第27話俺と停学

『先輩はバカですか?』


 夕方。俺のスマホに届いた静香からのラインのメッセージはその一文だった。

 俺はそのメッセージを見ると一度だけ視線を自分の部屋から見える静香の方へ向けたが、決して窓に駆け寄ってまで外を見ようとは思わなかった。

 現在俺の机の上には茶色い封筒と一緒にこう書かれた紙が置かれている。


『月神忍。上記の物を三日間の停学に処す』と。


 つまりそれは俺の停学通知だった。


「あれだけ暴れたっていうのに三日間程度で済んだってことは、霧道か会長が何かしたか?」


 俺は自分がやったことを思い出し、その逆算からこの程度の罰では軽いと思うと、学校の理事長の娘である会長の顔を思い浮かべた。


「それにしてもこの分だとまた、あらぬ噂が広まってそうだな」


 流石の俺も停学になってはどうすることもできない。そもそもなぜ俺だけ停学処分なんだ。これではあまりにも不公平だ。

 俺はそう思って自分の右頬に貼られた湿布に触れた。


「本当にあのイケメン、本気で殴りやがって。運動部の奴が、帰宅部を殴るなんて流石に非道徳的だぞ」


 まあ、背後からドロップキックを食らわせた俺が言えるわけではないのだが。だがしかし俺がそんなことをするのには勿論理由がある。だが、その理由を俺は静香に知られたくなかった。だから俺はそれを誰にも話さない。ただ静香を護る為に。


 俺があのイケメンにドロップキックを食らわせた理由。それは主に静香に頬を叩かれた腹いせなのか、最近静香のありもしない陰口を広めていたからだ。

 俺は以前も言った通り、静香を泣かせる奴は絶対に許さない。きっとそれが何十人でも何百人だろうと絶対に後悔させる。その思いに変わりはない。だから今回、俺は静香の陰口を広めていたあいつの背後からドロップキックをした。


 だがしかし俺は別に感謝されたくてそれをしたわけじゃない。ただ自分が好きな相手をバカにされ、腹が立った。たったそれだけだ。

 誰だって自分に近しいもの。または自分が大切に思っている相手の悪口を聞いて良い気分がする人間はいないだろう。勿論、俺だってそうだ。俺もそれは気に入らない。だから先制攻撃の後殴りかかった。だから蹴りも食らわせた。


 だがどちらにしろ、喧嘩をしたのは事実だった。だから今日は静香が俺の部屋に来なかったんだろう。あいつは喧嘩をするような人間は最低だと昔、俺に言っていた。だが俺は、あいつに嫌われたとしてもあいつを嫌いにならない。

 本当に我ながら、気持ち悪い。でもこれが俺なりの愛情表現なのかもしれない。口に出そうとしても、その言葉は途中でかき消されてしまう。だから俺はいつも影からあいつを護っている。きっと本人としては寧ろ俺を護っているつもりなんだろう。


「でも、喧嘩をしたのはまずかったな。また俺の悪名が広まってしまう」


 以前、静香に周囲の視線を気にするように言われて以来、俺も少しずつ変わってきたのかもしれない。以前までの俺ならきっと周囲の反応など気にしなかった。

 だが今は気にする。そうしなければ自分よりも大切な誰かが悲しんでしまうから。俺自身はいくら泥を被ろうが構わない。寧ろ、泥の塊となって生きた泥の銅像になってしまってもいいくらいだ。だが彼女はそれを許さない。


 一人で抱え込まないで、と言う。

 一人で頑張らないで、と言う。

 一人で辛かったねと慰めてくれる。

 きっとそんな声を掛けてくれる人間は長い人生の間にそう簡単に出会えるわけじゃないのだろう。だとしたら俺は幸運だ。そんな人と人生の早い地点で出会うことが出来たのだから。



                  *



 停学が明けて学校に行くとそこではもう既に、俺のあらぬ噂が広まっていた。本当にあのイケメンは顔のカッコよさとは裏腹に中身はブサイクだ。

 しかも噂なんかで俺を攻撃できると思っているとしたら、本当にバカとしか言いようがない。そもそも俺がそんなことを予想できなかったとでも思っているのか。


 俺は最初からあいつのこの行動を誘発させるためにワザとあいつから恨みを買うことにした。確かに俺にメリットはない。だが俺の噂に上書きされ、静香の今まで広まった噂はほとんど死滅してしまうだろう。俺の目的はそれだけだった。


 先ほども言ったように俺は静香を泣かせたり苦しませるような奴は許さない。そしてそれは静香の為だったとはいえ、喧嘩をしてしまった俺も同様だ。

 これは喧嘩をしてしまった俺への罰だ。

 大丈夫。悪意に晒され続けるのには慣れている。だから我慢なんかもする必要はない。ただ聞き流せばいいだけだ。


 俺はそう思って、自分に向けられる刺々しい視線の中を歩く。決して胸を張ることはなく、それでいて落ち着いた様子で。苦しくてもそれを顔に出さないように。

 本当にあいつに伝えなくてよかった。もしもあの後輩が、俺のやろうとしていることを知っていたら、間違いなく怒られていた。

 そんな風に助けてもらっても嬉しくないと。もっと誰も悲しまない方法で助けてくれと。だがしかし俺はこう言う方法でしか人を助けられない。


 非力だから。俺がその人の代わりに悪意の渦に飛び込むしかないのだ。

 自己犠牲? 俺が今やっているのはそんなものじゃない。俺が今しているのは、自己犠牲などではない。ただ自分が静香を助けたと満足するため。そのためだけの行為だった。

 だから俺は静香にも何も話さないのだろう。こんな自分を知られてがっかりされたくないから。

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