子供嫌いの町議令嬢はやっぱり子供が苦手

エノコモモ

本編

第1話 子供嫌いのイレーニア


カルカテルラ領第36マエストリ地区、町議会議長が娘、イレーニア・マエストリには多数の二つ名が存在する。それは「怒りんぼのイレーニア」や「野生味溢れるイレーニア」など彼女の性質を表すものから、「行き遅れのイレーニア」などちっとも有り難くないものまで多岐に渡る。

そしてその異名の中でも、迷惑極まりないものがひとつ。


「どうせ私は、『子供嫌いのイレーニア』よ!」


そう自身の渾名を叫びながら、イレーニアは机にごっちんと額をぶつけた。息を呑むほど鮮やかな紅色が上下に動く。

そのまま突っ伏した状態で唸っていると、大きく筋肉質な手のひらが彼女の頭を包んだ。


「はいはい。動かないでね」

「ギャッ!」


問答無用で頭の位置を直され、イレーニアの首の辺りがぐきりと鳴る。正面の鏡に、不機嫌そうな赤い瞳が映った。そんな彼女の膨らんだ頬を横から押して、背後でメイド服を着た男性が満面の笑顔を浮かべた。


「ほらそんな顔してないで、笑ってちょうだい。可愛い顔が台無しよお」


イレーニアの側仕えのフランカである。愛らしい名前に反して見た目はかなり厳つい筋肉男であるものの、その美意識の高さは折り紙つき。胸筋に下から盛り上げられてムチムチのエプロンを揺らしながら、イレーニアの髪を梳かす。


「久々の社交界だもの。旦那様から今まででいちばん綺麗に仕上げて送り出せって申し付けられているのよお」


事実、イレーニアの艶やかな肌を煌めかせるのは真珠の混じった白粉。フランカの私物である。そして母親のお下がりの中から一等高価なドレスを身に纏い、大きな宝石の付いた髪飾りは2軒隣のアッバティーニ夫人から拝借した一級品。


「何が社交界よ。金持ち領主坊っちゃんの成人記念パーティーじゃない」

「けど、イレーニア様みたいなお嬢様は、こういうところで結婚相手を見つけるんでしょう?」

「……」


彼女はむっと口を尖らせる。その理由は、結局自分を飾るもの全ては借り物じゃねーかと言う不満ではない。初っぱなから衝撃的な見た目の男性が出てきた件でもない。町議令嬢と肩書きは非常に立派だが、実情はギリギリ村ではない辺境ド田舎町の貧乏令嬢なのだ。父の本業も酪農家であり、家計が苦しいことなど百も承知。借り物だろうが侍女が男だろうが、気にしてはいられないのである。


では何故不機嫌なのかと問われれば、その理由はただひとつ。


「どんだけめかしこんだって無駄よ無駄!私が呼ばれた理由なんて、絶対に嫌がらせに決まってるんだから…!」


イレーニアが唇を噛む。形の良い眉が寄り、髪と同じく深紅の瞳は憂慮に翳る。


そう。残酷なことに、どんなに美人でもどんなに稼ごうとも、イレーニアは26歳。20歳が女性の結婚適齢期にあたるこの国で、イレーニアは立派な――行き遅れだった。


「そもそも、女は結婚して然るべきとか子供を持てとか、古いったらないのよ。別に私だってお父様の農作業は手伝ってるし、修理の依頼を受けたりしてるんだから!」

「イレーニア様だって結婚したくない訳じゃないんでしょ?昔は恋愛物語とか大好きだったじゃない」

「あ、あれは昔の話!今はそんな幻想抱いてないの!大体…私に近寄ってくる男なんていないし」


そう不満を漏らす彼女だが、決して最初から婚活難民だった訳ではない。むしろイレーニアは評判のご令嬢だった。読書家で働き者、器量よし。将来を期待されたお嬢様だったのだ。


だがしかし最悪の問題は、「子供嫌いのイレーニア」との異名が広く伝わってしまったことにある。


「子供はあんまりってちゃんと柔らかく伝えてるのに、人でなしでも見るような目を向けてくるのは何なのよアレ…!」

「まあそりゃあ…子供嫌いなんて言ったら、普通は鬼畜生の類いよお。あんなに愛らしい存在なのにねえ」

「だって仕方ないじゃない!こっちは兄弟も居ないし親戚にも子供なんていないんだから、ガキの扱いなんて分かんないのよ!町は田舎すぎて老人ばっかりだし!」


カルカテルラ領で女性の結婚適齢期が早い理由は、子供を生む為だ。嫁入り後には仕事を辞め家庭に入る習慣の根強いこの地域で、嫁が子供嫌いなど、あってはならないことなのである。

そしてそんなあってはならないお嬢様は、お嬢様らしからぬ目付きで目の前の鏡を睨む。


「どいつもこいつも女なら子供が好きな筈だって決めつけてこんの…!私だって子供好きな女に生まれたかったわよ…!赤ちゃん見たらワーカワイイイイイイって叫んで近付ける女になりたかったわ…!」


赤ん坊を前にすれば「お、おう…」と今時男性でもしない反応をしてしまうイレーニアにとって、その理想は程遠い。ぎりぎり奥歯を噛み締める主人をよそに、フランカは作ったばかりの髪型を眺める。乱れがないことやお団子の角度を確認してから、そのてっぺんに何でも恋にご利益のあると噂のアッバティーニ夫人の髪飾りを置いて、のんきに微笑んだ。


「いってらっしゃい。結婚相手、見つかると良いわねえ」






カルカテルラ領第1カルカテルラ地区。パーティーと言えばボロボロの公民館で催される各自持ち寄りの飲み会であるイレーニアの実家と違い、領主のお膝元であるこの場所にはそれはもう豪華絢爛な迎賓館が存在する。きらびやかな内装の下、華やかな衣装に身を包んだご令嬢達の、ご機嫌ようとの畏まったご挨拶があちこちから響き渡る。


「……」


第36マエストリ地区代表として最低限の挨拶を終えたイレーニアは、会場の隅に居た。文句の付けようがなく美味しい料理をむしゃむしゃしつつ、辺りをじろりと睨む。彼女の一等目を引く鮮やかな毛色に反応した輩が、口許を隠しながら囁き合った。


「まあ子供嫌いのイレーニアよ。恐ろしい…」

「行き遅れが何しに来たのかしらね」

「タダ飯にありつきに来たんじゃない?」


そうして聞こえるように声と嘲笑を漏らす。若くて可愛い彼女達のそれを浴びながら、イレーニアはごくんと口の中にあった肉を飲み込んだ。


(小娘が…)


昔は気にしたものだが、何せ彼女が行き遅れなどと評され始めて既に3年が経つ。もうこのような陰口には慣れたものなのだ。

そしてまともに相手をしたところで、彼女達の耳には都合の良い事実しか入らないことはよくよく把握している。


「バウッ!!」

「っ!?」


獣害対策に最適と評判の鳴き真似で威嚇すると、彼女達は慌てて逃げて行った。そして新しくワインを手に取り、イレーニアは思案を巡らせる。


(どうせ子供嫌いなんだもの…なら別に子供を生む必要も、結婚する必要もないのでは…?)


彼女の思想が、新しい境地へ辿り着こうとする。終わりの見えない婚活に、イレーニアは既に疲れていた。


(これでもう最後にしましょう…。私…ひとりで生きるわ…)


そもそも、行き遅れである自分が今後、こういった場に未婚の若い女性として呼ばれることはないだろう。今回のことだって奇跡だったのだ。そうして幸せな結論を導き出しウンウン頷く彼女の耳に、ざわめきが飛び込んできた。


「っ…!」


そちらに視線を移し、思わず息を呑む。彼女の目線の先には、今回の主役の姿。そう、今日はカルカテルラ領領主、その一人息子の成人記念パーティーなのだ。


(し、シルヴェ、ストロ…)


辺りの女性達から感嘆の声が上がるのも道理である。すらりと伸びた背、長めの髪は柔らかな藤色。顔立ちも非常に整っており、まさに美形と呼ぶに相応しい。宝石のような青緑の瞳は揺れる度に、周りからはほうと息が漏れる。


(こ、こっちに来る…!)


そしてそんな誰もが近付きたがる美男を前に、イレーニアは慌てて背を向けた。庭に出ようと窓にしがみつくが、がっちり錠の掛けられた窓は開けられない。背中越しに足音とざわめきが近付いていることが分かり、イレーニアの背中を冷や汗が伝う。


(くっ!こうなったら、)


「イレーニア・マエストリ」


彼女が窓を突き破り脱出しようと顔の前で腕を掲げたところで、名前が呼ばれた。


「……」

「……」


(終わった…)


イレーニアが腕を下げ、振り返る。その顔はこの世の終わりでも目にしたかの如く真っ青だ。辺りを更なるざわめきが走り、イレーニアに注目が集まる。


「やっぱり、これが目的だったのね…」


ぽつりと呟くと、目の前の青年が肯定するように微笑んだ。


「ええ。復讐を果たしにきたのです」

「……」


そう、招待状の宛名が父ではなく自分の名前で届いた時から、嫌な予感はしていた。けれど大分昔のことだしまさかねと自分に言い聞かせて参加したのに、ここへ来てこの指名。イレーニアの心を確信が過る。彼は8年前の、雪辱を晴らすつもりなのだと。


(大丈夫…私には旦那もいないし子供もいない、家に居るのはゴリラみたいなおっさんだけだし、誰にも迷惑はかからないわ…)


イレーニアは一瞬で諦めの境地に達する。そしてそんな彼女を前にシルヴェストロは柔らかな微笑み、彼女からすれば自分を地獄へ誘う悪魔のような微笑みを浮かべ、口を開いた。


「貴女に結婚を申し込みたい」


時が止まる。その場の誰もがシルヴェストロの言葉が理解ができなかった。何よりいちばん衝撃を受けたのは、他ならぬイレーニアだった。


「…は!?」


諦めかけていた時に突然の求婚。まあお姫様のようねこれがシンデレラストーリーね、なんて花畑の上で浮かれられる程イレーニアは純粋ではなかった。それが通用するお年頃でもない。


そして何よりの問題は相手の人物、目の前のこの優男にある。何せ彼は彼女の災厄の原因、「イレーニア・マエストリは子供嫌い」と周知されることになった大事件の当事者。


シルヴェストロ・カルカテルラ、その人だったからだ。


「答えを聞かせてくれますか?」


青緑の瞳がこちらを捉える。あまりに意味が分からない展開を前に、彼女の頭の中は上を下への大混迷を極めている。


「さあ」

「っ…!?」


シルヴェストロが手を伸ばして来る。混乱と恐怖のあまり、イレーニアはそのまま窓を突き破って、逃げた。

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