まといになっちゃ先生に申し訳ねえと思いまして」
「なるほど」
五平の言うことはもっともだったが、それもこれも全ては言い訳に聴こえてしまうのは何故だろうか。
「そんじゃ。アタシらはここで引き返しますんで。鬼をよろしくお願いします。帰ってきたら話を聞きに行きますんで」
「帰って来なかったらどうする?」
「それならそれで、そういう話を書くまでだ」
好事家という男は悪気があるわけではないのだが、時々無性に胸糞の悪いことを言う。
かくして二人は軽く会釈した後、足早に来た道を帰って行った。そうして私は、すっかり一人で歩きだしたのだ。
まあいい。一人の方が気楽なのだ。やれ歩くのは早いだの化け物じみてるだの言われないで済む。山々の自然は美しいし、二人の呼吸音が少ないぶん、静寂がそれを際立たせていた。
ふと、二人と別れてまだ間もないところで気配を感じた。最初はどちらかがやはり私を気の毒に思って戻ってきたのかとも思ったがどうやら違うようだった。
けもの道の脇に生い茂る草むらから、剣呑な気配を感じた。明らかな殺気だった。
「誰ぞ、いるのかい?」
私は気配に声をかける。おそらく相手は妖怪なのだが、こういう場合まず話しかけて反応が返ってくるかどうかが重要だ。話しかけて返ってこなければ、そもそも話し合いにはならないから。
「すまんが道を聞きたいんだが」
私は続けたが気配は殺気を強めただけで返事はない。どうやら話し合いはできないようだ。
しかも気配は一つではなかった。少なくとも三つ。草むらから、緑色の光りが六つ覗いていた。生臭い、なんとも言えない臭気がいつのまにか辺りに漂っている。
「どうしたものかな」
話し合いができない、相手は殺気を放っている。どうやっても、道は限られている。私は仕方なく、戦う姿勢をとろうとした。その時だった。
とつぜんに臭気が止み、剣呑な気配も全て消え失せた。後には、枯葉の漂うさらさらとした音だけが残った。
「むう…」
いったいアレらは何だったのか。もしアレらが村を襲った妖怪だったとしたら、鬼などではなくもっと低級で野蛮な妖怪に違いない。アレらは、鬼にしては弱すぎる。
しかしなんにせよ、無駄な争いが起きず助かった。いくら相手が低級な妖怪だったとしても多勢に無勢だ。こちらもただでは済まなかっただろうに。
ただ一つ解せないのは、アレらが何故とつぜん身を引いたか、だ。どう考えても寸前まで私に危害を加える気でいた。それが何故、まるで逃げるようにいなくなったのか。それが解せなかった。
だがその答えもとつぜんに、私の目の前に現れたのである。
私は最初、それを鹿か何かだと思っていた。金色に輝く長髪。堂々とした態度で道の真ん中に立ち尽くし、こちらを静かに見つめていた。両の目は体毛と同じで黄金をしており、見つめられると射抜かれたように動けなくなってしまう。何よりも、左右のこめかみから伸びる木の枝のような角が、私に凛々しい鹿の姿を連想させたのかもしれない。
だがそれは鹿ではなく、少女だった。
小柄で華奢で、粗末な着物を着ていながらも気高い雰囲気を身に纏う少女。私はソレが、この九郎山の鬼であるとひと目で理解した。
「アンタ、ひとりかえ?」
その声は絹の様に細く、とても美しい音だった。とうてい鬼とは思えない、優しい声をしていた。
「あ、ああ。ひとりだ」
私がそういうと、彼女は首を傾げてみせた。
「そうか。もう少し気配を感じたが、気のせいだったか」
おそらく鬼は先ほどの剣呑な妖怪の気配も感じ取っていたのだろう。それで奴らが逃げ出したのか。この鬼を恐れて。私はようやく合点がいった。
私はすっかりこの美しい少女に見惚れてしまい、穴が空くくらいしばらく見つめていたのだが、鬼はそんなこと気にする風もなく、ただ虚空を寂しそうに見つめていた。
その時、どういうワケか私の腹がグゥーっと鳴ってしまった。そう言えば出発してから水以外何も口にしていないのを思い出した。
鬼は私の方を見て、いきなり表情を変えた。
「アンタ、腹が減ってるのかい!?」
「え?ああ、まあ」
「そうかい!そりゃいい!」
私の答えを最後まで聞かないウチに、鬼は私の腕を引ったくって走り出した。
「ちょ、どこへ!?」
私は慌てて訊ねた。
「あん?ああ!我が家さ!」
こうして私は、図らずも鬼の棲家へ招待されることになってしまった。
風に揺れ動く金色の髪の毛から、金木犀のよい香りした。
続く
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