名も無きTSロリ鬼娘の話
葛城2号
第1話 目覚め
……朝か。
そう私が時間を自覚した瞬間、ぱちりと私は覚醒した。直後、私は今日の予定や生理現象を考えるよりも前に、己の肉体から湧き上がるよく分からない何かに、「あっ?」しばしの間目を瞬かせた。
体の芯に残っている疲れも、頭の芯に残るアルコールの痛みも、全く感じない。あまりにスッキリとしていて、それでいて滞りのないその感覚。久しぶりとしか言いようがないぐらいの、爽快な目覚めだった。
あまりに気分よく目が覚めたせいだろうか。私は「んん?」一瞬ばかり現在の自分を見失ってしまう。思わずこれは夢かと己に問うが、そう問える時点でこれが現実であることに思い至り、ため息が軽く出た。
(目が覚めた瞬間から、こんな無駄な事をつらつらと、それでいて長ったらしく考える。我ながら難儀な性格をしているな)
まあ、物心ついた時からこんな面倒な性格だったのだから、仕方がないだろう。
そう己を自嘲しつつも、何時もと同じ結論を、何時もと同じように出す辺り、もはや手遅れなのかもしれない。
(腹は空かないが、朝飯はどうしようか)
冷蔵庫の中身を思い出しながら、枕元に伸ばした指先で煙草の居所を探る……あれ、無い。おかしいなあ、確かまだ三本かそこらぐらいは残っていたはずなのだが……。
ぼんやりと湿気と煙草で出来た天井のシミを数えたり、太陽光で焼けた黄土色の壁紙を見やったり、その壁に寄りかかっている血まみれの男を眺めたりしながら、けっこう必死になって煙草を探す……あった。
のそりと身体を起こしながら煙草を咥え、一つ、火を点ける。口内に広がる苦味の後に広がる独特の臭いと、酸素を食い破っていく独特の感覚に爽快感を覚えながらも、灰の隅々にまで行き渡らした煙を、ほう、と吐き出した後。
「――待て、チョット待て」
ようやく、私の意識が血まみれの男に向けられた。あまりに突然だったからか、不思議と私は酷いパニックを起こすことは無かった。
「――え、待て、え、おい」
けれども、軽いパニックにはなっていたのかもしれない。口に煙草を咥えたまま、私は男の元へ駆け寄ろうとベッドから足を下ろした……と同時に。
「あっ?」
自らの身体から伸びた、自分の物とは思えない程の美しい両足。日に焼けてすね毛だらけだった太ももが、まるで別人の……子供のように細くて頼りない足になっていることに気づき――。
「いっ?」
次いで、足だけでなく腕はおろか、身体までそうなっていることに気づき。
「うっ?」
その己の胸に付いた膨らみと、見下ろせば必ず確認出来たアレが無くなっていることに気づき。
「えっ?」
自らの喉から出た声が、昨日の自分とは全く違う……まるで、少女のように甲高い声であることに気づき。
「おっ?」
血まみれの男の顔が……どう見ても、己の顔であることに気づいた私は。
「……お休み」
何かを考えるよりも前にベッドに潜りこんで、布団を頭まで被って。
「――うはぁ!?」
咥えたままの煙草の火が、躊躇なく頬に触れたことに飛び上がって。
「――いっでぇ!?」
その勢いでバランスを崩してベッドから転がり落ちた後。
「……ああ、うん?」
全然痛みがない己の身体を疑問視するよりも前に。
「……夢じゃあ、ないんだな」
受け入れるかどうかは別として、だ。可愛らしい己の呟きを耳にして、ようやく私は目の前の光景が、己の身に起きている何かが、現実であることを理解した。
性別、女性。年齢、見た目は10代前半。
体格、華奢だが、女の鱗片が要所に見られる。
身長、メジャーで図った結果、だいたい140センチ後半。
体重、25kg、異常な軽さ。
髪の色、黒色、長さは背中の辺りまで。
目の色、赤、コンタクトはしていない。
顔立ち、すこぶる美人で将来有望だ。
結論、どうやら私は、名も知らぬ大和撫子系の美少女になったようだ。
「――ふむ、まあそれはそれとして……だ」
手鏡をベッドに放り投げた私は、改めて亡骸となった……己を見つめた。
「胸の辺りが真っ赤だな。つまり、俺は心臓を一突きされたわけか……ああ、そりゃあ死ぬな、うん」
死んで当然だな……いや、ここでその発言は可笑しいのではないだろうか。そう思った瞬間、私は、これだから私は変人と呼ばれるのだと自嘲の笑みを零した。
「……この姿になったせいで、味覚が変わったのかねえ。妙に煙草が不味い」
冷たくなった自分の亡骸を前にして、煙草の煙をくゆらせながら、私はガリガリと痒くも無い頭を掻いた。それに合わせて視界の端で舞い踊る黒い絹糸……それが己の髪の色であることに今更ながらに思い至り、私は深々とため息を吐いた。
私は、変わり者である。それがどれぐらいの代物なのかは分からない。ただ、幼き時から『お前は変わっているな』と言われ続けてきただけあって、世間一般的な感性からはズレているのだとは理解している。
だが、しかし。
「自分の死体を目の前にするって、なんとも不思議な気分だな」
まさか、こんな状況でも平静を保てるとは思っていなかった。いや、もしかしたら、理解しがたい状況に驚く余裕が無い……いや、よそう。
不思議なくらいに、気分は落ち着いていた。漂ってくる鉄臭さや、異質なこの状況、明確な異変を前にしても、私はごく自然と朝の一服を味わうだけの余裕があった。
ぷかり、と煙草の煙を立ち昇らせながら、私は肩からずり落ちたシャツを戻す。屍の己の周辺に沁みて行く血の跡を見て、「敷金はパーだな」そんなことを呟ける己が、本当に不思議でならなかった。
「……ん?」
ふと、亡骸の足元に落ちている紙切れに目が留まる。あんなものあったっけ、と首を傾げながらそれを手に取り……そこに書かれていた下手くそな文章に、私はしばし呼吸を忘れた。
……。
……。
…………たっぷりと、内容を見返すこと5回。角度を変えたり顔を近づけたりしながら全てを頭の中に叩き込んだ私は……何を言うでも無く、手紙というには粗末過ぎるそれを放り捨てた。
「事実は小説よりも奇なり。体感して初めて思ったが、実に嫌な気分だな」
この手紙に書かれた内容が全て正しいと仮定して、かつ、簡潔に述べるのであれば、だ。
今の私は人間ではなく……一体の鬼と呼ばれる存在になってしまったらしい。より正確に言い直すのであれば、私はこの鬼と中身がそのまま入れ替わった状態だということだ。
なんでそうなったかと言えば、この身体の持ち主である鬼は、どうもかなりの長生きらしく、どうやら生きるのに疲れてしまったそうだ。
もういい加減に眠りに付きたいと考えた彼女(この身体から推測する限りでは)は、何とかしてその長い生を終えようと頑張ったらしいのだが……上手くいかなかったらしい。
手紙の彼女曰く、『鬼は太陽の光が弱点』ではあるが、それでは『死ぬまでに物凄い苦痛が伴う』、だそうだ。何度か試したらしいが、あんまりにも辛くて死ぬに死にきれなかったらしい。
その為、彼女は『魂を入れ替えて自ら命を絶つ』という、回りくどいうえに入れ替えられた相手には迷惑極まりない方法を取った。鬼の身体では死ぬに死ねないが、人間の身体ならば容易く死ねる……ということらしい。
(いや、だからといってさあ……)
……手紙には、そう書いてあった。手紙の端っこに、魂の波長が合う相手を探すのに百年も掛けたことと、巻き込んでしまったことに対する詫びの言葉が綴られていたが……正直、それがどうした、というのは私の本音であった。
にわかには信じがたい事実だが、実際に自分でソレを体験しているのだ。鏡に映る可愛らしい己の姿を見れば、信じる他なかった。
「――道理で、安らかな顔をしているわけだ」
亡骸となった、かつての己の顔を覗き込む。先ほどは気にならなかったが、よくよく見れば死に顔には苦痛の跡が全く見られない。まあ、待ち望んだ最後を迎えられたのだから、そんな顔になるのは分かるのだが……。
「……いかんな。難題が次々に浮かんでくるぞ」
テーブルに置かれた時計に目をやれば、既に時刻は昼の11時を回っている。充電器から外した携帯を開いて、とりあえずはメールを確認。そして、再び充電器に差して……どうしようか、と今更な難題に、私は頬を掻いた。
幸いにも、今日は日曜日だ。出勤をする必要はないし、休む言い訳を考える必要も無い。尋ねてくる友人など居ないし、近所付合いも微塵も無いから、そちらを考える必要も無い。
(三日……いや、違う)
無断欠勤した私の様子を伺いに来るまで……最短でも、だいたい一週間ぐらいだろうか。加えて、亡骸から放たれる異臭に近所が気付き、通報される可能性を考えたら……おそらく、もっと猶予は短い。
つまり、私に残された猶予はそう長くない。元の声とは似ても似つかない今の声では、掛かってくる電話に出るわけにもいかないから……誰かがココに来るまで、私は決断をしなければならないだろう。
己に誘拐された悲劇の記憶喪失の少女として、第二の人生を歩むか。
それとも、鬼として、これからの長い生を歩んでいくか。
「……とりあえず、酒でも飲んでから考えるか」
飲まなければ、やっていられない。
その言葉を心の底から理解した私は、冷蔵庫へと駆け寄り……ふと、亡骸の上にあるカーテンから零れ出ている光に、足を止めた。
……鬼の弱点は、『太陽の光』。それを受ければ、どんな鬼とて身動き出来ないぐらいの苦痛が全身を襲う。さすがに即死するようなことは無いが、10分も浴びていたらまずくたばるらしい……のだが。
……ちょっと、興味が引かれた。何百年(おそらくは)を生きた彼女ですら躊躇う程の苦痛……いったい、どれほどのものだろうか。
(ちょっと、ほんの、ちょっとだけ……)
怖いもの見たさ、というやつなのかもしれない。疼く好奇心に促されるがまま、私は不用意に光を浴びないように気を付けながら、そっと腕だけを伸ばし……カーテンの中に、潜り込ませた。
「あっ」
瞬間、ぼしゅう、と腕から煙と炎が立ち上った。そのことに私が驚いて目を見開いた……その直後。
「――――っ!!!???」
腕から広がったとんでもない苦痛に、私は声なき悲鳴を上げた。何かを考える前に、私はその腕を抱える様にしてその場に蹲った。あまりに痛みに、呻き声すら出せなかった。
痛いとか、そういうレベルではない。そんなことを考える暇すら与えない、苦痛の濁流。その痛みの波は思わずのた打ち回ってしまうぐらいに酷く、彼女の言う『物凄い苦痛』の意味を、身を持って思い知らされてしまった。
びしゃあ、と小便が足元に飛び散る音を耳にしながら。
私は、鬼としての最初のアクシデントを前にして、そのまま気を失ってしまった。これから続く、長い私の生の始まりは……なんとも馬鹿らしい出発となってしまった。
次に私が目を覚ましたのは、気絶してからわずか十数分後のこと。さらに、その時にはすっかり腕の痛みは治まっていた。
加えて、腕一面に広がっていた裂傷やら何やらまでもがすっかり塞がっており、血の跡すら蒸発したかのように残っていなかった。
おかげで洗濯の手間が省けた私は、ビールを片手にパックの焼き鳥に勤しむことが出来た。うむ、昼間から飲むビールの美味いこと、美味いこと。昨日の夜に無理して買い物したのが幸いした。
……現実逃避かと言われれば、まあ、そうなのかもしれない。何をするでもなくつまらんテレビを横目で見ながら、昼寝したりビール飲んだりつまみ食べたりを繰り返している内に、時間だけが過ぎて行く。
最後のビール(まだあるが、そっちは冷えてない)に手を掛けた辺りで私が我に返った時には、度目に目が覚めた時には、すっかり部屋の中は真っ暗になっていた。
(……さすがに、何時までもこうしているわけにもいかんな)
ただ、その真っ暗な部屋の中でも、普通に見ることが出来てしまう辺りは、さすがは、『鬼』と言うべきなのだろう。まだまだ分からないことだらけだが、これも慣れるしかない。
(それにしても、まさか日の光があれ程に痛いとは……そりゃあ彼女も嫌がって違う方法を探すだろうて……)
手紙には『死ぬのに苦労する』とあったが、その意味がようやく分かった。出来ることなら、もっと具体的にどうなるかを書いてほしかったが……んん、あれ?
ふと、私の目が床に落ちていた手紙に止まる。より正確に言えば、その手紙に折り重なるようにてへばりついている二枚目の手紙……それに気づいた私は、急いで中身を確認した。
「ほう、これは……」
読んでいる途中で、ため息が零れた。一枚目の手紙にはこの身体になった経緯が書かれていたが、二枚目のコレには私のこと……つまり、この身体についての諸注意などが、一枚目よりも詳しく書かれていた。
色々な意味で興味深い内容ばかりであったが、その中でも赤文字で『ここは重要! 絶対守れ!』(わざわざ別のペンを使ったのだろうか?)と注意書きされている部分に、私の視線が吸い寄せられた。
『一つ、鬼は日の光に弱い。長くても十分以上は浴びてはならない』
『一つ、鬼は大の酒好きである。長くても七日に一度は酒を飲むべし』
『一つ、鬼は怪力無双の金剛強固な身体。常に手加減を心がけること』
『一つ、喧嘩や闘争に近づいてはならない、決して、呑まれてはならない』
『一つ、雨の日には外に出るな。死ぬわけではないが、面倒なことになる』
書かれていたのは、その五つの箇条書きであった。一つ目は身を持って思い知ったので理解しているが、二つ目の文を見て、なるほど。私は納得に頷いた。
道理で、昼間から飲みっぱなしでも一向に酔わないわけだ。加えて、酒好きと注意書きされるだけあって、おそらく何かがあるのだろう。『七日に一度』と細かく日数まで書かれている辺り、忘れずに守った方がよさそうだ。
三つ目は……ふと、テーブルに置かれたフォークを手に取る。ひと月前に百均で買ったばかりのやつだが、柄の部分は中々に分厚い。私はそれを指で挟むと、特に考えることも無く指に力を込めた――途端、フォークは音も無くクニャリと形を変えた。
「――おおっ」
思わず、驚きのため息が零れた。あまりの手応えの無さに驚きながらも、私は曲がったフォークを持ち直し……少し強めに指で弾いた。
瞬間、柄の根元から折れたフォークが、銀色の弾丸となってタンスにぶち当たった。ごがん、と直撃したそれは、分厚い合板の木の板をティッシュのように貫いていた。
(……なるほど、注意書きするだけのことはある)
無かったことにして、私はビールに口を付ける。だが、四つ目の文に目を通した辺りで私は首を傾げた。書かれている注意書きの意味が、よく分からなかったからである。
喧嘩や闘争を避けろという意味は、何となく分かる。仮に今の力を誰かにぶつければ、間違いなくそいつがタダでは済まないことが分かるからだ。
だがしかし、その下にある『呑まれてはならない』、というのは、いったい何なのだろうか。注意書きするぐらいだから、相応に重要なことなのは疑うべくもないが、はてさて……。
「まあ、いずれ分かるだろう……五つ目の雨の中は……まあ、雨の日には出歩くな、ということか」
さて、これであらかたの情報は調べ終わったが……どうしたものか。
最後のビールを飲み干した私は、夜空に浮かぶ三日月をぼんやりと見上げる。今まで数える程度には見上げたことがあったお月様だが、まさかこんな殊勝な思いで見上げる日が来ようとは……んん?
「……しまった、買い物に行かねばならん」
今の今まで忘れていた重要な事態に、私は慌てて身体を起こした。そうだ、こんなところでのんびりしている場合では無い。私自身は良くても、店が閉まった後では遅すぎるのだ。
危なかった……思い出して、本当に良かった。最後の非常食である缶詰を食べきってしまえば、後は最悪、明日の夜まで空きっ腹で我慢しなければならなくなるところだった。
冷蔵庫に入れておいた食糧を考えれば……もって、明日の昼までだろう。昼間は外に出られない(さすがに、あの苦痛を二度も味わいたくはない)から、日が完全に落ち、店が閉まるまでの間に済ませなければならない。
(今後は生活リズムも変えないと駄目か……ああ、そういえば、昼間に出歩けなくなるってことは、あそこのコロッケも食えなくなるってことか……)
そう考えると同時に改めて実感したが、昼間外を出歩けない身体とはまことに不便だ。コンビニがある分だけマシなのかもしれないが、昼間にしかやってない店の物が食えなくなるというのは……正直、名残惜しい。
だがまあ、悩んだところで過去に戻れるわけでもないし、考えるだけ無駄だろう。そう結論を出した私は、財布の中身を確認してから玄関へと向かい……ふと、足を止めた。
「――さすがに、この恰好で出るわけにはいかんな」
シャツ一枚だけの己を見下ろし、舌打ちを零しながらも引き返してタンスの中を漁る……のだが、出てくるのはこの身体には大きすぎる物ばかり。
仕方なく、奥の方に眠っていたジャージに袖を通すが、やはりコレも大きい。ため息を吐いて裾を捲っていくが、鏡に映った己を見て、二度目のため息が零れてしまった。
(まずは服と下着を買わねばならんな……諦めて、女物を買うしかないか)
元々お洒落などとは無縁の立ち位置を貫いてきた私だが、さすがにこの身体で、この恰好はいただけない。それだけでなく、周囲にいらぬ誤解を与えてしまう……ということぐらいを理解出来る分、しばし私は外に出ることを躊躇った。
だが、結局のところは出なければならない。覚悟を決めた私は、決して音を立てないように外へと出る。廊下から見下ろす外に人影が見当たらないのを確認してから、足音を立てないようにマンションの階段を降りて……外へと出た。
(しかし、女物の服なんぞ買ったことないし、相場も分からんし……うーむ、困ったな)
何事も無ければいいが、この時間は子供一人で出歩くには遅すぎるし……面倒事に巻き込まれないことを祈ろう……あ。
(しまった、私の死体をそのままにしてきてしまった……!)
よくよく考えたら、朝からずっと死体をそのままにしていたような気がする。というか、私はその死体の傍で酒を飲んではつまみを食ったり……いや、よそう。これ以上考えては思考の坩堝に入ってしまう。
(大丈夫……一日ぐらい放っておいたところで、死体は腐らん。多分……いや、おそらくは……うん、消臭スプレーをついでに買って帰ろう)
さっさと気持ちを切り替えた私……色々なことを後回しにしている気がする。そう私は思いはしたが、時間は待ってくれないことを思いだし、近場の店へと小走りになった。こういうところが、変人なのかもしれない。
そして私は今、世間の冷たい風を真っ向から浴びせられていた。
「お使いに来たんです」
精一杯、見た目相応の声と雰囲気をイメージしながら、レジのおばちゃんに媚を売る。正直、鳥肌が立つぐらいに気恥ずかしく、今すぐにでも背を向けて逃げ出したかった。
けれども、逃げるわけにはいかない。ここで逃げてしまえば、目的のブツが手に入らなくなる。ここを逃してしまうと、コンビニで割高の同じブツを買うしかなくなってしまう。それを避ける為にも、私は全身全霊を掛けてお願いしてみた……のだが。
「あのね、お嬢ちゃん、それは駄目なのよ」
レジのおばちゃんは、無情にも私の願いを悪魔の笑みで振り払いやがった。こいつ、私がどれ程の苦悩に耐えてお願いしているというのが分からんのか。
「なんで、一本だけでもいいじゃない。コンビニで買うと、高く付いちゃう」
怒りと羞恥で引き攣りそうになる顔を気合いで維持しながら、なんとか可愛らしい声を振り絞る。これなら、これならいけ――。
「残念だけど、決まりだからね。勝手に売ることは出来ないのよ」
無情にも、無慈悲にも、目の前のこの糞ババァは、私のお願いを一言で切り捨てやがった。くそったれめ!
「ど、どうしても?」
「最近は色々と厳しくてね、未成年にはお酒を売れないのよ、ごめんね……はい、次の方どうぞ」
そう言うと、レジの婆ちゃんは私の後ろに居た客の相手を始めた。そうなれば、私もそれ以上追いすがることもできず、仕方なく場所を譲ったが……内心、怒り狂う己を抑えるのが大変であった。
かつて、これほどレジのおばちゃんを憎いと思っただろうか……いや、無い。もし私の見た目が元に戻っていれば、すぐにでもサービスカウンターに駆け込んで、従業員の教育について力説してやるところである。
(……よくよく考えたら、元の姿に戻ったなら普通に酒を買えていたんじゃないだろうか……いや、よそう。あんまり深く考えるべきことじゃない)
中身がパンパンのレジ袋を肩に担ぎ直し、外に向かう。途中、「まぁ、綺麗な子ね」ベンチに座っていた年寄り連中からの視線を感じたが、私は気づいてないフリをして外に出る。
――途端、外に居た何人かの視線が私へと向けられた。私がそちらに目を向ければ、全員がさり気なく私から視線を逸らし……また見るのを繰り返していた。
(気のせいではなかったか……ふむ、どうやら今の私はそれなりに視線を集めてしまうようだな)
あえて視線に気づかないフリをする。元々、目立つことが嫌いな性質であり、幼稚園の学芸会にて自ら進んで木の役を立候補した過去がある私だ。気配を消すことぐらい、わけはない。
「くっそ、チーかま(チーズかまぼこ。つまみの三大お供の一つ)だけ買っても意味がないではないか」
袋から取り出したおやつを食べていると、名残惜しさが口から出てしまう。いや、美味いから、これはこれで良いのは確かだけどな。
誰に対してでもないのに心の中で一人突っ込みを繰り返しながら、のんびり帰路に着く。あー、それにしても、俺の死体はどうしようか……ん?
『わー、綺麗な子。あれ、多分化粧をしていないわよ』
『うん、元が凄く整ってる……でも、アレは』
『あー……うん、いくら何でも、ジャージは駄目だよね』
『うっわ、あんな子、ここらに居たか?』
『いや、見掛けたことない……おいおい、まさかロリコンか?』
『ばか、俺とだったら、歳の差なんてほとんど無いぞ』
『止めとけよ。あんな子、既に彼氏が居るだろうからさ』
……聞こえてくる声は、私の気のせいだろう。コンビニの前やらゲーセンの前やらでたむろしている彼ら彼女らが私を指差しているのも、おそらく気のせいだろう。ちらちらとこちらを見つめてくる視線も、きっと気のせいだろう。
そう、私は結論を出して、小走りになった。うん、たまには軽い運動を嗜むべきだな、うん。
そうして軽い運動を嗜みつつも、自販機から手に入れたビール(500mlを計5本購入)を片手に、家へと続く最後の曲がり角を曲がった私が目にしたのは……自宅のマンションを囲うように出来ている、人だかりの群れであった。
(……えっ?)
夜も遅いというのに、人だかりのざわめきがココからでも聞こえてくる。カッと照らされた光に振り返れば、パトカーがサイレンを鳴らして通り過ぎて行く……何だろう?
人だかりの群れが、まるで口を開けるかのように蠢く。『警察車両が通ります、道を開けてください』パトカーの指示に、ようやく開かれたその奥へとパトカーが吸い込まれて……喧騒と共に、閉じられてしまった。
……私の錯覚でなければ、だ。今の一瞬、人だかりの向こうに見えたのは、パトカーが三台と、救急車が一台。集まっていた警官たちの顔には、まるで事件が起こったかのような物々しさを見ることが出来た。
いったい、何が起こったのだろうか。経緯が分からない私は、しばしの間、呆然とビールを傾けていく。落ち着くまで新たに2本も飲まなければならなかったが、そのおかげで多少なりとも平静になることは出来た。
(そういえば、こんだけ飲んでいるのに催さない……鬼の身体って便利だな)
おっと、私は思わず自分の頭を叩く。困難を前にしてどうでもいいことを考えてしまう癖が幼いころからあったが、どうやら少し酒が回ってしまったようだ。
とりあえず人だかりの向こうで何があったのかを探ろうと思ったが、私の居力では全く見えない。背伸びして様子を伺うも、根本的に高さが足りないせいで結果は同じ……ふむ、面倒だが、聞くしかないか。
「もし、そこの人」
「はい……おや、見ない顔だね」
誰に言うでもなく尋ねてみたら、振り返ったのは近所に住む犬好きのお婆さんだった。お婆さんはしばし不思議そうに私の全身を見回していたが、「こんな夜更けに出歩いてちゃあ駄目だよ」そういって咎めるように私に笑顔を向けた。
(おお、この婆さんはこんな顔も出来るのか……)
以前、その犬に吠えられたことがあって苦手意識があったが、(お婆さんも、私に対しては警戒意識があったようだが、失礼なやつだ)少しばかり考えを改めよう。
「いったい、ここで何があったんです?」
「え、うーん……」
私としては当然の質問であったのだが、お婆さんにとっては答え難かったようだ。何を悩んでいるのかは知らないが、さっさと教えろと私が心の中で念じると、お婆さんは「あんまり、大きな声では言えないんだけどね」声を潜めて私に顔を近づけ――。
「殺人事件があったらしいんだよ」
「えっ」
――臭ってきた加齢臭に嫌気が差すと時を同じくして、私は思わず声を荒げた。
「こら、大きな声を出しては駄目だよ」その私の反応に驚いたババァが声を荒げた。
幸いにも周囲の喧騒と集まった車両のエンジン音のおかげで、私の声はかき消されたようだ。
「どうも、物取りみたいでねえ。男の人が死んだらしいけど、かわいそうに……胸を一突きらしいよ」
「なんと……」
それはまた、惨い話だ。かくいう己の屍も、胸を一突きされて死んでいたが、きっと苦しかったに違いな……ん?
脳裏を走る嫌な予感と、背筋を伝って行く冷や汗。「ここいらも物騒になってきちゃったねえ」なんまいだ、なんまいだ、と手を合わせて成仏を祈るお婆さんに、「一つ、お伺いしたいのだが――」気付いたら私は声を掛けていた。
「至極単純な興味からなのだが、その死んだ男の人は、どんな男でしたかな?」
「え、どんなって……まあ、暗そうな男だよ。何をやっているかは知らないけど……ほら、あそこの部屋の人だよ」
お婆さんが指差した先へと視線を向ける。直後、私はぐらりと目の前が揺れるのを実感した。気づいたお婆さんが気遣ってくれたが、私は大丈夫だと言って、喧騒に背を向けた。
続々と集まってくる、野次馬たち。遠くの方から聞こえてくるサイレンを耳にしながら、何食わぬ顔で路地を進む。たどり着いた近くの公園に人の影が無い事を確認した私は、空いているベンチに腰を下ろし……大きくため息を吐いた。
「おいおい、まだ一日も経ってないだろ……誰だよ、通報したやつは……!」
ポツリと零した私の悲哀は、誰の耳にも届くことは無く。
「……せめて、色々と処分する暇を与えろよ……おい……おい……!」
色々と考えるのが面倒になった私は、とりあえずチーかまを片手に晩酌をすることにした。こんな状況でも美味いと思える酒の味が、初めて憎らしいと思った。
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