89.扉

塀の一角にもたれ掛かり俯くクメギへ近づいていく俺の前に、シュロさんが立ち塞がった。


「話がある」


シュロさんは俺の肩に片手を置き、耳元でそう告げる。


「クメギは?」


俺はクメギに目を向ける。

クメギは村から出て来ていた人達に担がれていた。

シュロさんの指示だろう。


「話せる状況ではない」


気を失い、ぐったりしたまま運ばれていくクメギを見送りながら、俺はこれで良かったのだろうかと心がかき乱されていくのを感じていた。

もっと慎重に考える必要があったんじゃないだろうか。

クメギのためにと思いながら、自分の力を過信していた俺はこの作戦で何ができたのだろうか。

ムクロジはクメギの前で貫かれ、消えていった。

それを目の当たりにしたクメギの気持ちは――


俺は肩を叩かれ、戻っていく村人からシュロさんへ視線を戻す。

シュロさんは俺の肩から手を離し、姿勢を正すと口を開いた。


「まずは礼が言いたい。ありがとう。どういう力か分からないが君のおかげで私の腕は元通りになった。そして、クメギも君のおかげで助かった」

「俺に出来たのは体の傷を治すことだけです。それでも、ムクロジは治せない」

「君に全てを望むのは間違っている。そして、君も全て背負うことはない」


シュロさんの気遣いに感謝しつつも、俺には返す言葉が見つからなかった。

この作戦で、俺は礼を言われるほどの事は出来ていないのだ。


「ムクロジが死んでから五年、私は既にムクロジの死を受け止めている。それは、村のみんなも同じだ。君もこの作戦を立てた時から分かっていただろ。この作戦はムクロジの骨を村で埋葬してやることだ。残されているのは埋葬する事。それで、この作戦は成功となる」

「それでも、この作戦は間違っていた。クメギの前でムクロジを二度死なすことになるとは……」

「ムクロジは分かっていて犠牲になったのだ。私を前にしてもあいつは屍だった。どこかあいつらしさを感じさせるものの違う生き物だった。しかし、最後にあいつはクメギを守ったんだ。これがどういう事か分かるかい?」


シュロさんは言葉を切り、首を振る俺へ軽く笑みを浮かべる。


「あいつはどうなろうと姫を守る騎士だったのさ。君が気に病むことはない」

「でも……」

「悪いと思うなら、あいつの弔いを手伝ってくれ。あいつも喜ぶと思う」

「それでいいんでしょうか……」

「いいのさ。もっと大事なことがあるからな」


それは何か、聞かなくても分かる。クメギの事だ。

クメギが今回の事で記憶がどうなったのかは目覚めてみるまで分からない。


「これは私からの頼みなのだが、もしクメギが全てを思い出したとしても記憶を消さないでやってほしい」


一気に昔の記憶まで戻れば、辛い記憶に潰されるかもしれない。

このまま目を覚まさなくなるかもしれない。

目が覚めても、今までのようなクメギではなくなってしまうかもしれない。

悪い考えばかりが浮かび、俺は唇を噛むことしか出来ずにいた。


「クメギは昔より逞しく育っている。狩人として私と並ぶ位の実力はあると確信している」

「そう……でしょうか」


俺にはまだクメギとシュロさんに実力差があるように思える。

それは俺が指揮を執るクメギをあまり見ていないだけなのか。

弱味を見せたクメギの印象が俺の思考を鈍らせているのか。


「クメギは私を追い抜くことを恐れているんだよ。そして、ルアファを、父親を頼らずして自立することをな。既に力はあるんだ。それなのに人を思う優しさが邪魔をしている。出来る力があるのにやらないだけだ」


出来る力。

俺はもう一度クメギの事を思い返してみる。

確かに俺が村に来たときクメギが村の指揮を執っていた。

的確な指示を飛ばしていたようにも思えるが、あの時の俺はそれを気にする余裕もなかった。

北の様子を探りに行った時にはシュロさんを主体として動いていた。

シュロさんがいるときといない時で印象が変わるかといえば、俺には違いが分からない。

もちろんクメギをずっと追いかけてきた訳ではないから、細かく見れていない部分もあるだろう。

しかし、シュロさんはクメギと過ごしてきた時間も長く、教える立場としてクメギの変化を見てきている。

俺が気づけない何かを感じ取っているのかもしれない。


「でも、それと記憶が関係あるんですか?」

「これは私の考えなのだが、クメギは記憶がない事を弱点と見ているのではないだろうか」

「ない事が弱点……あったとしても辛い記憶にしかならないのにですか」

「記憶の中には辛かった時のこともあれば、嬉しかった時もある。怒り、言い争った時の記憶もあるだろう。同じ時間を過ごしてきた中でクメギだけが継ぎ接ぎだらけの時間を過ごしているんだ」


シュロさんは悔しそうに拳を握っていた。


「その時間を我々は辛い時間として封じ込めてしまった。元の生活へと戻りかけた我々は、クメギの記憶を戻すことでまた辛い思いをすることを避けたかった。クメギは我々の犠牲になったのだ」


俺はクメギを助けると扉を開いた。

それは俺でも開ける小さな扉だったかもしれない。

しかし、それは今、村全体を守る巨大な扉として俺の前に立ち塞がっていた。

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