⑥夜の訪問者 その3

「それで、あなたは何をしにここに来たの?ここに来るまで、誰にも会わなかったの?」

とシェリルは尋ねた。

「クロウ」

と男は言った。

「僕はシェリルって呼んでいるよ。君も僕のことをクロウって呼んでよ」

シェリルは持ちうる限りの自制心を集めて、呼吸を整えた。クロウと名乗る男は、歳が近く、一見友好的に話しかけてきているから勘違いしそうになるが、決して自分と対等ではないのだ。敵は自分とはまるで勝負にならない体格をしており、剣ももっている。しかし、この調子で問答をまだまだ続けないといけないのかと思うと、心底うんざりして、よく分からない苛立ちを感じるのも確かだった。


 一方で、シェリルは男の目に自分がどう映っているのかを考えざるをえなかった。シェリルは小柄でやせた若い娘だ。少数民族の多かった修道院では少数派だったが、この国では一般的、というか人気の高い女の特徴をもっている。

つまり、白い肌に、金髪、青い目。

よく「美人だ」と言われていたが、若い女には皆大抵そういうのでその評価はあてにならない。

ただ、若い女をほめて、喜ばせて、自分の思い通りに楽しんで、飽きたらあっさりすてる。そういう出来事は、修道院に入る前にはよく見ていたし、修道院仲間からも涙ながらに体験談を聞かされたことがある。


 ふいに、自分の恰好を気にした。寝所をそのまま抜け出してきたので、簡易な寝巻のままだったのだ。

命の危険を気にしていたが、そちらの危険も気にしないといけないのか、とシェリルははたと気づいた。


 男、つまりクロウと名乗る者はニコニコしてシェリルを見ている。

鉈の柄を握る手に力をこめて、シェリルは聞き直した。

「・・・クロウ、何をしにここに来たの」

言ったあとに、クロウが浮かべた顔を見て、嫌な予感を覚えた。

「それはシェリル、君に会うためだよ」

クロウが熱っぽい口調でいうのを聞き、大声をあげたくなってきた。


 シェリルのいた修道院は少々特殊であったが、大まかな日課は大抵の修道院と同じだった。祈り、労働する。その生活に不満はなかった。ただ、どうしても苦痛に感じたのが、たまにくる司祭代理の説教だった。

「女の身に生まれたこと自体が罪であり」

「修道女はどんなに厳しい修行生活をしたところで、修道士の半分程度」

「女はすぐに沈黙の大切さを忘れて、おしゃべりをする」

・・・などと、数え上げればきりがないほど、つまらないことをいう。

その司祭代理の説教をありがたいと感じたことはなかったし、とにかく話が長くて本当に苦行だった。

こいつはいったいどういう脳みそをしているのだろう、と修道女にあるまじき考えが頭をよぎり、慌てて「主よお許しください」と打ち消したこともある。


・・・こいつはいったいどういう脳みそをしているのだろう。


シェリルはそのときと同じことを考えていた。

シェリルがこんなにたくさん会話をしたのは、この魔の森にきて以来初めてだったが、それすら気づかないほどストレスを感じていた。いつのまにか体が小刻みに震えているのに気づき、ぎゅっと手を握りしめた。


・・・落ち着くのよ、シェリル。


自分に言い聞かせ、シェリルは呼吸を整えた。

「どうして、わたしに会いにきたのかしら」

「シェリル、美しい思い人に会いたい理由がいると思う?」

「わたしはあなたのことを知らないといったわ。ねえ、こんな会話いつまで続けるの?あなた何しに来たのよ?」

「僕はいつまでも続けたいな、君とのおしゃべりができるのなら・・・でも、そうだね」

クロウはシェリルの前にひざまずいた。そして顔を上げ、シェリルの手を取っていった。

「シェリル、本当は君を迎えに来たんだよ。僕と一緒にここを出よう」


シェリルはクロウの行動や発言にあまり驚かなくなってきた。


「夜中に見知らぬ男が訪ねてきて、一緒に行こうといわれて、ついていく女がいると思う?いないわよ」


と冷静に応えることができた。


「あなたは何一つまともに私の質問に答えてないのよ。本当に何者なの?」


そういいながらクロウを見下ろし、この体勢は絶好のチャンスなのかもしれないと思った。


──このまま鉈を振りあげて、頭に振り下ろしたら……殺れる。


シェリルは鉈を握りしめて、クロウを見下ろした。クロウと視線を合わせ、見つめあったまましばらくお互いに口を利かなかった。シェリルは自分の心臓が大きな音を立てているのを感じた。


クロウはシェリルを一心に見上げていた。

緑の瞳は曇りなく、端正な顔立ちに、金の髪が縁取っている。微動だにせず、見上げるその姿は主人に忠誠を誓う騎士のようだった。

得体の知れない男だ。どこに本心があるかわからない。何者かも、まったくわかっていない。

この男が、今度こそ自分を破滅させる運命を持ってきたのかもしれないのだ。

シェリルは目を閉じた。

ここに連れてこられて、生活をして、自分はなんて幸運なんだと思った。

今まで、二回シェリルは命の危機にさらされた。しかし、運命のいたずら・・・あるいは誰かの善意や思惑のおかげでまだこうして生きている。それもただ生きつなぐだけではなく、新しい役割を与えられて、人並みの、もしかしたら人並み以上の生活が送れていた。衣食住に困らず、暴力に怯える必要もない生活は、一緒に死ぬはずだった家族や仲間たちには申し訳なかったが、それでもせっかく拾った命なので、無駄にはしたくなかったのだった。

こんな男に、今の生活を脅かされてたまるものか……


──……


手から鉈が滑り落ち、ゴトッと音をたてた。


──無理だわ……わたしにはできない……できると、思ってたのに……


信じられない思いで、落ちた鉈を見るが拾う気にはならなかった。

止めていた息を吐きだす。

なぜか急に疲れを感じてきた。

額を手で押さえた。

自分が助かるために人を殺す……そんな風に考えられるようになるなんて、かつては思いもしなかった。


「・・・クロウ、あなたが何者なのかもう聞かないわ。用事がそれだけならもう出て行ってもらえないかしら」


心の底からお願いした。


──私に害意がないようだし、この男が出て行ってから組織に報告すればいい。緑の男には文句を言わなくちゃ…。


シェリルは自分が現状を、もとい目の前の男を甘く見てしまっていることに気づかなかった。

クロウの優しそうな風貌と台詞に、勘違いしてしまっていた。目の前の男は最初から自分のペースで動き、シェリルの質問にも何一つまともに答えていなかった。これが彼の答えだったのだ。





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