第2話 ジャンマリオはじぃじになりたい


それはまだ、イレーニアが18歳の頃のことであった。


現在の姿からは想像もつかないかもしれないが――当時のイレーニアは、大人気だった。マエストリ家の管理する第36地区はカルカテルラ領の中でも一、ニを争う田舎であり、比例して彼女の地位も決して高くはなかったが、それを補って余りある魅力が彼女にはあった。華やかな容姿のみならず、その気質はもてはやされた。


その日も、カルカテルラ領主主催の晩餐会へ出席した時のことであった。立食形式で好きなものを取って食べられる、よくあるタイプのパーティーだった。共に参加した父は、別の場所で仲の良い仕事仲間と飲んでいた。


次から次へと声を掛けてくる男性を避け、イレーニアは会場隅のテーブルで、皿に盛った料理を上機嫌でつつく。


『ん…?』


その時にふと、同じテーブルに少年が来た。年は10代前半だろうか。同年代の子供達と騒ぐこともせず、彼は品良く佇んでいた。

遠くに彼の名らしきものを呼ぶ着飾った少女達が目に入り、彼も人目を忍んでここに来たのだと悟った。


そうして何ともなしに少年を見ていると、彼は皿に持った料理にほんの少し口を付けーーーカチャンとフォークを置いてしまった。そのまま手を付ける素振りもなく、机の上には何かの肉らしき固まりが寂しく残っている。


『……』


それを言いたげな表情で見ていると、少年がこちらに視線を向けた。イレーニアの顔を見て、青とも緑とも言えない瞳が、呆れたように揺れた。


『…食べたいならご自分で取ってきてください』

『は、はあ?』


彼は自分の皿を指差して、口を開く。


『物欲しそうな顔をしていらっしゃるので』

『はあ!?』


失礼なガ、と思いかけて、イレーニアは慌てて首を振った。


(ダメダメ。私は町議令嬢よ。そんなこと思っちゃダメ)


そう、この時はまだ、彼女はお嬢様らしくしようと努めていたのだ。何せ彼女のような町議令嬢達の世界は狭い。今後の婚活を考えた時に、ここで問題を起こすのだけは避けたかった。その為にこういった場では本来の野性的な性格を押し殺し、全力で猫を被ってきたのだ。そうして得た高い評価なのだ。深く深呼吸を繰り返した後に、イレーニアは言葉を選びながら言った。


『そうじゃなくて…その、あなた、自分で取ったからにはちゃんと最後まで食べるべきなんじゃない?』

『思った味と違ったんです。良いじゃないですか。まだたくさんあるんですし。そういう思想、古臭いですよ』


かちんと来た。年寄り扱いされたことにではなく、いやそれにももちろんムカついだが、何よりも食物を大切にしない彼の考え方に腹が立ったのだ。


『古いとか新しいとかじゃない!アンタが食べてるのは命なの!取ったからには最後まで美味しく頂きなさい!』


腹が立ったついでに、少しばかり大声を出してしまった。イレーニア達のテーブルに注目が集まった。少年は驚いてこちらを見つめている。

その顔に、言い過ぎたかもしれないとイレーニアが慌てて口を開く。もちろん、優しく諭そうと思ったのだ。子供の扱いが分からないばかりに、傷付けてしまった。そのつもりではなかったと、言おうとしたのだ。


『子供に何てこと言うの!』


ところが彼女の声を遮り、複数の人影が壁となって立ちはだかった。

年齢としてはイレーニアと同じか少し下ぐらいの少女達。後から、彼の取り巻きだったと知った。


『シルヴェストロ、大丈夫だった?』

『女の癖に子供に怒鳴るなんて!この人でなし!』


言われた台詞に、思わずカッとなってしまったのだ。元々イレーニアは直情型。しかも当時は今よりも、その傾向が強かった。そして何よりも、彼女自身がいちばん、子供が苦手なことを気にしていたのだ。

そうして感情の赴くまま、それはもう会場中に響き渡る大声で、そこから8年は後悔するとんでもない台詞を吐いてしまったのだ。


『人でなしで結構よ!私、子供は嫌いなの!!』


その生意気なクソガキが、カルカテルラ家嫡男であり次期領主であると知るまで、そして彼女が「子供嫌いのイレーニア」と婚活において致命的な異名を付けられてしまうまでに、そう時間は掛からなかった。






「イレーニアちゃん、気を付けてな!」

「あ、ありがとう…」


手綱を片手に手を振る農民に、イレーニアが力無く手を振り返す。最寄りの駅まで来たところで、偶然会った顔馴染みの町民に荷車の後ろに乗せて貰い、家の近くまで運んでもらったのだ。


整備されていない畦道に広がる田畑。真っ青な空は広く、背景には美しい山々が連なる。

イレーニアの実家、マエストリ地区である。


「結婚できないからって落ち込むなよ!」

「……」


失礼な物言いに無言を返す。普段ならば即座に反論するところだが、イレーニアはそれどころではなかった。代わりに、その単語に敏感に反応する。


そう、結婚。結婚である。


大いに不明、大いに理解はできないが、イレーニアは求婚されたのだ。8年前、皆の前で怒鳴り付けてしまった少年に。


そして現在、あの求婚の後、イレーニアは少しばかり激しい方法でその場から逃げ出した。そして父に頼まれた買い物をするフランカを置いて、イレーニアだけマエストリ地区の実家まで戻ってきたのである。

当然、求婚から何から全て放り投げて逃げるように帰ってきたのだ。唯一、割ってしまった窓ガラスだけは業者に化けてこっそり修繕した。


「イレーニア!帰って来たのか!」


大きな荷物を片手に裏庭の扉を開ける。彼女の姿を捉え、大男が歩いてきた。彼の足元は長靴、手にはバケツ。農作業中だったのだろう。イレーニアは顔を上げ、申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「お、お父様…。ごめん…またやらかしたかも…」

「お前がやらかすなんていつものことじゃあないか!」


ダッハッハと豪快に笑うのは、ジャンマリオ・マエストリ。イレーニアの父であり第36マエストリ地区の町議会議長である。


「大丈夫だ!別に元々僻地の貧乏町だからな!失うものなんて何もない!」


彼の二つ名は「楽天家のジャンマリオ」。この豪快さにさんざん迷惑をかけられつつも、助けられて来たのだ。

父の言葉にイレーニアはホッと息を吐き、胸を撫で下ろした。彼との会話もそこそこに、家の扉を開けた。


(まさか、あんな方法で復讐してくるだなんて…)


荷物を片付けつつ、彼女は思案を巡らせる。もちろんシルヴェストロに、本気で結婚するつもりなどないのだろう。適当なところで婚約破棄なり破談になりする予定だった筈だ。それでも人気の高いシルヴェストロが行き遅れをを選んだとなれば、当然他の町議令嬢しかりその親しかり面白くはない。イレーニアに並々ならぬ憎悪を向けてくることは間違いないのだ。


(8年前に恥をかかされた仕返しに、また凝った復讐を考えてきたわね…)


しばらくは「年下狩りのイレーニア」なんて、また不名誉極まりない渾名で呼ばれるのだろう。


(もともと行き遅れだとか失礼な名前だったし…それぐらいなら別に構やしないわ)


「あら?」


そこまで考えたところで、机の上に置かれた瓶に気が付いた。目の前に翳すと中身が陽を浴びて琥珀色に輝く。

ジャンマリオの本職は町議会議長と酪農家だが、町の困り事を解決するいわゆる何でも屋のようなこともしている。そんな彼の元には、常にお礼だとかお裾分けのようなものが届く。この色は近所のヴァーギさんのところの蜂蜜ね、なんて思いながら瓶を回したところで、その飴色に人の顔が映った。


「キッギャアアアアッ!!」


イレーニアが盛大な悲鳴を上げてひっくり返った。瓶だけは割らないよう、両手で抱えて何とか守る。


「っ!?」


そうして床に座り込んだまま、呆然と口を開いた。


「っ、な、なんで、ここに…!」


イレーニアが幽霊でも目にしたかのように真っ青になる。それもその筈。目の前に佇むのは、絶対にここには居ない人物、シルヴェストロ・カルカテルラだったからだ。


「…失礼ですね。鍵が開いてましたよ」


シルヴェストロの薄紫の髪が揺れる。見れば窓の外、表玄関には立派な馬車と御者。裏口から入ったので気が付かなかった。そしてそりゃあこんな田舎である。鍵など掛ける方が珍しいのだ。


(いや、そ、そうじゃなくて)


「な、何しに、来たの…!?」


腰が抜けてしまい、座り込んだままイレーニアが震える口を開く。翠玉のような瞳がこちらを捉え、シルヴェストロが片膝をついた。ぐいと迫ってくる。


「心配したのですよ」

「え」

「まさか人の求婚に対する答えが、窓を突き破ってまで逃げ出すことだとは思いませんでした」

「あ、あの時は動揺して…」


イレーニアが一生懸命目を逸らす。逃げようと身を捩るが、伸びてきた腕がそれを阻んだ。


「ヒィ」

「お陰で俺は、求婚した女性に逃げられた事故物件です。しかも窓。勝手に直されましたよね?」

「ば、バレた…」

「前より立て付けが良くなったと評判です」

「そ、そう…?それは良かった…」


(相変わらず嫌味なクソガキ…)


必死に逃げ場を探しながらも、心の内でこっそり毒を吐くのは忘れない。姿形はそれなりに変わったが、シルヴェストロのこの嫌味な話し方や人を煽るような性格は変わってないらしい。


「そりゃあイレーニアには俺の持ち得る技術の半分は教えてあるからな!」


そうして悪口を思っていると、ふたりの上に声が落ちてきた。顔を上げればイレーニアと同じ燃えるような赤毛に赤瞳。ジャンマリオである。彼は胸を張って続けた。


「窓のひとつやふたつ直せるに決まってる!」


ジャンマリオは何でも屋。さらにはこの古いだけで整備に手間の掛かる屋敷を管理するにあたって、その娘であるイレーニアも、お嬢様らしからぬ技術を習得していた。

突然の来訪者にもジャンマリオは豪快に笑って口を開く。


「カルカテルラのとこの長男坊だろう!すっかり大きくなったなあ!こんなところまで来て、今日はどうした?」


太い腕が伸びてきて、床に座ったままだったふたりを立たせる。簡単な挨拶をした後、シルヴェストロは優雅に微笑んだ。そうしてまたも、驚くべきことを言ったのだ。


「お嬢様を、カルカテルラ家の嫁として頂きに参りました」

「は…!?」


イレーニアが上から下まで真っ青になる。ジャンマリオは目を丸くさせて、シルヴェストロと娘を見比べた。


「ほお…」


父と視線が合い、彼女はぶんぶんと首を振る。何せイレーニアには見える。いちばん上で死刑執行の行われる13段の階段が、目の前に見える。


(8年前の恨みでここまでするなんて…!)


何が琴線に触れたのか、彼女は知りもしないが、この状況はまずい。非常にまずい。一度はイレーニアの窓破りにより無かったことにされた求婚。まさかあれが本気だったとは。

そしてイレーニアは悟った。


(この男…復讐の為に結婚するつもりだ…!)


イレーニアに恥をかかされたと恨みこそすれ、好意を抱くなんて有り得ない話なのだ。そして女など選び放題の筈の彼が、わざわざ結婚と言う手まで使って復讐しに来た。その事実に、彼の異常とも言える執着心と憎悪の度合いを悟る。


他の町議家からの嫌がらせ程度では生ぬるい。シルヴェストロは、自らの手で復讐することを選んだのだ。


そして相手は次期領主。こんな辺鄙な地区の町議娘が嫁に行くのはそうあることではない。そしてイレーニアを差し出せば、自町に対して様々な優遇も受けられることもまた事実。普通ならば、ジャンマリオが断る筈がない話だった。


けれど、当の町議会議長は顎に手を当て、拒否の言葉を口にした。


「ふむ…。うちの行き遅れを貰ってくれるとはこれ以上無いほどありがたい申し出だが…断らせてもらおう」

「……」

「俺の連れが残した大事な娘だ。イレーニアが望んでいない結婚を、俺が許可するわけにはいかん」


(お、お父様…)


イレーニアの心がじいんと震える。彼が楽天家過ぎるあまり冬の極寒の中一晩を過ごすことになったり、農具で指を切断しかけたり、借金地獄に陥りそうになったり、殺意を覚えたことも多々あったが、大事なところで娘を守ろうとしてくれる人だった――そう感動を覚えていると、シルヴェストロがひとつ瞬いた。


「そうですか…残念です。俺ならば、年に5回以上の里帰りと2年に1度の旅行、またジャンマリオ様にはいつでもお好きな時にこちらにお越し頂いても良いとお約束できたのに…」

「…ん?」

「帰省と旅行の際にはイレーニア様はもちろん、将来生まれるかもしれない子供達も連れて来る予定でした」


(は…?)


イレーニアが頭上に疑問符を浮かべる。なんだかやけに具体的な案が出てきた。黙ってしまったジャンマリオを前に、シルヴェストロはにこやかに続ける。


「参考までに…お孫さんに呼ばれるなら、おじいちゃんとじぃじ、どっちの呼び方が良いですか?」

「うちの不束な娘をどうぞよろしくお願いします」


一瞬、沈黙が訪れた。


「えっ…は、はあっ!?」


流れるように手続きへ進もうとするふたりを前に、イレーニアが我に返る。大慌てで父の胸ぐらを掴んだ。


「なっなに考えてるのよ!」

「すまん。イレーニア」

「ふ、ふざけんな!!さっきまで良い話だったじゃない!なんで急に心変わりしたの!」


そのままイレーニアに激しく揺さぶられようとも、ジャンマリオの意志は変わらない。


ジャンマリオ・マエストリ。御歳54歳。カルカテルラ領第36マエストリ地区、町議会議長としてその任を全うする硬骨漢である。

そして行き遅れだろうが子供嫌いだろうが、彼にとって、イレーニアは可愛い可愛い一人娘だった。


「けど…俺の年代になるとな、これでもかってぐらい孫自慢を聞くんだ!俺は羨ましくて羨ましくて!」

「だ、だからって娘を差し出そうとするな!」

「マエストリ家には代々伝わる伝説があってだな…。娘と同じ名を付けた飼い牛が身籠る時、その娘も妊娠すると…。なのに…いくら試しても、お前の名を付けた牛だけ何故か絶対に妊娠しないんだ…」

「むっ娘と家畜を一緒にするんじゃない!あと何勝手に恐ろしいことしてるのよ!」


「楽天家のジャンマリオ」。けれどそんな彼の性質を持ってしても、抑えられない欲求は存在した。またの名を「じぃじになりたいジャンマリオ」。


彼は、孫におじいちゃんと呼ばれたかった。


「最後のチャンスだ!行ってこいイレーニア!身籠れたら最悪帰ってきても良い!身籠るまでは帰ってくるな!」

「さ、最低!この人でなしぃ!」


未だ見ぬ孫に目が眩んだジャンマリオは止まらない。シルヴェストロが差し出した書類に片手で素早くサインをする。そしてそれはイレーニアが回収する前に、婚約者の手元へと吸い込まれた。


「どうぞ、よろしくお願いしますね」

「っ…!」


その悪魔のような微笑みを前に、彼女は固まる。こうして「行き遅れのイレーニア」は、なかなかに最悪な結婚生活の始まりを迎えたのだ。

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