56.呼ばれない名前

塀を作り上げた翌日、村長は夕食に集まった皆の前で俺を称えてくれた。

細やかな祝杯を挙げる。

いつの間にか近くに寄ってきていた第一村人とも杯を交わす。

悲鳴しか洩らさなかった第一村人も、今ではこれまでの苦労を洩らす仲になった。

そう、君は何時までも俺の中で第一村人として生きていくのだ。

ありがとう。そして永遠なれ。


「惜しい人を無くしましたね」


元気に浮かれる第一村人を前にナビが涙を零す。

またナビが適当な事を言っている。

しかし、それが第一村人の運命なのだ。宿命といっても良い。

第一村人に幸あれ。

人の気も知らずに、第一村人は幸せそうな顔で離れていった。


表向きは祝ってくれたが、真相はどうなのか。

ルアファはあからさまに嫌そうな顔を俺に向けていた。

こんな時に何をやっているのかと内心苛立っていそうだ。

クメギは丸太に座り、俯き加減で飯を口に運んでいる。

何処か影が差して見えるのは、昨日の事があったからか。

静かに成り行きを見ている人もいる。

ログさんとクルクマさんもその中の一人だろう。

ログさんは新しい土の畑作りに忙しいのもあり、あれ以来関わってはいない。

ログさんとの問題は時間をかけてやっていくしかないと思っている。

クルクマさんは調合師のおばちゃんだ。

モフモフの薬草、ゼリー状の傷薬などは全てクルクマさんが管理している。

俺も怪我の手当ての時にお世話になっていた。


村を良くしようという思いは皆同じだが、考え方が違う。

それが反応として出ているのだとしたら、これを見て俺がどう動くかだ。

今は気になる事から攻めていくしかない。

俺は夕食後、シュロさんの家に向かった。


昔、クメギが怪我を負ったのはシュロさんから聞いている。

狩りをしていて痺猿ひえんの群れと出くわしてしまったのが原因で、

クメギ以外にも村長や村も被害を受けたと言っていた。

しかし、話はそれだけじゃなかったんだ。

昨日、クメギが言っていた名はその時の被害者で、クメギの傷にも関係しているに違いない。

それはクメギの内面の傷として残っている。


「俺はそう考えているんですけど、どうですか?」


小さな焚火を挟み向かい合ったシュロさんに、俺は昨日あった事と考えを伝える。


「なるほどね。クメギの様子が変わった原因は君だったか」


シュロさんは持っていた小さな枝を焚火に投げ込み、俺をじっと見る。


「君はクメギの事をどう思っているんだ?」


シュロさんの問いに、今までクメギと話した記憶を振り返る。


「一方的に感情をぶつけてくる嫌な奴?」


シュロさんは昔を懐かしむように笑みを浮かべる。


「ムクロジも同じことを言っていたよ」


ムクロジ。昨日、クメギの言っていた名だ。


「昔はクメギも感情を表に出す子だった。ルアファのようにな」

「今でも出してますけど」

「君にはな。しかし、村の皆には昔より感情を出さないようになった」

「それが、傷を負った時からという事ですか」

「クメギはその時の事をすべて自分のせいだと思っている。そして、ムクロジの事もな」


ムクロジはシュロさんの弟子でクメギの兄弟子だった。

二人はいがみ合いながらも、傍から見れば兄妹のような関係に見えた。

シュロさんは二人を宥めない日はなかったと薄く笑う。


村から南に行くと粘土の取れる小さな洞窟がある。

距離は離れていたが、痺猿の脅威もなく定期的に粘土を取りに行くのも狩人の仕事だった。

その日も変わらず窟に入ったシュロさん達は、粘土を手に洞窟を出ようとした所で痺猿の群れに出くわす。

数は多かったが、シュロさん達も必死に戦った。

しかし、一際大きな痺猿が現れ形勢は一気に傾く。

体躯の小さなクメギが捕まり洞窟内に押し込まれかけた時、ムクロジが大猿に剣を突き立てた。

大猿はクメギを投げ捨て、ムクロジに敵意を向ける。

ムクロジは逃げろと叫びながら、大猿と数匹の痺猿を洞窟の奥へと引き連れていった。

シュロさんは背中に傷を負ったクメギを担ぎ、痺猿の攻撃を躱しながら村へ逃げ帰る。


狩人は死と隣り合わせだと覚悟はしていても、納得できるものじゃない。

村は死を悲しんだ。

その悲しみが薄らぎ始めた頃、クメギが目を覚ます。

誰もムクロジの事は話さなかった。


「傷の影響で、忘れてしまったと思っていたよ。それでも良いと思っていた。しかし、覚えていたんだな」


焚火が小さな音を立て、火の粉が散った。


「クメギがそれを覚えていたとしても私達には何もできない。私達がクメギに気を使おうともクメギは大丈夫と答えるだけだろう。そして更に感情を押し殺していく。平静という仮面の下で、苦しむのだ」

「気を使い合って何もしないなら解決しないじゃないですか」

「時が解決してくれるさ。それとも君が解決してくれるのか」

「……」

「……すまない。もう、この話は止そう」


沈黙が落ち、揺らめく炎が家の壁に大きな影を作り出している。

俺は影に押しつぶされまいと立ち上がり、外へと飛び出した。


俺が解決してやる。俺はもう、足を踏み出したのだから。

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