魔王にだって、運命を切り拓く権利がある

鏡水 敬尋

第一部

第1話 覚醒

 長い間、眠っていた気がする。


 目を開けた時、不明瞭な視界の中で、最初に捉えられたものは、薄闇に浮かぶ、小さな青白い光の点だった。


 光の点は、いくつもあり、一定の間隔を空けて、横一文字に並んでる。ぼんやりと、その光を見上げていると、光はかすかに大きくなったり、小さくなったりを繰り返している。ほのかに明滅しているようだ。


 少し経つと、その光は、青白い炎であることが分かった。


 未だ不明瞭な視界を、ゆっくり左右に動かすと、横一文字かと思われた炎の破線は、緩やかな U 字型で、端に行くほど、炎は大きくなっている。


 しばらくすると、それらは、ろうそくの炎であることが認識できた。遥か前方、苔むした石壁に、いくつもの壁掛け燭台しょくだいが並んでいる。左右の壁に沿って並ぶ炎は、こちらに近づくにつれて、遠近法で大きく見える。


 ここは、どうやら建物の中らしい。真上を見上げると、そこには真闇が広がり、天井があるのかどうかも分からなかった。


 足元へと視線を落とすと、そこには紫色の絨毯が敷かれ、自分は、赤と金で彩られた、玉座らしきものに座っていることに気づく。


 自分の手を見ると、そこにあったのは、長く鋭い爪の生えた、3本指の手が1つい。指が5本でないことに違和感を覚えつつも、神経の伝達を確かめるように、1本1本の指を屈伸させてみると、何の違和感もなく、動かすことができた。自在に動くその手は、銅色あかがねいろに光る、金属質な鱗に覆われている。


 視線を、少し前方に向けると、自分のすぐ近くに、白いローブをまとった、魔法使いのような出で立ちの老人が立っていた。老人といっても、肌は緑色で、頭の形も、人間のそれとは程遠い。後方へと長く伸びた頭には、芋虫のような段々がついており、毛髪の代わりに、短い触手のようなものがまばらに生えている。


 その顔には、左右の目に加えて、ひたいに第3の目があった。目は、3つ全てが真っ白で、黒目がなく、まるで死人のように見える。俺は、この顔色の悪い老人に、なぜか親近感を覚えた。


「魔王様の復活を、心より、お待ち申し上げておりました」


 老人の口から発せられたその言葉を合図に、老人の背後から、爆音にも似た大音声だいおんじょうとどろいた。

 目を凝らすと、老人の背後で、幾百いくひゃく幾千いくせんという異形いぎょうのもの達がひしめき合い、腕を、あるいは前脚を、あるいは突起物を高く掲げ、雄叫びを上げていた。


「魔王……?」


 思考がまとまらない中、つい、聞き慣れた単語をオウム返しした。


「はい。あなたこそ、我らが魔物の王であり、憎き勇者の宿敵。魔王様です」


 俺が、魔王? 勇者の宿敵だと?

 混乱は、未だ収まらず、先ほどから頭の中にあった疑問が口からこぼれた。


「ここは、どこだ?」

「魔王城の最奥、玉座の間でございます」


 玉座の間だと? 俺は、昨日まで、自宅で、まさにこのようなゲームをしていた気がするんだが。一体、どうなっているんだ。なぜ、俺はこんなところに居る。

 様々な疑問が、頭の中で交錯する最中さなか、老人が問う。


「あなたの名前を教えてください」


 頭の中に、昨日食べたもの浮かび、その名前が、瞬時に口をついて出た。


「フルーツグラノーラ」


 自分で言って驚いた。俺は、何を口走っているんだ。待ってくれ。これは、俺の名前じゃない。


「長すぎます。4文字以内にしてください」


 助かった。しかし、名前を聞いておいて、答えたら、4文字制限とはなかなか横暴じゃないか。じゃあ、グラノーラにするか。いや、それでも5文字だ。そもそも、俺は、フルーツグラノーラじゃない。俺の名前は……。あれ、俺の名前ってなんだっけ?


「では、略してフルグラにいたしましょう」


 待て――言いかけた俺の言葉は、虚しくかき消された。


「魔王フルグラ様の誕生だー!」

「うぉぉぉぉぉぉ」


 異形のもの達は、再び雄叫びを上げた。


「勇者を殺せ!」

「魔物の時代だ!」

「暴れるぞー!」


 まずいことに、大変盛り上がっている。

 異形の群衆は、口々に、各々の思いを吐き出しながら、騒々しく玉座の間から出ていった。


 ぐっ。駄目だ。もう訂正の機会は失われた。わずかな判断の遅れが、取り返しのつかない事態を招く。世の中とはそういうものだ。はっきりとは思い出せないが、今までにも、そんな経験をしてきた気がする。

 決まってしまったものは仕方ない。これからは、魔王フルグラとして生きていくしかあるまい。


 そして、先ほどの命名のやり取りで、分かったことがある。どうやら、ここはゲーム――おそらくは RPG の中の世界らしい。ひょっとすると、俺はまだ寝ていて、ここは夢の中なのかもしれない。


 よし。ここが夢の世界にせよ、何にせよ、せっかく魔王になれたんだ。ここはひとつ、魔王らしく、勇者を完膚なきまでに叩きのめし、この世界を、恐怖と暗黒で支配してやるとしようじゃないか。

 俺は、かたわらに佇む老人に問うた。


「あの、名前は?」


 老人は、ひざまずいて名乗った。


「大魔道ブランデンブルクと申します。お見知りおきを」

「……名前、長くない?」

「それを私に言われましても、これが私の名前なのです」


「でも、俺がフルーツグラノーラって名乗った時は、長すぎるから4文字以内にしろって言ったじゃん」

「それを私に言われましても、それがルールなのです。変えることのできない、この世界の絶対的なルールです」


 仕様、か。

 確かに、ゲームの仕様は、こいつのようなゲーム内キャラクターからしたら、犯すことのできない絶対的なルールに違いない。しかし、俺はどうなのだろう。俺は、果たして、仕様という名のことわりの内に居るのか、外に居るのか。


「フルグラ様」

「ん?」

「初めに、申し上げておきたいことがございます」


 ブランデンブルクは、俺の真正面に立ち、改まって言った。


「我々魔物は、滅びる運命にあります」


 俺は、その言葉の真意が分からず、しばし沈黙した。


「私は、今までに何人もの魔王様にお仕えしてきました。しかし、どの魔王様も、勇者に打ち勝つことはできませんでした。勇者は、倒しても倒しても蘇り、勝つまで挑んでくるのです。その所業は、ゾンビ顔負けです。察するに、我々魔物は、必ず勇者に滅ぼされるよう運命づけられており、それが絶対的なルールとして定められていると存じます」


 そう。RPG において、基本的に、勇者は魔物に、そして魔王に勝てるようになっている。時間さえかければ、誰にでも勝てる。今までに、ブランデンブルクが、どれだけ多くの魔王に仕えてきたのかは分からないが、あまりに敗北を繰り返したおかげで、すっかり絶望しているらしい。


「それで、どうするつもりなの?」

「たとえ滅びる運命にあれど、命の限りを尽くし、魔王様に仕え、この身が果てる、その最期の時まで勇者と戦います。勇者に『二度と、あいつとは戦いたくない』と言わせしめてみせましょう。なあに、この老いぼれ、ただで死にはしませんよ」


 そう言って、ブランデンブルクは、その口に笑みを浮かべた。

 悲しい。なんて悲しい決意だ。RPG の魔物どもは、こんな悲壮な思いを胸に秘めて、戦っていたのか。


「なんで、今、その話をしたの?」

「……」


「俺という新魔王が誕生して、これから盛り上がるっていうタイミングで、その、あまりにも、出鼻をくじくような話じゃない」

「一部の魔物の間では、すでに、このような諦めムードが蔓延しております。他のものの口から、フルグラ様の耳に入るくらいであれば、私からお伝えすべきだと思ったのです」


「さっき、そこに集まってた魔物達は、あれほど力強く、雄叫びをあげてたじゃん。あれは演技だったの?」

「いいえ。決して演技ではありません。ほとんどの魔物は、なんと言いますか、バカなので、何も考えていません。純粋に、フルグラ様の誕生に興奮し、心踊らせたのでしょう。しかし、一部のものは違います。フルグラ様が、我々にどのような死に場所を与えてくださるのかという、決死の思いを、雄叫びに代えていたのです」


 こいつら魔物は、自らの滅びを悟り、それを運命として受け入れているのか。しかし……。


「バカはお前だ!」

「……!」


 驚いたブランデンブルクが、見開いた白目を、俺に向けている。


「魔物は滅びる運命にあるって?」

「は、はい」


「その運命、俺が変える! 運命ってのは、自分の手で切り拓くものなんだよ!」


 言いながら、俺は、自分でも気づかない内に、右手の3本指で握りこぶしを作っていた。強く握ると、長い爪が、てのひらに刺さって痛いので、軽めに握りながら考えた。

 俺には、数多あまたの RPG を、勇者としてクリアしてきた記憶がある。つまり、何をすれば勇者が困るかも分かっている。勇者め。目に物見せてやるぞ。


「フルグラ様……!」


 ブランデンブルクが、3つの白目に、緑色の液体――涙らしい――を滲ませながら言った。


「そのようなことを言ってくださった魔王様は、フルグラ様が初めてです。今度こそ、我々魔物が勝利を収めると、信じて良いんでしょうか」

「いやでも信じるようになる。まあ、見ててよ」

「か、かしこまりました」


 感極まったように、ブランデンブルクの3つの白目から、緑の涙があふれ出た。第3の目から流れ落ちた涙は、高い鼻筋を伝って、真っ直ぐに下へと向かい、尖った鼻先から、鼻水の如く地面へと落下した。


「そんなに泣かないでよ」


 魔力が溢れ出ているのか、緑色に光る手で、涙を拭いながら、ブランデンブルクは言った。


「申し訳ありません。このように心が揺さぶられたのは、いつ以来か分かりません。年甲斐もなく、感涙してしまいました。フルグラ様とともに戦えることを、光栄に存じます」

「うん。一緒に頑張ろう」


「あの……僭越せんえつながら、フルグラ様。その、口調が、魔王様にしては少々軽いと言いますか、キャラ的に、もう少し重々しくお話しになったほうがよろしいかと存じます」


 なるほど。確かに、いつのまにか、友人に話すような口調になっていた。魔王らしく、か。


「委細承知した」

「それも、少し違う気がいたします」

「バランスが難しいな」

「とりあえず、名乗りの練習をされてはいかがでしょうか」


 俺は、二度ほど咳払いをし、喉の調子を整えてから言った。


「私は、魔王フルグラ!」

「大変、よろしいかと存じます!」


 こうして、俺の、打倒勇者の戦いが始まった。

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