52.小山内レイジの出番(第一部最終話)
二ヶ月後。
とある地方空港の一室に凪人の姿はあった。
「……やばい吐きそう」
例によって嘔吐の症状に見舞われ、口元を覆って目を閉じていた。血の気を失った顔はゾンビのようだ。
「凪人くん薬は飲みましたか?」
見かねた葉山が駆け足で近づいてくる。
「飲みました」
「用法用量を守っていますか?」
「たぶん」
「水は飲み過ぎないでください。余計に苦しくなりますから」
「はい」
「では深呼吸してください。いいですか、三秒かけて息を吸い五秒かけて吐くんですよ。その後は人を手のひらに人を三回書いて」
まるで母親のように口うるさい。心配してのことだと分かっているが自分と同じように慌てているので落ち着かない。
一方、本物の母親はと言うと。
「どうにかなるわよ。がんばれがんばれ、クロ子も応援しているわよね」
「んにゃーん」
用意された椅子に座り、ゲージから出した黒猫の前足を揺らして囃し立てている。息子の緊張などまるでお構いなしだ。
「母さん、そいつの名前クロ子で決定なのか? どうせならクロエとかおしゃれな名前のほうが」
「あらダメよ。三人で多数決をとってわたしとアリスちゃんの一票でクロ子に決まったでしょう」
母とアリスは本当に気が合うらしい。
「どうしてもと言うなら将来生まれた娘に命名しなさい。どれだけ恥ずかしいか分かるはずだから」
「娘」と言われた途端、凪人は真っ赤になって立ち上がる。
「なに結婚前提で話を進めてるんだよ。おれまだ高一だぞ、早すぎる」
「でも否定はしないのね」
「それはまぁ……な」
恥ずかしながらもそういう考えがないわけではない。
すると母はクロ子を抱きしめて「若いわねェ」と目を細めた。完全に面白がっている。
しかしお陰で緊張がやわらいだ。
「失礼します、そろそろご準備お願いします」
部屋のドアをノックしてスタッフが顔を出した。凪人は何度も深呼吸して心を落ち着ける。ポケットに隠した猫のキーホルダーを握りしめた。
さぁ行くぞ、と覚悟を決めて母親たちを振り返る。
「凪人、行ってらっしゃい」
「深呼吸ですよ深呼吸」
二人の応援にそれぞれ頷き、最後にクロ子を見た。「んにゃーん」と小さく鳴く。『ちゃっちゃと終わらせて遊ぼうぜ』そんな声が聞こえる気がした。
「小山内さん入りまーす」
照明の下に入ると待ち構えていた愛斗、監督、そしてスタッフたちの視線が一斉に集まってくる。
驚きとも戸惑いともつかない眼差しの中、凪人はひとりひとりの顔を丁寧に見つめてからスッと息を吸った。
「小山内レイジです。よろしくお願いします」
かつて一世を風靡した『黒猫探偵レイジ』の主役・小山内レイジ。
彼が出演する最後のドラマの幕がいま――あがる。
おわり
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