私の仕事は貴方を運ぶこと

えびみかん

第1の仕事 小さなお客様

 この仕事を始めてから早何年だったでしょうか。いろいろなお客様を毎日乗せています。この自慢の馬車に。簡単に言うと私は馬車の運転士です。2頭の愛馬と共に毎日お客様を希望している場所へと行くというものが仕事。

「お代は結構です。ただ、どうしてもというのなら受け取ります」

 人は彼らを奇跡の馬車という。

* * *

 ここはこの世界一の大型都市である。石の壁に囲われ、傭兵がいたるところを歩いている。

 そんな都市ですが知る限りでは一番賑わっている様に思えます。私は愛馬を近くの宿屋に預け、次のお客様の為にと食材を買い込むために市場へと足を運びました。保存がきくものを主に取り入れるようにしていて、肉はあまり日持ちがしないので買わず、その代わりに干し肉を買う。根野菜は日持ちに向いています。なのでジャガイモやニンジンはいつも買うようにしています。あとは何でしょうか。果物類もいいですね。ですが腐るものが多い…少しくらいなら保管ができますし贅沢にリンゴとミカンをいくつか購入しますか。スパイスもいくつか購入しました。意外とかれーというものがお客様の間では人気です。それから寒い所に行く時のために毛布も何セットか用意しましょうか。消耗品なんですよね…水の保存用にいくつかの水瓶も用意しておきましょう。特に必要はないのですが、極寒の地に行くと水がすぐに凍ってしまうので特殊な水が必要になります。その為のものです。

 必要なものを買い、運転士は愛馬の元へと歩き出す。

「お待たせしました。さあ、行きましょうか」

 そう、声をかけながら馬をなでてやる。そのまま乗り込み、街に繰り出す。人々と同じような、それでも少しだけ早いペースで歩く。

「あの…馬車、乗ってもいいですか?」

 と、そう声をかけてきたのは小さな女の子だった。

「ええ。もちろんです」

 運転士はにっこりと笑顔を小さな客に向ける。すると客ははっとしたように目を見開き、「ごめんなさい…っ」と、言葉をこぼす。

「どうしましたか?」

「お、お金…もってない…から…」

 なるほど。この可愛いお客様はお代を気にしているのですね。

「いえ。お代は結構ですよ」

「え…でも……」

「お客様、それではこちらに」

 微笑みを崩さず、運転士は小さな客の手を引き中へ誘導する。

 …改めてみると青く広い空を落とし込んだような大きな青い瞳に綺麗なプラチナブロンドの髪を腰まで下ろしている、まだ15にも満たないような子供ですね。

 わけありなのでしょう。そんな人をお運びするのが私の仕事です。

「どちらに行きましょう?」

 馬車に客を乗せ、出発の準備をする。

 お客様は馬車に座り、少し緊張している様子ですね。

「…あの…ない…から…」

「ない、とはどういうことでしょうか?」

「い、ばしょが…ないから…」

 この小さなお客様は居場所がないとおっしゃる。どんな年齢のお方でもどんな性別のお方でも居場所というものは必ずある。

「では、そこまでお送りいたしましょう」

「…え…?」

「それでは出発しますよ」

 まるで言っている意味が分からないという声を上げている。

 それはそうでしょう。

 運転士はにっこりと優しく客に笑いかけ馬車を静かに出発させる。

「あ、あの…どこに…?」

「ああ、座っていないと危ないですよ」

「あ、ごめんなさい…」

 運転士は落ち着いてくださいという意味も込めてそう言葉を発する。

 座っていてもどこかぎこちなく不安げな表情をこちらに向けていますね。いきなりだったからきっと相当不安なはずです。

「お話ししましょうか」

「…でも…運転…」

「私はずいぶん長くこの仕事をしていますからお話していても問題ないのですよ」

「そう…なんですか…」

 随分緊張しているお客様に声音を優しくして話しかける。

「質問の答えを言いましょうか」

「しつ…もん…?」

「はい。どこに、という質問です」

「あっ…」

「私にもわかりません」

「…えぇ…?」

 そう。私はいるべき場所に運ぶ。しかしそれはどこか運んでいる私にもわからない。いるべき場所、というものはお客様自身にしかわからないし、見つけられないのです。

 ではなぜ私が運ぶのか、ですって?

 矛盾しているのではないか、ですって?

 そうですね。そうかもしれません。ですがそれは…いえ。何でもありません。

「わからないのに、行くんですか…?」

「わからないから行くのですよ」

 運転士は困惑が伺える表情に変わったことに少しの安心を心に浮かべ、壁の外へ行くために正門に通りかかる。

 随分長い列になっているようですね。何かあったのでしょうか。

 心配そうにその列の先を見ると門番が倍以上配置されていてその誰もが忙しそうに駆け回っているのが伺えた。

 ふむ。どうやら本当に何かあったようですね。

「少し時間がかかりますね。何かあったようです。門番たちが多く忙しそうにしてますしまったり待ちましょうか」

「見えるんですか?」

「はい。見えますよ」

「この列…先、見えませんよ…?」

「ああ、失礼しました。私には“見える”んです」

「そうなんですか…」

 不思議そうに見ているのが良く分かります。

 見える。それはどんな生物よりもいろいろなものが見えるのです。

 つまり、結局そのままの意味ですね。ここまで見える生物は普通はいませんから、不思議そうな顔をするのは当たり前で必然ですね。

「あなたは見えますか?」

「え?」

「ああ、失礼。間違えました。貴方は何が見えますか?」

「えっと…」

 目が泳いでいますね。よほど変な質問だったのでしょうか…それともこの質問は御法度、というものだったのでしょうか。いや、何かを恐れているような気がします。

「私はしがない運転士です。おそらくこの運ぶという行為以外に貴方様と会うこともないでしょう。なので恐れているようなものはないと思いますよ」

 前を向いて少しづつ列が進んでいるのを確認しながら同じペースで馬車を動かす。

 しばらく二人は静かな空間に。まるで外の賑やかさに負けたかのような沈黙が流れていた。

 その沈黙を客が破った。

「…黒…と…白…の…世界が見えます」

 モノクロの世界ですか。なるほど色を把握することができないのですね。それは打ち明けるには恐怖を覚えるでしょう。自分には色が見えない。みんなとは違うというものはどんな人間でさえ程度は違えど恐怖を覚えるはずですから。

「そうですか。では私の愛馬も黒と白に?」

「はい…」

「残念です…きれいな焦げ茶色の毛並みをしているのに…」

「あの…ごめんな…」

「ああ、でも美しいでしょう?」

「え?」

「ですから、黒と白の世界でも私の愛馬は美しいでしょう?」

 たとえ色を把握することができなくとも美しいと思う心は誰にでもお持ちですから、きっと私の愛馬も美しいと思うはずです。

 運転士は謎の確信のもと、そんな質問を客に投げかけた。

「…きれいだと…思います」

「そうでしょう、そうでしょう」

 跳ねるような声音で運転士はそう言うと客は口元を綻ばせる。

 笑いましたね。ですが、私の愛馬の話で笑うなんて…まあ、けっかおーらい、というやつですね。ちょっとだけ不服ですけど。

「ふふっ…馬、お好きなんですか?」

「馬というカテゴリーではなく、この私と仕事をしてくれている馬たちが好きなのです。いいですか。この子たちは普通の馬とは違うんです。いろいろな国を渡り歩いていても強く私と共にあってくれます。その姿はそれはそれは美しいものでして…」

「あの…話遮るようで悪いんですけど…前…」

 そう客が促したところでやっと前を向いた。馬の話をした当たりから運転士は客と向かい合って話していたのだ。

 前の者と大分距離が開いたようだ。

「ありがとうございます。愛馬の話をすると止まらなくなってしまいまして」

 ああ。お恥ずかしい。この癖をどうにかしなければ…

 運転士は前との距離を詰めるように馬車を動かすが、その不自然さに気づいた。

 動きが早くなりましたね。何か問題が解決したのでしょうか…いえ、違いますね。壁の外から出していないようです。

 列の先頭では文句を言いながら引き返している者がほとんどでかなり信用をしている人では無ければ出られないようだった。

 それからあっという間に列が無くなり、運転士の番になった。

「失敬。今日は誰を運びに?」

 門番はそうして運転士に聞く。

 ああ。この方は私の立場をわかっているはずなのですが。

「絶対不干渉、というのをお忘れでしょうか」

「忘れてはいません。ですが王のご命令ですから」

「私はどんな命令にも囚われず従わない。というのは御存じで?」

「ですが、色無しをお連れになられているなら話は別です」

「色無しとは一体…私は知りませんね」

 色無し、ですか。それは失礼な呼ばれ方ですね。おそらくお客様を指して言っているのでしょう。

「プラチナブロンドの髪に青い瞳の女です。客を見せていただきたい」

「必要性が感じられません」

 やはり、お客様をお探しですか。ああ、もう、怯えているではないですか。

「こちらには必要なのです」

「私は運ぶことが仕事です。ここがお客様の目的地ならば私には止める権利はありませんし、この馬車から降ろす義務もある。ですがここは目的地ではありません。ならば私には運ぶという義務がある。それに私は従うのです。貴方に従う義務は何一つとしてないのです。理解できましたか?」

「…ですが…」

「では少々手荒な真似をしなければなりません」

「…わかりました」

 不服そうに言いますが義務にはさすがの私でも従わなければなりませんから。

「もう少し物分かりがいいほうが得をするかもしれませんね」

「…貴方様がおっしゃいますか…」

「なにか?」

「いえ。お通ししろ」

 と、門番がそう言うと素直に重い扉が開いた。

 全く。この門番は私の絶対不干渉の契約が王命令よりも上ということがわかっていません。まあ、それもそうですか。

 運転士はお礼も言わずにその国から外へと馬車を出した。

「あ、あの…」

 おずおずと客が声を発した。

「どうされましたか?」

「私のせいですか?」

「いいえ。貴方のせいではありませんよ」

私の立場が少々厄介ということですのでお客様にはこれっぽっちも関係ないことです。

話す事は義務ではない。そう運転士は理解しているためそれ以上は何も言わなかった。

「これから長旅になると思います。もしかしたら極寒の地に行くかもしれませんし、灼熱の地に行くかもしれません。覚悟はおありですか?」

「はい…私の居場所がそこにあるのだったら…」

「随分肝が座っていますね。では行きましょうか」

「お、お願いします…!」

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