90.祝杯
作戦による負傷者は多数いたが、重症だったのは塀から引き摺り下ろされた一人と、クメギだけだった。
俺も色々やられたが、身体強化の効果で重症には至らずに済んでいた。
南に転がっていた
半分くらいは手付かずで残ってしまっていたが、保存食として加工すれば数週間は持つ量を確保できたと言っていいだろう。
その夜。村では痺猿の肉を使った豪華な夜食が用意された。
村中央にある巨大な焚火の周りに串に刺さった肉がぶら下がる。
肉汁が滴る中、村長が今回の戦いで傷つきながらも勝利を収めたことを称えた。
片手にコップを持った村人たちは焚火を囲み、村長の話に耳を傾けた。
「私たちの道は困難で、乗り越えるべき壁はまだ連なっているだろう。しかし、今日私たちはその壁の一つを乗り越えたのだ。今夜はその勝利を称え、豪勢な褒美を頬張ろうではないか。この村の繁栄に乾杯!」
掛け声とともに村人たちはコップを高く掲げる。
そして、久しぶりの肉を堪能するのだ。
傷ついた顔の村人たちはみな笑みを浮かべていた。
作戦が成功したことを喜び、生き残った事を感謝する。
楽しそうに語り合う村人に、俺は改めて逞しさを学ぶ。
厳しい環境に身を置いているからこそ、こうやって生きていけるのだろう。
俺はまだこの厳しさに慣れきれていない。
離れた場所からその光景を眺めながら、俺はなかなか呑み込めないでいた木の実を強引に噛み砕いた。
「どうしたのお兄ちゃん、肉は食べないの?」
いつの間にか隣に来ていたグリュイが俺を見上げる。
「ちょっと食欲がなくてな」
「まさか、人間は貪欲なんだよ。久しぶりの肉を前にして食べたくないなんて聞いたことないよ」
「お前だって何も食ってないだろ」
「僕は自分の食べ物があるからいいんだよ」
グリュイは何者なのだろうかと思いながら俺は話を聞いた。
人間ではない事は何となく分かってはいるが、この世界の住人として村人同様グリュイも必死に生きているのだ。
種族は違ってもこうやって同じ空間に共存している。
この世界では、俺みたいな甘い人間は真っ先に死んでいくのだろうか。
図太く、逞しく、図々しいくらいがちょうど良いのかもしれない。
「村で過ごしてきて、だいぶこの世界に馴染んできたと思ったのにな」
俺は誰にともなく呟いた。
「元の世界に帰りたくなりましたか」
ナビが俺の真正面に浮かび訪ねてくる。
遠い昔の事のように感じながら、俺は会社に勤めていた日々を思い起こす。
決められた時間に出勤し夜遅くまで仕事をこなす日々。
辛いこともあったが、楽しい時間もあった。
仕事終わりに同僚と飲みに出かけ、色々と馬鹿げた話で盛り上がった。
どこかで単調な生活リズムを退屈だと感じながらも、その生活を崩そうとは思わなかった。
それはなぜか今ならわかる。
それが退屈な道だろうと、安全だったからだ。
わざわざ生死を彷徨うような危険に身を置く必要はない。
それに打ち勝てるような頭脳も力も俺は持っていないのだから。
「望むなら何時でも元の世界に戻れます」
その声に過去の光景が、顔の間近に迫るナビに変わる。
「ちょっと感傷的になっただけだ」
俺は持っていたコップをナビにぶち当てながら、高く掲げた。
「この村の繁栄に!」
そして色々な思いを、コップに入った水と共に一気に流し込んだ。
夕食も終わり、村長の家ではクメギに対する話し合いが行われた。
中央の小さな焚火を村長と補佐官たちが囲んで座る。
俺はグリュイとルーフに挟まれながら、邪魔にならない端っこに陣取った。
シュロは壁際に立ち、この村唯一の医者であるクルクマがその横でクメギの状態を説明する。
クメギは何かに魘される様に身を捩らせるが、目を覚ます気配がないという事だった。
息があるという事は復元の効果により、体の傷は戦闘前の状態に戻っている。
問題は精神的なものだろう。
精神的な治療薬となると、この村にあるはずもない。
この世界にあるのかも微妙なところだ。
シュロさんは全てを伝えるべきだと主張した。
ムクロジの死から五年、この村の人達も日々の厳しい環境の中で逞しく育ってきた。
あのころと違い、今ならクメギが記憶を取り戻そうとも、村の全員がクメギの身を心配できる環境といっても良いのではないか。
それをクメギが望んだからこそ、今日の作戦はあったのだと。
そして、シュロさんは過去の自分の行動が間違っていたと認め、恥じるべき行為だったと悔しそうに語った。
クメギの身を心配する声も上がったが、シュロさんの意見に反対する声は上がらなかった。
この話に絶対反対すると思われたルアファでさえも、何も反論してこないことに違和感を覚える。
「グリュイお前なんかしたのか」
話し合いが行われる中、俺は小さな声でグリュイに聞いた。
「人聞きの悪いこと言わないでくれるかな。僕はまだやってないよ」
「まだってなんだよ」
「これ以上は本人に聞いてよ。僕の口からは言えないよ」
グリュイは人差し指を交差し、バツを作ると口元にあてる。
グリュイはルアファに何かをしたのだ。
本人から聞けという事は、取引をしたと見て良いのだろう。
作戦前、ルアファはクメギの記憶が戻ることを必死に止めようとしていたというのに、どのようなやり取りをすれば納得させることができるのか。
そうはいっても話がまとまりそうな時に、俺がルアファの代わりに場を荒らす事は出来ない。
嫌な予感はするものの、俺は話の流れに沿う事しかできなかった。
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