第27話
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「加納先生、一番に電話です。板垣順平の親御さんから」
放課後の職員室だった。声の主は西山主任で、加納久美子は目の前の受話器に手を伸ばした。「もしもし、加納です」
また学校の外で何かあったのか? 今度は手塚奈々のことじゃないことを願った。お好み焼き屋のアルバイトは西山先生に注意されて辞めたと聞いている。
「先生、板垣順平の母親です。いつもお世話になっています」
「こちらこそ」
「すいません。お忙しいのは分かっていますが、これからお伺いしても構いませんか?」
「は、はい」いきなり学校に来るって、それほど急を要する話なん
だろうか。「どういう御用件でしょうか?」
「息子のことです」
「はい。それで」もっと詳しく聞きたい。
「最近なんですが息子の様子が前と全然違うんです」
「どんなふうにですか?」
「テレビ・ゲームに夢中で……」
「……」
「先生、電話じゃ上手く説明できません。今から行かせて下さい」
「わかりました。お待ちしています」相手の切迫した態度に圧されて、そう応えるしかなかった。
板垣順平の母親が現れるまで加納久美子は考えた。ゲームに夢中が、それほど深刻な問題なんだろうか。学校での彼の様子を思い起こしたが特に変わったことはなかった。もしかして自分の知らないところで何か変化が起きていたりして。
安藤紫先生が机に向かって仕事をしているのが見えた。席を立って彼女に声を掛けた。「これから板垣くんの母親が来るんだけど、一緒に話を聞いてくれる? なんか深刻な問題らしいのよ」
「どんな?」
「あの、……それがテレビ・ゲームに夢中らしくて」なんか腑に落ちない気持ちが口調に表れて言葉が弱々しい。
「テレビ・ゲーム?」訝しげな顔。
「うん」
「それって家庭の問題じゃないかしら。あたし達に何が出来るって言うの?」
「……そうだけど。きっと話を聞いて欲しいんだわ」安藤先生の言う通りだ。しかし加納久美子は一人じゃなくて誰かと一緒に聞くべきだと、そんな気がしてならなかった。
「……」安藤先生は机の上に広げた書類に目を落とした。言いたい事は分かる。この忙しいのに、だ。
「お願い」
「わかった。いいわ」
「ありがとう」これで借りができた。何かで御返ししよう。
三十分もしなかった。ノックがして職員室のドアが開き、板垣順平の母親が姿を現すと加納久美子と安藤紫は同時に席を立って迎えた。普段着のままみたいだ。いつもは地元の商工会では有力者という感じで着飾っているのに。応接室の方へ通す前に同僚の女教師を紹介した。
「こちらは美術の安藤先生です。お話を一緒に伺ってもよろしいですか?」
母親は厳しい表情を変えない。「いいえ、困ります」口調は強かった。「加納先生と二人だけで話し合わせて下さい」
「わかりました」加納久美子は言うと、安藤紫の方を向いて頷いて見せた。彼女も頷き返すと、「では失礼します」と母親に言って自分の席へ戻っていく。拒否されたのなら仕方ない。一人で聞くしかなかった。
テーブルを挟んで向かい合って座ると母親は口を開いた。「学校での順平の様子はどうなんでしょう?」
「はい。私の見る限りですが、別に変わった様子はありません」
「これまでと全く同じということですか?」
「そうです。ほかの先生方からも特に何の報告もきていませんし」
「……」母親は黙った。途方に暮れた様子だ。
「テレビ・ゲームに夢中、ということですよね?」確認の意味で久美子は訊いた。今はそうかもしれないが、そのうち飽きるだろう。そう母親に助言して安心させたい気持ちがあった。
「転校生って、どんな生徒なんですか?」
「は?」意外な質問に驚いた。どういうこと?
「今年になって転校してきた男子生徒のことです」
「どう彼が関係しているんですか?」
「ゲームです」
「はい」それだけでは分からない。久美子は先を促した。
「ゲームは転校してきた奴から借りたんだ、と息子は言ってました」
「……」黒川拓磨が……。何か嫌な予感が頭を過ぎる。
「どうして、あんなゲームを息子に貸したのか……」
「お母さん、いずれ順平くんはゲームに飽きると思いますよ。今は始めたばかりで--」
「そうは思いません」
「……」母親の強い口調に久美子は驚いた。
「先生」板垣順平の母親は一段声を高くした。そして次に口にする言葉の重要性を高めようとしたのか、少し間を置いて続けた。「テレビには何も映ってないんです」
「えっ」事情が飲み込めない。「ど、どういうことですか?」
「順平はゲームに夢中になっている格好こそしていますが、見ているテレビの画面には何も映っていません。白黒のノイズだけがパチパチと流れているだけなんです」
「……」加納久美子は言葉を失う。
「まるで悪霊か何かに取り付かれたみたいで異様な姿なんです。昨夜ですが主人が見かねて止めさせようとしました。そしたら怒り狂ったように殴り掛かってきたんです。父親にですよ」母親は言葉を止めるとハンカチで顔を覆った。「信じられますか、先生。こんなこと初めてです。もうどうしていいのか分からなくて……。助けて下さい。お願いします、加納先生」
板垣順平の母親は応接室のソファに泣き崩れた。その姿に商工会の有力者の妻というプライドは微塵もなかった。加納久美子は、どう応えていいのか分からない。その場から動くことすら出来ない衝撃を受けていた。
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