第一部 インサイド
第1話 警察署にて
平日だというのに、警察署の一階にあるロビーは様々な人々でごった返していた。
派手な特攻服を見せびらかすようにしている若い少年グループ。
髪を金髪に染めた少女と、その少女の母親と思われる女性の二人組み。
明らかにその筋の人たちと思われる、ダークスーツを着込んだ強面の男たち。
他にも──。
パリッとしたスーツを隙間なく着こなした若い男性。胸元に輝くバッジを見ると、弁護士なのだろう。
窓口で大きな声で怒鳴り散らかしているのは、交通トラブルを起こした車の運転手みたいだ。
不安そうな顔をした迷子らしき男の子と、その傍で優しく寄り添っている婦警さんの姿もある。
いずれも事件や事故の当事者たちであろうと想像するのは難くない。無論、加害者か被害者かは別にして。
スオウもそのうちのひとりであった。スオウはある事件を担当している捜査二課の刑事に、捜査状況の話を聞きに来たところだった。
「おっ、スオウ君か。よく来たね」
二階にある捜査二課の部屋に入ると、担当の刑事がすぐに声をかけてきてくれた。捜査二課──主に詐欺、横領、背任などの知能犯事件を捜査する部署である。
「こんにちは。お忙しいところ、何度も尋ねてきてすみません。捜査の状況が気になって来たのですが……」
軽く頭を下げながら、スオウは部屋の奥へと進んでいった。
「ああ、事件のことね。──とりあえず、このイスにでも座ってくれ」
「ありがとうございます」
スオウは部屋の隅に置かれたイスに腰掛けた。
「捜査の方なんだけどね、相変わらず男の行方が分からない状況なんだ」
スオウの前のイスにどっしりと座った刑事は、大げさに顔をしかめてみせた。やり手の刑事との触れ込みであったが、スオウの期待にはまだ応えてくれていない。もっとも、こうして会って捜査状況の話を聞かせてもらうだけでも、ありがたいと思わなくてはいけないのだが。
「犯人は海外に逃亡したということはないんですか?」
素人考えだが、一応訊いてみた。
「うーん、それはないな。どこの空港にもしっかり手配書が回っているからな」
刑事は小さく首を振った。
「それじゃ、いったいあの男はどこに隠れているんですか?」
「おそらく街中のビジネスホテルや漫画喫茶を利用していると踏んでいるんだが、これといった情報がまだこちらにあがってきていないんだ」
「そんなあ……。刑事さん、もう妹には時間的な余裕がないんですよ!」
つい言葉を荒げてしまうスオウだった。妹の体調を考えると、一日でもムダにはしたくなかったのである。
「スオウ君、君の焦る気持ちは分かるが、警察も最善の手を尽くして犯人を追っているんだ。そこは理解して欲しい」
そんなこと言われなくても、スオウだって十二分に分かっている。それでも声を荒げてしまうのには、それなりの理由があるのだ。
このまま犯人が捕まらないと、妹は死んでしまうのだ!
「スオウ君、少し落ち着いて。君が焦っていたら妹さんだって不安になるだろう?」
刑事がスオウのことを宥めてくる。
「──すいません。つい大きな声を出してしまって……」
「こちらとしても、なかなか君の期待に応えられなくて申し訳ないと思っているんだ。だからこそ、今現在も捜査員全員で、全力でホシを追っているんだ。君も苦しいとは思うが、もう少しだけ待ってほしい」
「──分かりました。今日はこれで帰ります」
スオウはイスから立ち上がった。これ以上ここにいても捜査の邪魔になるだけである。刑事さんの言うとおり、今は待つしかないのだ。
「犯人のことで何か分かったことがあったら、すぐに君に連絡をするから」
「はい、お願いします」
スオウは最後に丁寧に頭を下げると、静かに部屋を後にした。結局、今日も事件の捜査に関して何も新しい話を聞くことが出来なかった。
『例の事件』が発生してから今日で一ヶ月──。
犯人の目星がついてから今日で三週間──。
警察が犯人追跡に入ってから今日で二週間──。
しかし依然として、今だに犯人の行方はもちろんのこと、犯人の足取りさえ分かっていない。
いったい、いつになったら犯人逮捕の朗報は聞けるのだろう? こうしている間にも、妹に残された時間は着実に減っているというのに……。
スオウは重い足取りで階段を降りていった。そのまま一階のロビーに下りてくる。さきほど同様にたくさんの人でまだあふれかえっていた。
この人たちもおれと同じように苦しんでいるのだろうか?
ついそんなことを考えてしまう。
でも、この中で一番苦しんでいるのは間違いなくおれだよな。
そんな考えも浮かんでくる。
思考が悪い方に流れていきそうになったので、気分を変えるために自販機に向かった。缶コーヒーを購入すると、それを手に持ってロビーを見回した。どこかゆっくりくつろげそうな場所を目で探す。
怖い人の近くはパスだな。ヤンキーグループの周りも論外だし──。
そんな風に視線を動かしていると、目に止まる人物が二人いた。
ひとりは、地味目のスーツを身にまとった真面目なサラリーマン然とした男。事件や事故とは無縁と思われるような、飄然とした様子でソファに座っている。
もうひとりは、学校のものと思われる制服姿の少女。ソファに浅く腰掛けており、視線は床に向けられている。事件か事故の関係者なのかもしれないが、加害者にも被害者にも見えない。もちろん、なにかしらの事情があったからこそ警察署に来ているのだろうが、その目的が皆目見当が付かなかった。
おれと同じ高校生みたいだから、こっちの女の子のいるソファに移動しようか。
スオウが女子高生の方に歩き出したとき、その女子高生が不意に視線を上げた。秀麗な顔立ちの美少女である。
スオウの視線と女子高生の視線が、一瞬空中でぶつかった。
しかし、スオウは女子高生の目を見た瞬間、とっさに視線をそらしてしまった。その女子高生の目があまりにも悲痛な色をしていたからである。今のスオウの精神状態では、その悲痛色の視線を受け止められる自信がなかったのだ。隣に座った途端、重い話でもされたら困ってしまう。だから、スオウは女子高生の視線から逃げるようにして、仕方なくサラリーマン風の男が座るソファに向かうことにした。
自分の背中に女子高生の視線が向けられている気がしたが、あえて気付かない振りをして歩き続ける。
「すみません、隣に座ってもいいですか?」
スオウはサラリーマン風の男に確認した。
「はい、もちろん、いいですよ。どうぞ腰掛けてください。最近、社会を賑わすような痛ましい事件が多いですが、こういった小さな助け合いの精神こそ大切にしないといけませんからね」
サラリーマン風の男は、やたらと丁寧な物言いで答えた。
なんとなくおかしな感じがしたが、スオウはそのままソファに座った。缶コーヒーの蓋を開けて、ごくりと一口飲むと、ようやく凹んでいた気持ちが落ち着いてきた。
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