〈2.9〉埠頭にて・3
「ハガネ……!」俺のマスクを見た花目は一瞬呆気にとられるが、すぐに状況を理解した。
「てめえの描いた絵か! あのSDはニセモンだな! あたしとアンジュ、両方だまくらかしたってわけか!」
花目の後ろから、ぞろぞろと他の機装課員たちが現れた。
「どうすか、課長! チンケな首なし“コート”一体探しに来たら、違法カスタム“コート”にその装着者、しかも銃刀法違反の現行犯のおまけつきですよ。今夜は祭りだなぁ、アンジュ!」
「し、しかしね、鳥籠君……」病人のように痩せた課長は弱りきっていた。「……我々に逮捕できるのかね」
当たり前だが、課員の武装は拳銃のみ。“コートアーマー”どころかサブマシンガンの群れに対抗できるかも怪しい。
課長の余計な一言が、アンジュの部下たちにそのことを気づかせた。やけくそな笑いを浮かべながら、再び武器を構え直す。
「おいおい。サツを四人も
「てめえらは死ぬんじゃない」アンジュの顔には切れ込みのような笑みが張りついている。「消えるんだよ」
課員たちが、さっと拳銃を抜き放った。
緊張が高まっていた。刑事は不慣れな手で拳銃を構えている。“九尾”のアームが脅すように細かく揺れている。腰だめに構えたマフィアのサブマシンガンは微動だにしない。
そのとき、コンテナの隙間から雪が
「やっと抜けたね、マッツ!」
スローモーション。呆ける全員。
迷路から抜け出してきた雪は、自分が一周回って戻ってきたことに気づいて、目を丸くし、何もない地面に
雪が間延びした悲鳴を上げる。その両手からマッツのケージが離れる。
放物線を描くケージはゆるゆる宙を回転し、そして地面に激突した。
檻の柵が歪み、扉が弾け飛ぶ。
放り出されたマッツはしかし猫らしく、四本脚で着地。
その喉元で、金色の首輪が輝きを放っていた。
「――捕まえろぉぉぉー!」
花目とアンジュが同時に叫んでいた。
マフィアたちがサブマシンガンを投げ捨てマッツに殺到する。課員たちも訳のわからぬまま花目の気迫に押されて駆け出した。
だが、マッツはそんな愚かな人間たちにはびくりとも怯えず、尻を向けると、ひょひょいと嘲るようにコンテナを駆け上った。先頭にいたマフィアが顔面からコンテナの壁にぶつかった。
「捕まえろ! あの猫の首に密輸の帳簿がある!」
「絶対にデカに渡すな! 殺してもいい! いや殺せ! 殺して海に投げ棄てろ!」
その言葉に俺はアンジュを見た。
抑えようのない怒りが沸き立った。それはまるで爆炎のように一瞬で俺の胸を焦がした。
殺せだと? マッツを……あいつの命をなんだと思ってやがる。
守れと言ったのはアンジュだ。しかも飼い猫を……それは家族じゃないのか。たった数日しか時間を共にしていない俺にさえ、その親愛の感覚がわかる。だが、俺の怒りの燃料の大部分を占めているのはその狂った理不尽さではなく、命を軽んじた奴らの態度だった。
俺の
その場にいた全員が、警察もマフィアも花目もアンジュも“九尾”を装着したミツグも、マッツを追いかけコンテナの林に駆け込んでいった。
もう一人の
「嘘でしょ、ハガネ。殺すわけないよね!」
「あいつらは本気だ……だがさせはしない。VAL、サーマルビジョンを起動しろ! 猫の足跡を探せ!」
〈イエス、マスター〉
ディスプレイが熱源探知モードに切り替わる。俺の視界は青く染まり、その中で人型のピンク色の塊がもわもわ蠢いている。
マッツが走り去ったあたりを確認する。インクを垂らしたような緑色の跡が点々と続いている。気温は八度。しかも駆けているマッツの肉球が地面に触れるのは一瞬だ。早く追跡しないと、足跡の熱源は寒気の中に溶けて消える。
「こっちだ!」
髪を振り乱して必死で走る雪を連れて、俺はコンテナの角を曲がる。
緑色の足跡はコンテナの壁を伝い、てっぺんまでのぼっていた。
俺は雪の細い身体を抱き上げた。こんな無法者たちがいる地上に置いていくわけにはいかない。
「えっ、ちょっと!」
膝を折り曲げ、二メートル近く跳躍する。ばたばたばたと雪のジャンパーがはためいた。
「ちょっとー!」
だん、とコンテナの上に着地。
「な、な、なに考えてんの!」
「安心しろ。“パーシヴァル”のおかげで重くない」
「そうじゃなくって――」
緑色の足跡はコンテナを降り、隣のコンテナへと続いていた。
俺は鉄板を蹴って、再び飛んだ。
「あああぁぁあああー!」
〈閾値を越えた音声を感知しました。カットオフしています〉
本来、爆撃の轟音や、
俺は雪を抱きかかえながら、消えていくマッツの足跡を追いかけた。コンテナの山、クレーンのフレーム、眠っている“コートローダー”、それらを踏み台にして跳躍を繰り返す。
「マッツ~、マッツ~」
俺の腕の中で半べそかいている雪は、それでもマッツを呼んでいた。
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