第19話

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 君津南中学校で二学年の主任を務める西山明弘は悩んでいた。最近まではすべてが順調だった。何もかもが上手く行く感じだ。しかし、ここにきて人生における最大の決断を迫られていた。

 始まりは去年の春に学年主任になれたこと。就任が決まっていた人物が交通事故に遭って休職を余儀なくされて、自分に白羽の矢が立つ。周囲からは、君津南中学校で最年少の学年主任だと祝福された。卒業したのは二流の大学だったが、ここで一気に出世コースに乗れたんじゃないかと自信を得た。目標にしていた教頭を通り越して、上手く行けば校長という地位に就けそうな気がしてきた。これからはヘマをしないで、しっかり職務を全うすることだと自分に言い聞かせた。学校、とくに二学年において絶対に不祥事は許されない。何かが起きれば管理責任を問われてしまう立場だ。イジメや暴力に対しては常に目を光らせた。

 主任手当てとして毎月の給与に五千円がプラスされたことは嬉しい。学生時代からの借金があって生活は苦しかった。中古で買ったレガシィのローンだって残っている。今にしてスズキかダイハツの軽自動車にすべきだったと後悔していた。自動車税は高いし、燃費はリッターで10キロに届かない。それにハイオク仕様だった。遊び仲間が大学卒業と同時にフォルクスワーゲンのゴルフGTIを買って、それに対抗意識を燃やしたのが拙かった。車自体は運転していて楽しいのだが、今の自分には維持していくのが大変だ。

 家賃を削るしかなかった。三軒目に訪れた不動産屋が探し出してくれたのが築三十五年を過ぎた木造アパートだ。ここでレガシィのローンが終わるまでは我慢するしかないと諦めた。

 もちろん外観はそれなりで古い。住んでみても多くの場所で不具合が見つかった。歩くだけでミシミシと建物自体が揺れる感じだ。もし大きな地震がきたらどうなるのかと不安だった。ただし入居者が少ない。両隣は空室で静かだった。

 意外なことに家賃は銀行振り込みではなくて、月末に一階の最も日当たりの悪い部屋に住む大家が自ら取りに来た。今時そんなの有りかよってな感じだ。五十代の母親と年頃の娘の二人暮らしで家賃収入だけで生活しているらしい。

 二度目のときに娘が家賃を取りに来た。洒落っ気のない普通の女だった。魅力を探すとしたら若いことだけだ。財布から出した金を受け取りながら、「学校の先生をしていらっしゃるんですか」と訊くので、「そうです」と答えた。すると娘の顔が、目の前に神が現れたかのような畏敬の表情に変わった。教師をしていると言って、そこまで崇められたのは初めてだ。同時に、このアパートにはロクでもない奴しか住んでいなさそうだと思った。

 事実、ほかに住んでる連中は建築現場の作業員みたいな汚い格好で部屋から出て行くか、生活保護を受けて一日中ぶらぶらしている年寄りしか見なかった。オレが唯一まともな人間らしい。

 三度目も娘が家賃を取りに来た。今度は少し世間話をした。いい感触だったので来月分も娘が取りに来るなと思った。その通りで、試しに西山は娘を食事に誘ってみた。丁度、新聞の折り込みでファミレスの割引券を見つけていたし。

 娘は、びっくりした様子だった。急に黙りこくって恥ずかしそうに頷いてみせた。デートに誘われたのは初めてらしい。

 土曜日の夕方、レガシィの助手席に乗り込んできた女の格好には西山がたじろぐ。まるでこれから結婚式に行くみたいな姿だった。ウエストに大きなリボンをあしらったピンク色のパーティー・ドレスだ。それがまるっきり似合っていない。サイズも大き過ぎるような気がした。化粧は歌舞伎役者ように厚かった。西山自身は紺色のチノパンツにサン・サーフのアロハだ。これから畑沢にある中華のファミレスへ行こうとしていたのに気が滅入った。知り合いには会いたくない。会えば、あのとき一緒にいた女の人は誰ですかと訊かれるにきまっている。きっと心の中では、あんなセンスの悪い女とよく一緒に食事ができるもんだと笑っているくせに。仕方なく同じ割引券が使える市原の店まで足を伸ばすことにした。

 食事中の会話は悪くなかった。女が西山を崇拝していたからだ。何を言っても興味深く聞いてくれた。気分がいい。その日のうちにアパートで肉体関係を結んだ。予想した通りで、処女だった。

 翌日から女が夕飯を用意してくれるようになる。これには助かった。味は不味いが金が浮く。セックスも毎晩のようにした。どんどん女が積極的になっていく。もうオレなしでは生きていけないってな感じだ。

 やばい。

 西山は女と所帯を持つことなんて考えていない。これ以上は親密になってはいけないと危機感を持つ。が、距離を取ろうとしても肉体関係は続けたいので難しかった。

 本命の女が勤め先の君津南中学校にいる。美術教師をしている安藤紫だ。一目惚れだった。ルックス、香り、笑顔、優しい性格、すべてに心を奪われた。

 特に、桃みたいな丸い尻が素晴らしい。ウエストの細いくびれと長い脚が更に魅力的に見せている。去年の夏だった、落とした何かを拾おうとして上半身を屈めた時、西山は幸運にも彼女の真後ろにいたのだ。ワンレングスの艶のある髪、華奢な背中、白いブラウスにブラジャーのラインがうっすら、そして大きなヒップが目に飛び込む。西山明弘は安藤先生のセクシーな尻に、しゃぶりつきたい衝動に駆られた。なんとか理性で自分を抑えたが、絶対に二度目は無理だと思った。

 なんてケツだ! こんなムチムチしたケツは見たことがない。今にもスカートの布がはち切れそうじゃないか。

 後ろから彼女を押し倒し、紺色のスカートの裾を捲くって頭を中に潜り込ませる。パンティの上から安藤先生の尻に顔を押し付けたかった。あのセクシーな尻に埋もれてみたい。

 しかし公立中学校の職員室で、いきなり女教師の尻に抱きつくことは日本国憲法が許してなかった。蚊がとまっていました、そんな嘘もこの場合は通用しないだろう。残念。欲望のままに行動すれば懲戒免職に直結するのだ。法律を守りながら生きていくってことは本当に難しい。  

 ああ、ヤりたい。ヤりたい。ヤりたい。安藤紫先生とヤりまくりたい。その日からは、ずっと頭の中で魅力的な美術教師の裸の後ろ姿を想像し続けた。授業中であろうが、食事中であろうが欲望の火が消えることはない。もしかしたら彼女は素っ裸よりも、衣服を着ていた方が逆に色っぽいかもしれないと思ったりもした。

 職員室にいれば、自然に目が安藤先生へと向いてしまう。仕事に集中できなかった。小テストの採点をしながらも頭の中では、安藤先生を四つん這いにさせて、後ろから大きな尻を両手で抱えて、オレの強力なミサイルを突っ込んでいるところを想像した。

 なんとかして親密な関係になりたい。何度も食事に誘った。しかし未だにいい返事をくれない。オレが嫌いなのか? いや、それはないだろう。なぜなら、ときどき親しげに話し掛けてきたりするからだ。オレが言った冗談にも笑って応えてくれるし。

 もしかしてオレは彼女の好みのタイプじゃないのか? 恋愛の対象にならないとか? だとすると問題の解決は難しい。

 優しく接して彼女の気持ちが変わるのを待つしかない。これは時間が掛かるので気が滅入る。手っ取り早いのは、やっぱり、オレにヤらせてみろよ、だ。すぐにタイプの男になれるだろう。これまでがそうだった。どんな女もオレに背後からミサイルを打ち込まれたら我を失う。持っていた自尊心は粉々に崩れて快楽の奴隷に成り下がる。ヒーヒー、ハアハアと喘ぎ声を漏らして、その目は虚ろ。タイミングを見計らって、オレがミサイルの核弾頭を破裂させてやると、女は身体を弓なりにして歓喜に悶えた。

 しばらく余韻に浸って、声が出せるようになって最初の一言は決まって、「もう一度して」だ。もはやオレの虜だった。

 安藤先生にも同じことが起きるのは間違いない。オレのミサイルを味わった途端に後悔の念に襲われるのだ。ああ、もっと早く食事に付き合うべきだった、と。

 あの手この手で西山明弘が、美術教師からデートの約束を引き出そうと画策していた矢先だった。君津南中学校は何人かの新任教師を迎い入れて、そこで計画が大きく狂うことになる。

 加納久美子、英語教師として赴任してきた女が西山の集中力を乱す。一目見た瞬間に気持ちが舞い上がった。

 憧れていた安藤先生とは全く違うタイプの女だった。痩せてスレンダーな肢体は、何か運動で鍛えられたアスリートという印象が強い。オッパイやヒップが特に大きいわけではない。安藤先生みたいに女らしい身体じゃない。それでも、どこか凄くセクシー。目つきとか仕草とか、男を引き付ける魅力を待ち合わせていた。

 知的な顔立ちは意思の強さを醸し出す。この女を口説くのは大変だと思った。それが故に西山は自分のミサイルを突っ込みたい強い衝動に駆られてならない。難攻不落な女ほどミサイル攻撃をしてみたかった。

 職場に二人のターゲットだ。これは拙い。高校の時にクラスに付き合っていた女がいたにも関わらず、他の女に手を出したことがあった。上手く行っていたのは一ヶ月だけだ。すぐに、どっちの女に何を話したか、どっちの女に何を約束したか、頭の中で混乱してしまう。最後は両方の女に二股がバレて破局した。

 安藤紫と加納久美子、どっちかを選ぶべきなのか。食事に誘っても未だにいい返事をくれない安藤先生を諦めようか……。いいや、それはできない。あの魅力的な尻を忘れられるもんか。ミサイルを撃ち込んでもいないのに。オレが諦めれば誰か他の男がミサイルを撃ち込むことになるのだ。そんなこと絶対に許せるもんか。俺が目をつけた尻だ。誰にも渡したくなかった。

 じゃあ、加納久美子を忘れるべきか。ああ、それも難しい。あの女は安藤先生みたいな尻を持っているわけじゃない。だけど、あの痩せた女には何か新鮮な魅力があった。若々しく、活力に溢れていて、躍動感に満ちていた。

 乗っている車はエアバックやABSも付いていない、十年以上も前のフォルクスワーゲンでマニュアル仕様だったが、それをサングラスを掛けて運転するする姿が実にスポーティでカッコいい。絵になっている。乗っただけで古い色褪せた乗用車をスタイリッシュにしてしまう女なんて、オレは今までに知らない。

 西山明弘は悩み続けた。超いい女が二人も自分の職場にいる。この幸運が信じられない。もしかしてこれは、どんなにブスでもしっかり女の相手をしてきたオレに対する神様からのご褒美か? それとも神様がオレに与えた試練なんだろうか。ここで、どう対処するかでオレの今後が決まったりして。

 可能性は低いかもしれないが、上手く立ち回って安藤先生と加納先生の二人をモノにするという期待は捨てていない。まるっきり有り得ない話じゃない。「あたし、二股でも構わないわ。これからも抱いてくれるなら」なんていう言葉を両方の口から言わせたら、これは最高だ。大成功。きっと神様も喜んでくれるに違いない。オレは人生の勝利者と言っていい。

 その勢いに乗って一気に教頭に、そして校長へと上り詰める。その後は教育委員会に迎えられて、もはや地元の名士と言っていい存在になるだろう。

 しかし問題は金だった。それなりの女を口説くには、それなりに軍資金が必要なのは経験から知っている。今のオレには、それが全くない。超いい女が二人もいるのに総攻撃を仕掛けられないもどかしさ。ここは手堅く、どっちか一人をモノにするというスタンスで行くべきなのか。

 上手い具合に加納先生には、自分が頼りになる男だと証明するチャンスが巡ってきていた。

 放課後、職員室で加納先生が生徒の佐野隼人と話しをしている時に掛かってきた電話だ。相手は板垣順平の母親だった。加納先生の顔から何か問題が起きたらしいと悟ったオレは、すぐに受話器を置いた彼女に話し掛けた。「どうしました」

 「……」

「何があったんです?」話すべきか躊躇っている加納先生にオレは強く促した。

「生徒のことでした」

「聞かせて下さい」

「うちのクラスの手塚奈々なんですが……」

「彼女が?」脚が長くて魅力的な女生徒だ。もしかして性犯罪に巻き込まれたか。

「板垣くんのお母さんが言うには、彼女、お好み焼き屋さんでアルバイトをしているみたいなんです」

「本当ですか?」何だ、そんな事か。

「いえ。まだ本人から話を聞いていないので、ハッキリしたことは分かりません」

「しかし知らせてくれたのは板垣順平の母親でしょう?」

「そうでした」

「だったら間違いはない。父親は中古自動車の販売を手広くしていて、地元の商工会では副会長を務めたこともあるらしいです。君津の商店街については知らないことは無いはずです」

「明日、手塚奈々に聞いてみます」

「加納先生」

「はい」

「お好み焼き屋のアルバイトなんか今だけですよ。すぐに稼ぎのいいスナックやバーで働くようになるでしょう。行き着く先は風俗店です。早いうちに辞めさせた方がいい」

「そうですね」

「ここは僕に任せてくれませんか」

「西山先生が手塚奈々と話をするということですか?」

「そうです。ただ叱るだけでは逆に反感を募らせてしまう。上手く彼女を説得してアルバイトを辞めさせてみせます。まだ中学生なんだから仕事なんかよりも学業に精を出すべきでしょう」

「それは、……そうですけど」

「加納先生、ここは学年主任の自分に任せて下さい」

 二年B組の担任である加納先生は当然だが、まず自身で対処したい様子だった。そこで自分は学年主任だということを強調した。

「わかりました。結果は教えて下さい」

「もちろんです」

 西山明弘には考えがあった。手塚奈々を言い聞かせてアルバイトを辞めさせれば、加納先生に自分は頼りになる男だという印象を与えられることだ。オレに対する見方が変わるはずだ。

 それともう一つ。あの手塚奈々という女生徒と話がしてみたかった。

 長い魅力的な脚をしていて、成長と共に最近は非常に目立つ存在になった。急に背が高くなった為にスカートの丈が短くなってしまう。見たくなくても視線は、その長い脚に惹きつけられた。

 スタイルは抜群だ。今すでにイイ女と言えた。これが数年後、女らしく色気づいて、化粧を覚えて、髪を肩ぐらいまで伸ばしたら、もう目が飛び出るほどセクシーな女になるんじゃないかと期待できた。そう考えると自分と歳が離れ過ぎていることが、とても残念でならない。

 だけど将来に何が起きるかは誰にも分からない。年月が経てば二人の歳の差は、どんどん縮まっていく。この機会に言葉を交わして少しでも親しくなっておくことはいいことだと思った。

 お好み屋のアルバイトなんて大したことない。そのぐらいの校則違反は誰でもやることだ。西山自身も中学時代から新聞の配達、御歳暮や御中元の配達で小遣いを稼いできた。

 叱ったりはしない。その長く美しい脚で目の保養をさせてもらっている恩義がある。働いているところを、口うるさい板垣の母親なんかに見つかったのが拙かったんだ。運が悪かったと思ってバイトはしばらく止めろ、と説得するつもりだ。ほとぼりが冷めたら、また始めたらいい。オレは味方なんだ、という印象を手塚奈々に残したい。西山先生は物分かりがいい思ってもらいたい。

 歳の差なんか関係ない。魅力的な女生徒と親しくなることは、キツくて単調な教員生活を少しでもバラ色に変えてくれる。西山明弘は手塚奈々を呼び出して話をすることが今から楽しみだった。

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