第21話

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 ずる休み。今学期に入って四回目だ。母親は知らない。ざまあみろ。もうアンタの言いなりにはなりたくない。

 古賀千秋の母親に対する怒りと憎しみは、とうとう我慢の限界を超えた。これからは悪い事に手を染めてやろう。勉強だって、もうやる気を失いつつあった。

 さあ、今日はどうやって一日を過ごそうか。もうテレクラ遊びは飽きた。

 電話してバカな男たちと話すのは初めは愉快だった。なんとかデートにもちこもうと言葉巧みに誘ってくる。

 「歳はいくつ?」

「十八だけど」まさか十四歳とは言えない。十八から二十一歳の間で答えていた。

「じゃあ、まだ学生?」

「そう」

「今日、学校は?」

「休んじゃった。最近は何もかもがつまらなくて」ここでエサを撒く。話の流れで、「ボーイフレンドと別れたばっかりなんです」と言うこともあった。

「気晴らしにドライブでもしようよ?」か、それとも「どっかで一緒に飲まない?」と誘ってくる。

「いいよ」行きません、なんて返事したことない。

 時間と待ち合わせ場所を決めて電話を切る。ほとんどがそこで終わり。約束はすっぽかす。以前に二度ほど男の声と話し方が良さそうだったので、待ち合わせ場所まで自転車で行ってみたことがあった。でも本人を見てがっかり。そ知らぬ顔で通り過ぎてやった。会話でバカな男たちを手玉に取るのは面白い。

 話していて、馴染みのある声に驚いたことがあった。聞き覚えがあるけど、なかなか思い出せない。誰だろう。しばらく話していて急に、相手の口調で思いつく。やばいっ。学年主任の西山先生だ、間違いない。古賀千秋は急いで電話を切った。これを最後にしてテレクラ遊びは止めた。

 今日もテレビのワイド・ショーを見て過ごすことになりそうだ。読みたい本もなし。聞きたい音楽もない。見たいレンタル・ビデオもなかった。でも、じっとしていると母親への怒りは募るばかりだった。

 何点取っても母親は満足してくれない。難しいテストで学年でトップの八十点を取れた時でも、自分は嬉しくても、母親の言葉は「その程度で喜んでいちゃダメでしょう。あんたには小口先生という家庭教師を付けているんだから、もっと頑張ってくれないと困る」だった。やる気を失う。怒りと憎しみを覚えた。

 七十点なんか取ろうものなら、家に帰ってからの叱責は恐怖に近いものがあった。前の席に座る手塚奈々が四十五点で世界制覇したみたいに大喜びしているのとは正反対だ。

 幼少の時に怯えた母親の言葉は、「ダメでしょう」と「早くしなさい」だ。小学校に入るとそれが、「何やってんの、あんた」と「いい加減にしなさい」、それと「何度言ったら分かるのよ、あんたは」の三つに変わる。

 三年生の時の作文で、ほとんど父親は家に居ないと事実を書いたところ、母親に怖い顔をされて叱られた。みっともないことは書かなくていいと言うが、どういう事がみっともないのか説明はなかった。

 生理が始まったときは、母親がどんな態度を取るのか分からなくて怖かったので伝えられなかった。一ヶ月近くも経ってから言ってみると、案の定で聞こえない振りをされた。娘が成長して女らしくなっていくことを快く思っていないことは明らかだった。胸が膨らみだして、「あたし、ブラジャーをした方がいいと思うんだけど」と控えめに言ってみると、返ってきた答えは「そんなの必要ない」だった。

 仕方なくクラスメイトの篠原麗子に付き合ってもらって、アピタで適当なサイズを選んで小遣いから買った。

 中学生になると勉強とクラブ活動で忙しくて、母親の話を聞いていられる時間が少なくなる。すると「こんなに苦しんでいるのに愚痴の一つも聞いてくれないの」という言葉を浴びせられた。

 もう子供じゃない。話の内容が理解できるようになって、母親にも非があることが分かる。ところがそこを突くと、「あなたに何が分かるの」と「あたしがどんなに大変だったか知らないくせに」と激しく反撃してきた。

 クラブ活動で疲れて帰ってきたところを、成績のことで文句を言われて、とうとう不満が破裂する。「お母さんが中学生だった時よりも、あたしはいい点を取っているんだから黙っててくれない」と言い返した。母親はやっと君津商業へ進学できるぐらいの成績だったと、父親から聞かされていた。ショックだったのか、しばらく沈黙が続いた。母親は静かに部屋を出て行った。

 その後の母親は人に会う度に、「あたしは子育てに失敗した」と本人を前にして言いふらす始末。あの女ならではの仕返しだ。自分を否定されているようで酷く辛い思いをさせられた。

 もう許さない。絶対に許してやらない。

 良い子でいること、いい成績を取ることを強く求められ続けて、もう疲れた。それは娘である千秋の為ではなかった。すべてが世間体の為だ。もうイヤだ。母親の操り人形でいることに耐えられなかった。

 「あんたの為だから」という言葉にもうんざり。そう言っては娘の行動に干渉してきて自由を束縛するのだ。

 これからは自分のやりたいように生きていく。服も着たい服を着る。肌の露出が大きいセクシーなのが好き。ミニスカートが穿きたかった。脚には自信がある。あのバカな手塚奈々にも負けていないと思う。

 アピタとかで女らしくて大人っぽい服を選ぶと、母親は顔をしかめてこう言う。「千秋には似合わない。そんな服を着て歩いているところを人に見られたら、何て思われるかしら。ダメよ、ほかのを選んで」

 ずっと地味で野暮ったい服ばかりを着せられ続けた。まだ中学生なのにオバさんみたいな格好だった。このままだと母親みたいな大人になってしまう。そんな危機感を覚えた。

 オシャレな服が着たい。母親は買ってくれないから自分の小遣いで買うしかない。

 幸いにも山岸涼太と相馬太郎、それに前田良文の三人が、千秋が指定した商品を万引きして安く譲ってくれた。連中から切れ者の関口貴久が転校して抜けたことは心配の種だったが、ビジネスは今のところは順調に行っている。

 ここにきて古賀千秋は新たなアイデアを思いつく。山岸たちの万引きグループに加わることだ。欲しい物を自分で盗めばリスクはあるが金を払う必要がなくなる。それと母親を失望させる行為をしているという満足感が得られるのだ。

 「ねえ、あたし達も仲間に入れてよ。今度、一緒に行きたい」古賀千秋はリーダー格の山岸涼太に言った。

「ちょっと、待ってくれ。仲間って、どういう意味だよ」

「万引きグループに決まってるでしょう。あんた達が万引きした品物を学校で安く売っているのは、誰もが知っているわよ」

「古賀さん、声が大きいよ。今は、もうやっていないってことになっているんだから」

「あら、そうなの」

「そうさ。相馬が駅前のコンビニで捕まってからは、足を洗ったってことにしてあるんだ」

「でも、色々と売っているじゃない」

「どうしても金が必要なんだ。それで仕方なく」

「あたし達もやりたいの。一緒に連れてってよ」

「マジかよ、学級委員の古賀さんが……」

「本気よ」

「女には無理だぜ。ヤバい仕事なんだ、やらないほうが--」

「そんなこと分かっている。でもやりたいの」

「困ったな」

「あたし達のこと、足手まといだと思っているんでしょう」

「当たり前だろ」

「そんなことは絶対にない」

「どうして」

「あんた達が最も多く売る商品って、ほとんどが女物じゃないのかしら」

「そうだけど。可愛い下着なんかは女子が必ず買ってくれるんだ」

「女連れの方が商品に近づいても不審に思われないわよ。あたしと山岸くんで恋人同士みたいにいちゃついて、店員の注意を引くこともできるじゃない。仲間の仕事をし易くするのよ。どう?」

「なるほど」

「切れ者の関口くんが抜けた穴を、あたし達二人が埋める」

「分かった。古賀さんの言う通りかもしれない。一応、仲間に相談してみるよ。ところで、もう一人の女って誰なんだい?」

「小池和美よ。あの子は、あたしの言いなりだから」

「やっぱりそうか」

 これで決まりだった。次の土曜日が初仕事だ。その日のために古賀千秋はスニーカーや目立たない地味な服を選びながら、期待に胸を膨らませた。 

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