第13話『いってきます』
7月8日、月曜日。
ゆっくりと目を覚まして、部屋の時計で時刻を確認すると午前6時半過ぎか。今日は仕事だし、もう起きないと。
「……あれ?」
昨日もエリカさんと一緒に眠ったのに、彼女の姿がない。お手洗いにでも行っているのかな。それとも、自分の部屋で寝ているのか?
寝室を出ると、リビングの方が明るくなっていた。テレビが点いているのか、エリカさんではない人の声が聞こえる。
リビングに行くと、そこにはエプロンを着たエリカさんの姿が。エリカさんは俺に気付くと笑顔で俺の目の前までやってきた。
「おはよう、宏斗さん。早く起きたね」
「おはようございます。味噌汁とかの匂いもしますけど、もしかして朝ご飯を作ってくれたんですか?」
「うん、そうだよ。宏斗さんは今日からお仕事だし、朝食は大切だからね」
昨日はお昼までぐっすりと眠っていたし、これが夢なんじゃないかと思って頬をつねってみると確かな痛みがあった。
昨晩、七夕祭りから帰ってきた後、いつも平日はどうしているかをエリカさんに教えた。その中で起きる時間も伝えていたから、エリカさんはそこから時間を逆算し、早く起床して朝ご飯を作ってくれたのだろう。
「今までは1人だったので、平日の朝は軽く済ませたり、食べずに出勤したりする日もあったんです」
「そうだったんだ。じゃあ、これからはしっかり食べようね。できるだけ私が作るから」
「ありがとうございます」
「さあ、もうすぐできるから、宏斗さんは顔を洗ったり、歯を磨いたりしてきなさい」
「はい」
まるでお母さんみたいだな。エリカさんの言うように顔を洗い、歯を磨き、スーツに着替える。
リビングに戻ると、テーブルにはご飯と大根の味噌汁、目玉焼きと麦茶が置かれていた。
「これ、全部エリカさんが作ったんですか?」
「もちろんだよ! リサと一緒に地球料理の練習をしたんだから」
「そうですか。本当に日本の朝ご飯って感じがします。さっそくいただきます」
「うん。私もいただきます」
さっそく、味噌汁を一口すする。
「……美味しいです」
「ふふっ、良かった」
ダイマ星人が作ったとは思えないくらいに美味しい味噌汁だ。目玉焼きは……おっ、半熟か。半熟が一番好きなので嬉しいな。
こうやって、起きてすぐに用意された朝食を食べることができるとは。実家にいる頃を思い出すし、一緒に住んでいる人がいることの有り難さを知る。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「お粗末様でした。今日は朝食だけだったけれど、いずれはお弁当とかも作りたいな」
「そのお気持ちがとても嬉しいです」
「ふふっ、こうしていると、宏斗さんと新婚気分を味わっているようで幸せな気分になれるな。これからお仕事で一緒にいられないのは寂しいけれど」
「そうですか。残業がなければ、午後7時には帰ってくることができると思います。遅くなりそうなときは連絡しますね。あと、昼休みは正午から1時までの1時間なので、電話を掛けるならその時間にお願いします。メールやメッセージだったら、いつでもOKです。仕事の状況によっては、すぐに返信できないかもしれませんが」
「うん、分かった。まあ、私は魔法を使えるから、仕事中の宏斗さんの様子を見る術はいくつも持ってるよ」
「まあ、様子を見に来てもいいですけど、周りにはお仕事をしている人がたくさんいますから、迷惑にならないよう気を付けてくれると有り難いです」
「了解です!」
俺の仕事の様子を見る方法があるなら、エリカさんも寂しい想いを紛らわすことができるんじゃないだろうか。
俺はバッグを持って出勤しようとする。
「宏斗さん。私、テレポート魔法を使えるし、職場の近くまで一緒に行く? 一瞬で行けるし」
「そのお気持ちは嬉しいですけど、電車に乗るのが好きなので。でも、寝坊したときなど、緊急事態のときはエリカさんに頼みますね」
「うん!」
エリカさんのテレポーテーションはとても魅力的だけれど、仕事関連ではなるべくダイマ星人の魔法を借りずに生活したい。
「エリカさん、いってきます」
「ちょっと待って。その……いってきますのキスがしたい。できれば、宏斗さんからも」
「えっ」
顔を赤くしてもじもじするエリカさんはとても可愛らしい。
いってきますのキスをするというのは、漫画やアニメなどで見たことはある。ただ、口と口はさすがにできないので、
「頬にキスをし合うならいいですよ」
「うん!」
すると、エリカさんは俺の頬にキスをしてきた。なので、俺もエリカさんの頬にキスをする。
もしかしたら、エリカさんにキスをするのはこれが初めてかもしれない。だからなのか、エリカさんはとても嬉しそうに笑った。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
エリカさんに見送られながらの初出勤はなかなか爽やかな気分になれる。
会社までは徒歩と電車でおよそ40分。満員電車にはおよそ25分乗る。電車に乗るのが好きなのは本当だけれど、満員電車に乗るのは好きではない。日によってはかなりキツいし。あと、昨今は痴漢冤罪のニュースをちらほら目にするから。
今日はただ混んでいるだけであり、電車も3分ほどの遅延だったので平和だった。
職場の最寄り駅に降りて、俺は株式会社CTシステムズのビルへと向かう。
下請けで企業向けのシステム開発をしたり、機械の検証作業を行なったりするのがメインのIT企業だ。俺みたいに自社で仕事をする人もいれば、技術者として客先に常駐して業務を行なう人もいる。また、東京だけでなく大阪と福岡、仙台、札幌に支社がある。
今日の昼は社食にしようと思っているので、真っ直ぐデスクへと向かう。
「おはようございます。宏斗先輩」
「おはよう、愛実ちゃん」
後輩の
愛実ちゃんは入社2年目の女子社員。明るく活発的な性格だ。去年の10月に俺のいる部署に配属されてからは、ずっと俺と一緒に業務を行なっている。
愛実ちゃんの現場指導もしているので、配属されてからは互いに一番関わりのある社員と言えるだろう。社会人になってから日も浅く、当然ミスもあるけれど、仕事をする真摯な姿勢と一生懸命さはとても評価できる。
今は下請けでサービスの顧客管理システムの開発を行なっており、俺はそのプロジェクトリーダーを担っている。愛実ちゃんもチームの一員として、システムのプログラミングをしている。
「宏斗先輩、何か今日は普段よりも元気な感じがしますね。月曜日なのに」
「そうかな? 確かに、いつもよりもいい月曜日な気がするよ」
きっと、エリカさんが作ってくれた朝食のおかげだろう。もちろん、エリカさんが見送ってくれたことも。それよりも、俺って朝は元気がないように見えているのかな。
『へえ、隣の席に可愛い女の子がいるんだね』
エリカさんの声が聞こえたので周りを確認すると、エリカさんの姿は見えない。テレパシー魔法を使っているのかな。
「どうしたんですか?」
「いや、何でもないよ」
『どんなところで働いているのか気になって、今は家から透視魔法で宏斗さんの職場の様子を見ているの。大丈夫、仕事中にテレパシー魔法を使って、宏斗さんに話しかけることはしないから』
そうしてくれると有り難い。
ただ、今のことで職場にいてもエリカさんが側にいるような気がして、何だか気持ちが温かくなるな。
『じゃあ、お仕事頑張ってね! ただし、隣の黒髪ポニーテールの女の子と浮気はしないように!』
愛実ちゃんは一生懸命に仕事をする可愛い後輩だとは思っているけれど、恋愛感情は全然ない。愛実ちゃんは可愛いから、好意を持つかもしれないと思ったのかな。
「宏斗先輩、今週も頑張りましょうね!」
「そうだね。今のところは順調に進んでいるから、この調子でやっていこう」
納期を早めさせられることがなければ。
やがて、始業時間である午前9時となり、今週の仕事が始まるのであった。
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