鬼の話
くろかわ
鬼の話
しんしんと降りしきる雪。朝日の昇る頃には屋根が鳴るくらいに積もるだろう。しゅんしゅんと鳴る鍋の中には豆。撒いて時節を感じる程の余裕は、ここには無い。鬼だろうと福だろうと、食えるものは何でも食わねば生きていけない。
春は来る。それまでの辛抱だ。
みしりみしりと足音がする。夜明けは遠く、泥炭色の空はきっと雪雲に覆われているだろう。
「よぞう。いるか」
高くよく響く音で夜気が震える。暗がりはそこに居て、いずれ射す陽の光に怯えていた。
「……ああ。入れよ。寒かろう」
新雪に劣らぬ白い足が目に映る。擦り切れた草履は黒く、一層際立たせた。
「すまね」
「その似会わん草履はそこに置いておけ。上がって座って待ってろ。朝餉には早いが、食え」
「……すまね」
与三は頭二つ小さい年下の娘の髪を優しく撫で、
「婆の来る頃だろ。豆を煮てある」
「そういえばもう二月か」
「ああ。寒いな」
「……さむいな」
ほら、と豆の盛られた椀を手渡す。指と指とが触れ合い、小さい方はぴくりと硬直した。
「……」
「食え。俺も食う」
「……きかんのか」
「去年は米も野菜もあまり獲れなかったろう。それに、うちの親父が健在の頃には皆で釜を囲んだ仲だ」
黙る。互いに。
茶を啜る音が男から響き、数瞬の逡巡の後、豆を掴まんとした箸が器に触れた。
「ごちそうさま」
「お粗末様」
とぽとぽと、空になった湯呑みに茶が注がれる。緑の香りが二人を包んだ。
「婆、来ないな」
「……ばばさまは、こない」
水面を覗き込む少女。
「何故」
「さっきみた。たおれて、しんだ。とおもう」
「山の中か」
「山ん中だ」
「そうか」
「……」
「春まで長いな」
「……そうだな」
「なら」
全部食っていいぞ、と言いながら立ち上がる。
「ほら、寄越せ。お代わり持ってくる」
手を伸ばす男。水面を見つめる少女。
「なぁ」
「なんだ」
その、と言いかけたところで少女の腹が鳴る。
「……」
「……」
無言。赤面。
「しし肉があったな。春先まで取っておこうと思ったが、食っちまうか」
「去年のと同じやつか? あの、へんなあじの」
「あぁ、いや。買ってきた」
「なんで。去年やおととしみたいにとりゃよかろう。罠、つかえるんだろ」
「そうもいかなくてな。忙しかったんだ」
「いそがしいって。なにに」
お前には言っておくか。そう男は呟いて、
「春頃になったら、ここを出て行こうかと、な」
「な……」
「そんな顔するなよ。去年の葬式の後、母方の親戚から声かけられてな。ここで独りも、その、なんだ。俺もまだ若い」
「そう……か」
「だが、気が変わった」
肉を片手に振り向いた。目が合う。
「食ったら行く。準備は大体できてる」
「おまえ、そんな」
「お前も来るだろ」
干された肉を手渡され、少女はあわあわと受け止める。
「だからなんでそんな」
「お前、許婚が出来たんだろ」
男も女も表情は無い。男と女の表情の意味は違う。
「狭い村だからそういうのはすぐ伝わる。で、それが嫌で親父さんと大喧嘩して飛び出して来た。そんなところだろ」
「そう。そうだよ」
「親父さんの悪い癖がまた出たか」
「おっとうは金の話になると人がかわっちまう。しかたねぇさ。金がねぇってのはそういうことだろ。けどさ」
苦しげに、呻き吐き出すように。
「でもさ。おれだって、その……」
「だから」
どすりと、横に並ぶ。座ったままでも上背はかなり違う。年の差、男女差だけではない。歴然とした体格差。
「駆け落ち、しちまおう」
「いいのか」
「わかりきった事を二回も説明しない」
「でも、おれが、」
良いから、と遮る。
「食えよ。それから少し寝ろ。お天道様が顔覗かせる前に逃げよう。お前が食い物になる事はないだろ」
「うん。おまえは、温めてくれるんだな」
「あぁ……ああ。そうだな」
頷き、ようやく口に肉を含んだ。
「これ、まえに食ったしし肉とぜんぜんちがうな」
そうだな、と緑の瞳が揺れた。
鬼の話 くろかわ @krkw
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