第48話 紅葉谷山

 その後。

 私は偶然,

原付で通りかかった大学生に救助され、お父さんは警察に逮捕された。


比佐子ひさこだけ、幸せになるのが許せなかった』


 お父さんは警察官にそう言ったらしい。

 自分は職を失い、地位も失い、何もかも失ったのに。


 職を得、家を持ち、子どもと一緒に暮らしているお母さんが憎かったのだそうだ。


 だから。


『比佐子が一番大切にしているモノを奪ってやろうと思って』

 お父さんは、淡々と語ったそうだ。


『朱里を奪うか、傷つければ比佐子が苦しむと思って』

 そう、言ったそうだ。


 ちなみに黒狐くろこさまのことや、ギンのことはまったく語らなかったらしい。忘れているのか、黒狐さまが何か術をかけたのか。


 それとも、「ギンを刺した」という都合の悪いことを、ただ黙っていただけなのかも知れない。


『比佐子にも朱里しゅりにも、もう興味は無いよ。わたしはわたしの人生をやり直す』


 晴れ晴れと、警察官に宣言し、お父さんはこれからの人生設計を語り始めたそうだ。


 そのことを弁護士さん経由で聞いた時、私とお母さんは、もう一生お父さんに会うことは無いだろうな、と思った。その人生設計に私達が入っていないからだ。


 そんなお父さんのことよりも。

 私はすぐにでもギンに逢いに行きたかった。


 黒狐さまは明確にどこに行く、とは言ってなかったけれど、『わらわと山に、帰ろうなぁ』とギンに語りかけていた。


 ということは。

 紅葉谷山のどこかにいる。


 そう確信はしていたのだけど。

 私は私で、怪我が治らないと動けない。


 捻挫に加え、お父さんにバットで殴られた頭の治療が加わった。MRIやCTを撮っても異常はなかったし、骨にもヒビは無い。ただ、こめかみ辺りの皮膚が裂けただけ。3針縫って、抜糸を待つばかりだったんだけど。


 傷を負ったのが『頭』ということで、お母さんが異常に心配した。


『後から症状が出ることもあるから』と自宅監禁から始まり、動き出せても行動を大分制限された。


 ギンのことを説明し、『山に探しに行きたい』と言っても、怖い顔で睨まれた。


『無理して山であんたが死んだら、ギンはどう思うのよ』

 そう言われると口を閉じるしか無い。


 結局。

 お母さんの許可が出て、そしてお母さん同伴で山に行けたのは、事件が起こってから一ヶ月も経った頃だった。


 その日は部活を休み、お母さんの車に乗って深夜には家を出た。紅葉谷山に着いたのは早朝で、私は息せき切って山に入ったのだけど。


 山は。

 しんと静まり、鳥さえ鳴かない。


 渓谷には魚の姿もなく、獣の気配すら感じない。

 てっきりお母さんが一緒だから皆、姿を現さないのだと思った。


『お母さんは、お祖父ちゃんの家に居るから』

 私の様子を見て、お母さんはそう言い、山を降りたのだけど。


 様子は変わらない。


 私は木を見上げて野衾のぶすまの名前を呼び、草むらを分けて狸を探した。一緒に遊んだ河原でカワウソのために買ったラムネを差し出したりしたけど。


 誰も。

 出てきてくれない。


『今日はもう、帰りましょう』

 お母さんがそう言って私のところに来てくれた頃には、山は橙色に染まっていたのだけれど。


 私は。

 イタチにも、テンにも。

 子鹿にも逢わなかった。


 ただ、川はさらさらと流れ、木々は風に揺れ、日が昇り、暮れていく。


 その様子を。

 山の中で、ただ一人見ただけだった。

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