76.今の俺に必要なもの

咄嗟に身を固め、衝撃に耐える。

俺はなす術もなく、体のあちこちを地面に打ち付け転がった。

痛みと眩暈を感じながら地面に突っ伏した俺は、土の味を噛み締めていた。

口中の土を吐き出し、荒い息を繰り返す。

身体強化で身を守っているとはいえ、ダメージはでかい。

俺は軋む体に何とか力を込め、寝転がったまま霧の中を警戒した。

もしボス猿の攻撃に耐え、押さえつけようと反発出来ていたとしたら骨を折るなどもっと重傷を負っていたに違いない。

それほどの一撃だった。

しかし、ボス猿も傷が深いのだろう。

霧の中から出て来る事はなかった。

ボス猿から距離を取れたと考えれば幸運と言えるか。

状況が転換しすぎて理解が追い付いていなかった。

ダメージを負い、痛みで考えも纏まらない。魔力も底を尽きそうだ。

このまま回復を待ちたい気持ちもあるが、モフモフの事も気になる。

回復に時間を掛け過ぎるのも駄目なのだ。

今の俺に必要なのは——


吹き出した霧は薄く広がり、辺りを埋め尽くしていくのだろう。

そう漠然と考えていた俺に異を唱えるように、霧は濃さを増していった。

ボス猿を中心に停滞する蒸気のような物で、少し離れれば霧の影響はなくなるのだと気付く。

霧の影響外に吹き飛ばされた事で、ぼろ雑巾の様になりながらも俺はクメギに発見される。

クメギが戻って来たという事は、東側の痺猿ひえんも森に帰ったか、撃退できたという事だ。


俺より状況が飲み込めているかと思ったが、クメギも俺と同じような状態だった。

クメギが戻った時にシュロさんはおらず、狼狽える村人だけだったという。

クメギは霧が広がり、俺が霧から転がり出たのを見て、シュロさんも応戦しているのだと駆け下りて来たのだ。


「グリュイは……いなかったか? ルアファ……クメギの……」

「グリュイはいなかった。そして、父も……」


村人を残し、シュロさんだけではなくグリュイ、ルアファの姿もないとは何かがあったとしか思えない。

そして、もう一人気になるのはムクロジだ。

グリュイの香炉で蘇った屍は強い思いに突き動かされる。

ムクロジが痺猿と共闘して村を襲うとは考えにくい。

クメギとの関係を考えても村の為に動いてくれるはずだ。

埋もれていた場所が同じで蘇るタイミングが同じだとしたら、村に着く前に鉢合わせしたとも考えられる。

土から這い出てみたら敵が目の前にいたとしたら、お互いに恨みの念は持っているだろう。

戦いは村に着く前に始まっていたかもしれない。

痺猿達と戦えば、勝敗は目に見えている。

ムクロジは蘇った姿を見る事もなく、骨に帰しているかもしれない。

それを見つけるために、また同じことを繰り返せるかと言えば、無理だろう。

既に魔物はこの地に戻って来ているのだ。

他の魔物達に与える影響、村人達に掛かった負担など諸々を考えれば、一度きりの作戦。

ムクロジが骨となっていると考えるなら、地道に村と洞窟を繋ぐ道で骨探しとなる。

骨がちゃんとした形で残っているなら、痺猿の骨との区別はつくはずだ。

距離はあるが、埋まっていない状態にできただけでも発見できる確率は上がるだろう。


停滞していた厚い霧に動きがあり、俺はそちらへと目を向けた。

クメギも察知していたのかそちらを警戒している。

先程、ボス猿がいたのとは場所が違うが、霧の中を移動しているのだろうか。

俺達が見ている前で霧が盛り上がり、黒い影が吐き出された。


「グリュイか……」


小さな影はグリュイになり、更に何かを霧から引きずり出した。


「お父さん!」


いち早く気付いたクメギが駆け寄る。


「大丈夫だよ。気絶しているだけだから」


グリュイは雑にルアファを引きずり上げるとクメギの前に翳した。

力なく首の曲がったルアファの顔は、口を大きく開き白目を向いている。


「あ……ありがとう」


グリュイの雑な扱いに困惑しながらも、クメギはルアファを受け取り、こちらへ引き摺ってこようとする。

こっち持ってくんじゃねえよと思いながらも、俺もまだ立てるまで回復していない。

俺に出来る事は身を捩る事だけだ。


「お兄ちゃんもそこでうねうねしてたんだね。やられたと思ってたよ」

「うねうねっていうな……!」


こういう状況でもグリュイは俺を気遣ってはくれない。

ルアファの事を見るに、誰にも気を使わないのだろう。

だから、俺は痛い体を押して突っ込む羽目になるのだ。


「グリュイ、上は……上の状態は、どうなっている……」

「お兄ちゃんはこの状態でも人の事が気になるんだね。今、危ないのは上の人達より、ここにいる僕らの方だよ」


それは少し考えれば分かる事だ。

深手を負わせたとは言え、ボス猿の死はまだ確認していない。

霧が停滞しているから消えないのか、まだ噴き出しているから消えないのかは分からない。

だが、霧の中で生きているとしても、塀をよじ登って村人を襲うよりは、こちらへ来る方が容易い。

塀の前に堀がある事を考えればなおさらだ。

体力が回復するまでボス猿とは距離を取っていたほうが良い。

今ここにいるのは俺だけじゃない。

話を聞く為にも、もう少し安全な場所に移動した方が良いだろう。


「じゃあ、あっちいこうか」


俺はグリュイに言われるまま、雑に引き摺られる事になった。

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