第3話 春はなにかと眠いカメ……
みなさん。
だんだんと暖かい日が増えてきましたね。
春の足音が聞こえてきそうです。トタトタトタと。
しかし、春といえば、春眠暁を覚えず。あたしも、暖かい日が続くと、どうにも眠くなってしまうんですよ。
でも、これってちょっと不思議な話じゃないですか。熊とか蛇なんかはむしろ春先に起き出してくるのに。人間はなぜ春に眠くなるのか。
これなんですけれども、あたしはこう考えているんです。
というのは、冬の間ってどうしてもこう、寒くて寝付けないじゃないですか。なので、その分のつけが春に回ってきている。だから春先はもう眠くて眠くてしょうがないんだ、と。
ま、それはともかくです。
今回はですね、あたしが高校一年生のころの春先にあった出来事について、お話したいと思うんです。
ちなみにあたしは転校してここの高校にやってきたんで、そのころは別の高校に行っていたんですけれども、そこでは、春先に海辺の公園にハイキングに行くという学校行事があったんです。
これは多分、クラスの顔をなじませるための行事だったんでしょう。なのであたしもクラスのみんなと、バーベキューをしたりですとか、あるいは簡単なレクリエーションなんかをしたりして、わいわい楽しんでやっていたわけだったんですが。
それも過ぎて、あとは自由時間となったとき。
周りの子達は例えば辺りを散策したり、会話に花を咲かせたりしていたのですが、あたしはですね。やはり春ですから、なんだかすごく眠たい気持ちになってきたんです。
するとですね、なんというタイミングでしょうか。そこの芝生の上に、なんとも寝っ転がるのにちょうどいい大きさの、平べったい岩がありまして。例えるなら、それはまるでちょっと硬いベッドのような形で、あたしはそこに呼ばれているかのような心地がしたのです。
呼ばれてしまったら、しかたない。あたしは「せっかくなので……」とそのベッドにお呼ばれしまして、その上に横になり、軽く目を閉じまして。
するとですね、予想以上にあたしは眠りを欲していたのか。意識はすぐさまに飛んでいきまして、あたしは瞬間的に眠りに落ちていってしまったんです。
――さて、そのままいったい何時間眠っていたのか。それはわかりません。
ただ、多分あたしはケーキのバイキングとか、そういう幸せな夢を見ていたはずです。
次々と運ばれてくる様々なケーキ。
ショートケーキ、ザッハトルテ、モンブラン……。
やがて、テーブルの上を埋め尽くす、ケーキの数々。
さあ、いよいよ食べようという算段になり、一口目はこれか? ……いやいや、これか? よし、これにしよう! いただきま……。
ふっと目を覚ましたときにですね。あたしは海のど真ん中で寝ていることに気がついたんです。
あたしはすぐには状況を飲み込めませんでしたね。ただ、あっけにとられてボーっとするだけだったと思うんですが。
しかし、やがてはた、と我に返りまして、あたりを見回したところ。右も海。左も海。前も海。後ろも海。海海海海海海海海! やっぱり四方全体海だったんです!
――じゃあ、下は?
そう思ってあたしが下を向きますと、そこには確かにあたしが横になった岩がありまして。
……なるほど、この岩がプカプカと浮いていて、あたしはその上に乗っているのか。
そうあたしは一瞬納得仕掛けたのですが、いやいや、そんなことはあるはずがないわけでして。ではどういうことだ? と思って見てみますと、岩の端になにかひょこひょこと動いているものを発見したんです。
それは一体なんなのか。あたしはこれを確認するために慎重に岩の上を這いながら覗き込んでみたんですけれども。
……結論から言いますと、それは亀のあたまでして。亀はどこかに向かってのろのろ、ゆっくりと泳いでいっているようだったんです。
――って、ちょっと待って!? いったいあたしをどこに連れて行くつもりなんでしょうか。この亀さんは。おーい、亀さーん? おーい!
……しかし、亀さんからの返事はありませんで。
おーい、亀さん! おーい! とそれでも必死に甲羅をぺちぺちと叩いていると、やっとこさ気がついたのか、にゅっと首がこちらに伸びてきたんです。
そしてそのあと一拍を置いてのち、亀さんの目は次第次第に見開かれていきまして。その顔は驚きに満ち溢れて、曰く。
「いやぁ、あなたは、だれですかぁ?」
――それは実に緩慢極まりない驚き方でありました。
さて。
そこからあたしは、亀さんに自己紹介と事情の説明をしたんですけれども。
なんでもですね、話を聞いてみたところ、亀さんは亀の中でも特に『ガラパゴスケータイガメ』という名前の亀さんらしいんですね。ただし、生まれは日本だそうでして、しかし自分の名前に冠されているガラパゴス諸島というものを一度は見て死にたい、ということで、今はガラパゴス諸島に向けて、ゆっくりと旅をしていらっしゃるそうなんです。
……って言って、みなさんすんなり納得できましたか? いえ、あたしもどういうことだよ、って思ったんですけれども。
まあでもこれをあたしはぐっとこらえて納得したふりをしまして、それはともかく、あたしは先程の公園に帰りたいという気持ちだけを亀さんに伝えたんです。
するとですね。亀さんは「うぅ~ん。そうだねぇ……」とゆっくり頷いた後、シュルッと首を引っ込めたんですよ。
……ぐらり。
そのときですね。唐突に亀さんの甲羅が持ち上がっていきまして――。
いえ、持ち上がったのではありませんでした。正しくは亀の甲羅がパカっと開いたんです。といってもガルウィングみたいな開き方ではありませんよ。そうではなく、そう、まさにガラケーみたいな感じで。
となれば、自明の理。背中に乗っていたあたしはそのまま海の中にどぼーんと投げ込まれてしまいまして……ぶくぶくぶく!?
それがあまりにも唐突なことだったものですから、あたしは思いっきり水を飲んでしまいまして、喉がカラカラになってしまったわけなんですが。
それでもなんとか這い上がったあたしに対して、亀さんはこんなことを言いましたね。
「おやあ? ミュンさん。こんなはるに、ふくをきたまま、うみをおよぐと、かぜをひきますよお?」
……あたしは返す言葉も見つからなかったんですけれども。
まあ、それはさておき。亀さんはビショぬれのあたしに向かってこんなことを言いました。
「それで……ミュンさん。あなたは、あなたのおうちの、でんわばんごう、って、ごぞんじですか?」
「そりゃ知ってますよ」
「それは、よかった」
突然の質問にあたしがそう答えると、亀さんはうんうんと頷きまして、こう促してきました。
「では、いまから、そこに、かけてみましょう」
「掛けてみましょうって……まあ確かに、それはいい考えかもしれませんが」
かくしてあたしはスマホを探しはじめたんですが。あれ? ない! ここにもない! ここにもない!
――そうか、家に充電しっぱなしで忘れてきたんだった!
この結論にたどり着いたとき、あたしは愕然としましたね。スマホはなくても気が付かない限り平気の平左でいられますが、無いと気がつくと不安になるものです。こんなことでは本当に家に帰れないかも……。
しかしですね、亀はそんなあたしを見ながら首をかしげて言ったんです。
「どうしたん、ですか? はやく、ボクのこうらを、おしてくださいよ。じゃないと、かけられないですよ?」
――どういうことかと言いますと、なんとですね。この亀さん。甲羅がモノホンの携帯電話になっているそうなんですよ。
だから、ボタンの代わりに甲板を押せば、それで電話がかけられる、と。そういうことだったんですね。
さすが、ガラパゴスケータイガメを名乗っているだけのことはあるということでしょうか。
あたしは少々救われたような気持ちになりまして、亀さんの甲板を指で軽く押してみたんです。
――しかしですね、長年の劣化故か、あるいは亀さんが成長したためなのか、硬くて全然ボタンが押せないんですよ。
なのでしばらくパシパシと叩いたり、肘でガシガシ押してみたりといろいろ試してみまして。やっと、勢いよく足で踏み抜くことにより入力することができたんです。
さて。かくしてあたしは、自分の家の電話番号をすべて入力しまして、電話をかけたんですが。
……プ――。
――しかしですね、なかなかこの電話が繋がりませんで。
……プ――。
……。
あたしははじめ、もしかしたら家に誰もいないんじゃないか? とも思ったんです。でもですね、この音、呼び出し音とはちょっと違うじゃないですか。要するにちゃんと掛かっていない。電波が拾えていないみたいだったんですね。
そこで、亀さんがまたこちらに首をにゅっと向けてきまして、こう言ったんです。
「ミュンさん。アンテナを、ひっぱってくれませんか? そうすれば、もしかすると、でんぱが、とどくように、なる、かもしれない」
アンテナ……?
あたしは亀の甲羅の下を覗き込んでみて、よく探してみました。するとですね、確かにそこにはガラケーのアンテナらしきものが見つかりまして。引っ張ってみるとにゅーっと伸びたんですよ。
これが結構長くまで伸びるので、あたしは面白くなってガンガン伸ばしてみていたんですけれども。
……するとですね、なんと、途中で根本からアンテナが外れてしまったんです。
あたしはびっくりして後ろを振り向いたんですけれども、しかし亀は一向に気がつくようすもなく。どころか。
「あ~。いいですねえ……。アンテナをのばすと、でんぱが、つよくなってきた、きがします」
とか言ってるわけなんです。
なのであたしはもう、これは黙っておこうと思いまして、そっとアンテナをもとに戻したわけでした。
さて。
まあ、こんな調子ですからね。電波も拾えるわけもなく。結局家に電話をかけることはできず、ただ無為に時間を浪費しただけのことになってしまったわけでして。
あたしは試みが失敗に終わってからというものの、ぼーっとした目で水平線を眺めることしかできませんでしたね。はぁ、このまんまあたしはガラパゴス諸島に行くことになるのか……。
気分はもうドナドナの心地でした。状況としてはロビンソン・クルーソーなんですけれどもね。
――と、そんなとき。はたと思いついたんです。
いや、亀さんに送ってもらったらいいのでは……? と。
「ねえねえ、亀さん」
あたしは言いました。
「あの、もしよければあたしを公園まで連れて行ってくださいません?」
……いえ、これはあたしの命がかかった問題ですからね。亀さんが断るはずは当然無いと思っていたんですよ。
そもそもここまでに結構いろいろ話したりもしているわけですから、言ってみればともだち、みたいなところも、ないわけじゃないじゃないですか。
それだったら、きっと頼みを聞いてくれるんじゃないかなーと、そう思っていたわけでして。
――これに対して亀さんはこうお答えでした。
「それはいやです」
……あたしはけっこう焦りましたね。
「え、な、なんで……」
「それは、ですね」亀さんは言いました。「けっして、あとには、もどらない。それが、ボクの、ぽりしーですから」
「ぽ、ぽりしー?」
あたしはちょっと耳を疑ってしまいました。なんせあたしはここを逃せば、死への花道まっしぐら、といった心持ちでしたからね。ポリシーなんて言葉が返ってくるとは思っていなかったので。
しかしですね、あたしが恐る恐る亀さんの目を覗き込みますと、そこには確かに断固として拒否という意思が感じられまして。
こうなってはあたしとしても、亀さんを公園に仕向けるためになにか策を練らないといけないと思ったんです。
――さて、どうするべきか。
あたしは脳みそをフル回転させながら辺りを見回しました。海が見えます。波が見えます。他には何も見えません。そりゃ、そうでしょう。ここは海上なんですから。
しかしあたしはなおも根気強く周囲を凝視しまして、そのとき。
――あたしの目に飛び込んできたのは、あの、柄の取れたアンテナでした。
あたしはですね、アンテナを手に取りまして、するするするっと伸ばして亀さんの甲羅から取り外し、水面にチャポン、とつけてみたんです。
亀さんはあたしがやっていることについて、まだ気がついていません。
あたしはおもむろに、ゆっくりと水面を掻いてみました。くいくいくいっと。
……はじめ、それはなんの効果ももたらさないかと思われました。
しかしですね、めげずに何度もやっていますと、なんと。亀さんの進行方向が次第に変わっていっていることに気がついたんです。
これは使える。あたしはそう直感しましたね。
名付けて、気がついたら公園に向かっている作戦! だんだんだんだん、大きなカーブを描くようにして、亀さんを後ろ向きにしていく要綱です。
ことは精密さと隠密性を要しました。が、あたしは全神経を集中させて仕事に取り掛かりましたからね。結論から言えば、これは大成功しました。
亀さんは少しおっとりした方ですからね。あたしが仕組んだ手品に、見事に乗っかってくれたんです。
あたしは亀さんを騙すことに若干の罪悪感も抱きつつ、しかし、しめしめとも思いながらアンテナを戻したのでした。
――さて。
かくしてあたしは、公園へ戻る手立てをこしらえることに成功したのですけれども。
しかしですね、いざ、やることが済んでしまいますと、痛感いたしましたよ。
海の上は暇ですね。ええ。
イラストに描かれた漂流者がみんな釣りをしているのもわかる気がします。あたしも竿があれば絶対釣りしてましたもんね。仮に餌も針もなかったとしても。それくらい暇なんですよ。
あたしは退屈を紛らわせようとして、いろいろなことを試しました。
亀さんと一緒にしりとりもやったし、早口言葉もやったし。あまりに何もなかったんで、亀さんとメール交換すらしてしまったんですけれども。
……ちなみにですね、みなさん。亀さんが早口言葉をやるとどうなるか、想像つきます?
答えはですね、めちゃくちゃゆっくりになるんですよ。
それで亀さん、めちゃくちゃゆっくりに間違えるんです。
「あか、まきがみ。あお、まきがみ。きぃ、がめぃ、がむぃ……。あぁ、まちがえた」
……。
まあ、始終こんな調子ですからね。
あたしはもう次第に耐えきれなくなってしまって、まぶたが下がっていきまして……。
くぅ。
と、眠りに落ちていってしまったんです。
――。
――さて。
かくして再び夢の中を漂っていたあたしだったんですが。
それも覚めて、ふっと気がつくと、あたしはもとの公園に戻っていたわけなんです。
さらに言えば、位置もはじめに横になったところとほとんど同じだったんで。
あれっ? 夢かな? 妙な夢を見たものだ。と思ったんです。
ですが、どうも違うらしい。
というのは、あのあたしがゴロンと横になった岩。あれはなくなってしまっていたんです。
……と、そのとき。
ぺたりと濡れた布の感触がしました。
同時に唐突な寒気までも襲ってきまして。
ブルン。
そりゃ、そうでしょうね。なんせあたしは全身ビショビショだったんですから。へくしゅ。うー、寒い寒い。
もう春だっていうのに、あたしは全身ガタガタ震えるのを止められませんでした。
まあ、そんなわけですから、あたしが戻ったときも、周りからびっくりされまして。
もしや浮かれて海にでも飛び込んだのか? と心配ないし煽りを頂戴したんですけれども。
しかしなんとかジャージを借りることができまして、事なきを得たんです。
……まあ、そのあと風邪は引いたんですけれども。
さて。かくしてこのお話はおしまいなんですが。
ちなみにですね、そのあと亀さんからメールが届いたんです。
そこにはですね、簡単に「ガラパゴスケータイガメです。よろしく🐢」とだけ書かれておりまして。
だからあたしも、「メールありがとう! ミュンです。これからもよろしく😆」と送ったわけなんです。
……しかしですね、その返事はあれから一年弱たった今も、まだ来ていませんで。
これはもう忘れられているのか、それとも亀だけにすごい亀レスなのか。どっちなのかはわからない次第なんです。
さて、ということで、今回のお話はおしまいです。
みなさん、ご清聴ありがとうございました。
ものかたり部ミュンのみょんなほら話 米占ゆう @rurihokori
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