鬼の目にも泪

三文士

第1話 先生と好事家

時というやつはひどく不平等だと言われている。


何しろ人によって長さがまるで違うというのだ。子どもと老人では例え同じ一刻でも百と十ほど違うそうだ。待つものと待たせるものでもその尺は大きく違うらしい。


実のところ私にはそういった概念が今ひとつ理解できない。昔はなんとなく分かっていた気もするが、ここのところではすっかり分からなくなってしまった。


しかし最近になって我が家に勝手に持ち込まれた「時を計る道具」なるものが私の理解を正しく導いてくれた。


この「ボンボン時計」なる道具というものは

皿に十二支えとの文字がそれぞれ一匹ずつ、円を描くように書かれている。そこに三本の針がついており、それぞれ「長針」「短針」そして「秒針」なる名前がついているそうだ。


「長針」は一刻かけても一コマしか動かず、「短針」は一刻で干支の文字一周をする。「秒針」にいたってはもっと短い間に文字を一周をしているので、これらがひどく不平等であると一目で理解できる。時計はこれらの針を使い時を計る道具なのだそうだ。


使い方はこの際おいておくとして。何しろこの三本の針はみな同じ時を表しているというのだから、これを不平等と言わずになんとする。と私は考えた。


「長針」は怠け者で「秒針」は働き者だ。「短針」は平凡な百姓といったところか。いつの日か、長針に罰がくだればいいと思っている。


このボンボン時計なるものを日がな一日眺めたことにより私はまた一つ、世間を理解することができた。


恩着せがましい知り合いが勝手に持ち込んで閉口していた道具だったが、こういう場合もあるのかと少々その男を見直したものだった。もちろん、その旨を本人に伝えるつもりはない。その知り合いという人間は、調子に乗り易い気質なのだ。すきあらば摩訶不思議な道具だけでなく、なにかしら厄介ごとを持ち込んでくるのだ。


そういうわけで、今日も今日とて我が家の木戸を開ける音と共に件の知り合いが厄介ごとを連れてやってきた。


「まいどぉ。先生。相変わらずお暇そうで」


好事家こうずや。またお前さんか。懲りない男だね」


この男、好事家こうずやりょうという。


彼は私を「先生」と呼び、私は彼を「好事家」と呼ぶ。こちらも向こうも、本当の名ではない。


好事家は二十代の男にしては痩せ過ぎていて、頼り甲斐や屈強という言葉とは無縁なほど線が細い。そのくせかけた丸眼鏡の奥では両の眼を何か不思議はないかと猛に光らせている。学生帽をいつもかぶり黒の着物に茶の袴。中に白シャツを着込んだ流行りの書生風な格好しているが、まったく油断のできない男である。


「ご挨拶じゃないですか先生。せっかくあたしがおまんまの種を持ってきたんですよ。もうちっと感謝してもは当たらねえ」


「お飯の種だと?恩着せがましいこと言って。この間『土蜘蛛つちぐも』退治した時だって、結局お前さんが余計なこと言ったから、私が村人たちから化け物みたいな目で見られたんだろ。最後は塩まで投げつけられたんじゃないか」


「ああ。あれ。さいですなあ。アレはほら。田舎もんだったんですよ連中が」


「田舎?隣村だろうが」


「さて、どうだったかな」


こういった具合に、この好事家という男はいつも我が家に仕事と称して厄介ごとを持ち込んでくる。


「ささ。そんな昔のことはいいんでさ。今日はほれ。お客さんですよ」


そういって好事家は自分の後ろにいた人間を招き入れた。


「どうも、先生。ご無沙汰で」


「これは五平ごへいさん。久しぶりだね」


五平は私の住む家から一番近くにある村の若者で、見てくれも性格も特に特徴のないごくありふれた百姓の男だった。なぜ私が彼の名を覚えていたのかと言えば、彼が村で唯一私と口をきいてくれる奇特な人間だったからだ。


「どうだいその後。お母さんは息災かい」


「ええ。おかげさまで。同い年の年寄り連中よりもずっと元気です」


「そうかい。そりゃよかった」


「なんもかんも、先生のおかげです」


以前、彼の母親がの悪い疱瘡神ほうそうしんに取り憑かれて死にかけていたところを、はらってやったことがあった。


人に害を成し災厄を招くものを祓う。


私はこの村で妖怪退治を生業なりわいとして生きている。


時に祓い、時に殺め、時には話し合いで和解したりしつつ、妖怪と人間との間で起こるいさかいを納めてきた。とは言うものの、妖怪という奴は言葉や人間の道理が通じる相手でない場合が多い。それゆえ最後には大体殺し合いになる。妖怪の返り血を浴びながら傷だらけになって帰ってくる私を見て、たいがいの人間は怯えてしまい二度と口をきいてくれなくなる。いまこの場にいる二人はそんな化け物じみた私を恐れない数少ない人間だ。


「しかしな。お母さんが病気でないとするといったい五平さんは何を頼みに来たんだ」


「いえ、今回はあっしのことじゃねえんです」


「先生。五平さんは村の代表で来たんでさ」


「代表?」


私が怪訝な顔つきをしていると、五平はとつとつと今日来た理由を語り始めた。


なんでも、最近村の家畜がよく襲われていて作物も荒らされることが増えているそうだ。一度、村の若者が寝ずの番をしていたところ犯人を目撃したそうなのだが、どうやらそれが化け物だったというのだ。


化け物は二、三匹いて身体が大きく生臭くてどう猛だったらしい。


「目がね。光ったそうです。緑色に」


「緑…色。ねえ」


「へえ、おっかねえ。それで?その化け物を見ちまった奴になにかさわりはなかったかい?」


好事家は嬉々として紙と筆を取り出し、五平が語ることを書き留めている。奴の悪い癖だ。こういったたぐいの話に目がない。いや、聞くばかりだからないというべきか。


「別段そういうことはありませんでした。だけど、村のみんなはもっぱら山の奥に住む妖怪の仕業だと騒いでおります」


「山の奥の妖怪?そんなのいたのか?」


「先生。まがいなりにも妖怪退治の先生でしょう?いけませんぜそんなことじゃ」


「好事家。お前さんがいつもペラペラ要らんことばかり言っているから忘れちまうんだよ。いいから話せ。その山の奥の妖怪ってのはなんだ」


好事家は筆と紙を懐にしまうと、代わりに扇子を取り出すと芝居がかった喋り方で講釈を始めた。


「さて、いつの頃かは知らぬところ。南に見えますのは天高くそびえる九郎山くろうやま。名前の由来はかの名将、源九郎判官義経みなもとのくろうばんかんよしつねが最後の隠れ処にしたとかしないとか。その由緒正しき九郎山に、いつの頃かは知らぬところ、鬼が一匹住み着いたと噂でござる。身の丈はなんと六尺五寸。真っ黒な肌に出刃庖丁のごとき歯。そしてなんといっても大きな二本の角でござる。いつの頃かが知らぬところ。ひと呼んで『九郎山の鬼』でございまする」


「おお」


ぱちぱちと五平が手を叩いて好事家を褒める。この男、見ての通り身体を使った仕事はからっきしだが、口を使うことは人よりも長けている。


「鬼か。そんな大物がいたのか。今まで知らなかったな」


「そうなんですよ。鬼といっても人を喰うわけでもなく暴れるわけでない。古くから山に住み着いてるだけだったんです。これまで静かにしていたのがどうしてまた急に」


「今年は村の畑も不作で。飢えた連中が山に入ってキノコや獣をとっていたから怒ったんでしょう」


「それで村の家畜や作物に手を出した、と。まあ筋は通るな」


「しかし!困るんですよ!このままでは家畜をやられた者は冬を越せません。飢え死にする村人がたくさん出てしまう!」


いつも穏やかな五平が突然声を荒げたので私も好事家も驚いてしまった。何しろ五平という男は肝が座っているのか感情が乏しいのか知らないが、怒ることはおろか笑うことも滅多にない。その五平がこうしているのだから、よほど切迫しているのだろう。


「しかしそれは山を荒らした連中が悪いだろう。こちらも鬼も、やったことは同じなんだから五分五分だ」


「だけど向こうのが沢山持ってるじゃありませんか。同じ土地に住んでるんだ。少しくらい分けてくれてもバチは当たらねえ」


「そうは言ってもねえ。相手が鬼となると先生だって簡単じゃあねえでげしょう?」


「そうさなあ」


鬼といえばたいがいはその辺りの主だ。主を殺せば土地は荒れる。作物も獲れなくなる。そうなっては元も子もない。ま、もっとも。、の話だが。


「なんとか引き受けてくだせえ。お願いします。お礼は必ず、十分にさせていただきますから」


「うー…」


どうあっても引き受けずにはいられない状況だった。私が拒めば村人たちはまた別の祈祷師かなにかに頼むだろう。そうなれば事情を知らぬ者に何をされるか分かったものではない。


この土地はそこそこ気に入っている。水も空気もうまい。まだ手離すわけにはいかなかった。


ひとまず引き受けることを前提に、例の鬼が住んでいるという場所の近くまで三人で行くことになった。



続く

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