第4話 織田信長、『クトゥルフ神話TRPG』をプレイする

 ここで、『クトゥルフ神話TRPG』について解説しておこう。

 まず、クトゥルフ神話とは、ハワード・P・ラブクラフトというアメリカの怪奇小説作家が自作の中に登場させたオリジナルの神話体系である。

 一九二八年、怪奇小説雑誌『ウィアードテイルズ』誌に、『クトゥルフの呼び声』という一風変わった中編が掲載された。


 ラブクラフト自身は、この作品を「そこそこの出来」としている。

 かいつまんで説明すると、クトゥルフという宇宙からはるか太古の時代にやってきた超存在クトゥルフが、各地で邪神として崇められており海底の神殿で眠りについており、いつか復活するのではという恐怖をドキュメントタッチで描いたものだ。

 当時、伝説上の神や悪魔ではなく、宇宙という無機質な世界には、善悪を超越した何かがおり、それらは人間の信仰や価値観、都合などおかまいなしに文明を滅ぼすかもしれないという、新しい恐怖を提供することになった。

 これはコズミックホラーというジャンルとなった。

 ラブクラフトは、小説の下読みや添削を副業でおこなっており、彼を慕う後輩作家たちやファンの間でその思想と世界観の掘り下げが行われ、作品世界の共有や新たな神格や怪物も創造されていった。

 今風に言うなら、シェアワールド小説であった。

 それは、あたかも神話のように積み重なっていき、クトゥルフ神話と呼ばれた。


 この小説のファンが、TRPGにクトゥルフ神話を持ち込み、ケイオシアム社から『クトゥルフの呼び声』というTRPGが生まれたのである。

 当時、TRPGといったらダンジョンを探索してモンスターを倒し、財宝を得るというファンタジー世界を背景にハックアンドスラッシュという遊び方が多かった。

 そこに、一九二〇年代という近現代を舞台に、探索の恐怖を描くというホラーというジャンルを持ち込んだのは、画期的であったといえるだろう。

 『ルーンクエスト』で使用されたBRP(ベーシック・ロールプレイング)という汎用システムに、恐怖の前に正気度という精神的に正気を保っていられるかというルールは新しい遊び方をもたらした。

 日本では、TRPG自体が知る人が知る遊びであった。

 TRPGという名称も、コンピュータRPGが隆盛したことによって区別するためにつけられた名称である(商標と版権というデリケートな問題もある)。

 二〇世紀末期、TRPGは冬の時代という関連商品がまったく出版されなかった時代があった。一時期下火になった遊びであったが、ユーザーの自作動画を中心に、その遊び方が紹介されると、ネットを中心に遊んでみようというファンも増加した。

 TRPGといえば、いまや『クトゥルフ神話TRPG』(以降、『CoC』と略す。『Call of Cthulhu――クトゥルフの呼び声』の略だ)のことであるくらいには知名度が上がっている。

 日本語版は第五版『クトゥルフの呼び声』であったが、版を重ねた第六版では『クトゥルフ神話TRPG』のタイトルとなった。

 海外では、すでに第七版がキックスターターによって発売されている。


 それを、織田信長と遊ぶというのはどういうことなのか?

 考えてみても、コウ太にはさっぱりわからない。

 とりあえず、九畳フローリングの部屋においたローテーブルを信長と囲む。

 この部屋で一週間、アラフィフ親父である織田信長と同居するというのは、新手の修行にも思えた。

「まずは、どうするのじゃ?」

 どっかと腰を下ろし、対面のコウ太をまじまじと見る信長。

 いかにも脇息ちょうそくがほしそうだ。

 脇息というのは、よく時代劇で殿様が使う、あの肘置きである。


「じゃあ、信長さんにはプレイヤーをやってもらいます。『CoC』の付属シナリオは、一九二〇年代のアメリカが舞台なんですけど、日本人にわかりやすいように現代日本にしますね」

「待て待て、現代日本というのは、コウ太とわしがおる今のこの時代のことか」

「はい、そうですけど」

「わしにはわかりにくいんじゃが……」

「あっ……!」

 そこではたと気づくコウ太。

 そうなのである。


 織田信長といえば、もちろん戦国時代の人である。現代の日本人ではない。

 初心者には、現代日本。略して“現日”。

 これが最近の『CoC』を遊ぶときのトレンドだ。

 現日は、四〇〇年前の人物である信長にはわかりにくい舞台設定なのだ。

 現代の日本語がわりと通じているので、すっかり失念していた。

 何故、信長に現代の日本語が通じるかという疑問に対しては、母国語ロールでクリティカルしたからだと、コウ太はゲームに置き換えて自分を納得させている。

「シナリオの舞台、戦国時代の設定でいけるかな?」

 手元には、テストプレイしたシナリオでも『比叡山炎上』という戦国時代を舞台としたサプリメントがある。

 サプリメントとは、栄養補給食品のことも指すが補足や補強という意味があり、TRPGでは追加データや追加設定が掲載された冊子のことを指す。

 つまり、戦国時代を遊ぶための準備はされているといえばされている。

 これから遊ぼうという付属シナリオ「悪霊の家」は、現代日本でも遊べるようにファンの間でも改変されたものがある。

 格安で手に入れた館を親類などから依頼されて調べると、そこには……といった筋立てだ。

 悪霊という概念は、信長にも通じるだろう。

 ともかく説明してみる。


「ちょっとやってみますけど。信長さんのPCは、格安で手に入れた屋敷を調べてくれと頼まれるんです。その屋敷、悪霊の噂がありまして」

「悪霊怨霊のたぐいなんぞ恐るるに足らず。もしそんなものがあるのなら、今頃取り殺されておるであろうよ!」

「そっか、そういうの信じない人でしたね」

 神仏をも恐れず、仏敵とまで言われた信長である。

 悪霊が出るという噂など、このように呵々大笑かかたいしょうしてしまう精神性の持ち主であった。

(……これ、ホラーできるのかな?)

 さっそく先行きの不安を感じるコウ太である。


「信長さんは怨霊どころか、神も仏も恐れないかもしれませんが、普通の人は違います。TRPGでは、信長さんは信長さんじゃない人を演じるのです」

「わしがわしでないものを演じる、とな?」

「ええ、それがロールプレイというものです」

「そうよな。わしに幽霊屋敷を調べてこいなどと言えるのは、日の本広しといえど御上おかみくらいなものよ。もし、わしに斯様なことを抜かしおったら、その首が飛ぶぞ」

「で、ですから、信長さんじゃないんですって! あくまでも、お芝居の中での話なんですよ!」


 首が飛ぶという言葉で、目の前にいるのが織田信長であったことを思い出す。

 母国語ルールでクリティカルし、ジャージ姿で案外フランクに話すので忘れていたが、相手は戦国時代を勝ち抜いた天下人である。

 しかも、気が短く冷酷非情という評判もついて回っている。

 下手な真似はできないことを思い知ったのであった。


「ふうむ、芝居のう」

「信長さんも敦盛あつもりを舞ったじゃないですか。ああいう感じで敦盛を演じるんですよ。人間五十年……って」

「それを言うたのは平敦盛ではのうて、齢一七の敦盛を討った源氏方の熊谷次郎直実くまがいじろうなおざねぞ」

「あれ、そうでしたっけ」

 呆れた信長に直接勘違いにダメ出しをされるというのは、なかなか得難い体験だ。

 しかし、これで機嫌を悪くした様子はない。


「まあ、芝居と言うならわからぬでもない。で、わしは何の役をやればよいのか?」

「えっとですね。何の役をやるのかは、自分で決めていいんですよ」

「ほう、選べるのか」

「ここに、いくつか職業がありまして」

「職業というのは、つまり身分じゃな」

「そういうことです。武士とか農民とか忍者とかありますが、やっぱり武士がいいですか」

「せっかくの機会に、武士というのも面白みがないわい。……おお、そうだ。坊主はやれぬのか坊主は! 悪霊調伏あくりょうちょうぶく祈祷きとうを頼まれるとなれば、まずは坊主であろう」

「あ、あります、坊主。修験者もありますし」


 『比叡山炎上』には、僧侶も山伏・修験者も追加職業として掲載されており、これをPCとして遊ぶことができる。

 ちなみに、織田信長もNPCとして掲載されており、とある魔術書を読んで魔王と呼ばれるほどの力を得て、それを知った明智光秀に討たれるという本人を目の前にして言いづらい設定となっている。

 この点は、黙っておくことにした。

「ふふふ、悪霊退散などと抜かす坊主なら、この目でよおく見てきたわ。見事演じてくれよう」

 にんまりと笑みを浮かべる信長に、コウ太はちょっとした安心感を覚えた。

 意外と筋がいいのかもしれない。


「僧侶をやるのにふさわしい能力値かどうかは、ダイスを振ってみないとわかりませんけどね」

「ほほう、賽を振って決めるのか」

「そうです。力が強かったり賢かったり、人それぞれで、それをこのサイコロを振って決めるんです」

「確かに、持って生まれた天禀てんびんは人ごとに違うからのう。それをうまく使いこなしてこそよ」

 さすが信長、出自生まれにこだわらずに織田軍団を組織しただけのことはある。

「では、僕が言ったようにダイスを振ってください」

「心得た。そら……!」


 というわけで、キャラクター作成のダイスを振る。

 実際に、その場にあるダイスを振った。

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