第2話 織田信長、TRPGを始めることにする

「うーむ、いまいちわからんなぁ」

「だから、TRPGをゲーマー以外に一口で説明するのは難しいんだよなぁ……」

 コウ太は途方に暮れた。

 織田信長が四〇〇年の時を越えて1DKの自室にやってきて、一週間が経過した。

 その間、現代までの歴史や二一世紀についての説明はひと通り終えた。

 インターネットの使い方を教えると、信長は湯水のよう溢れている情報を知識として吸収していき、某公共放送の大河ドラマのオンデマンド放送の視聴に耽った。


 怪我がないのは何よりであった。

 本能寺で矢傷槍傷を受けた記録があるのだが、傷を負ったまま現代に来ても戦国武将に保険治療は適応できないだろう。学生のコウ太にその医療費は払えそうもない。

 さて、食生活であるが濃い味付けが好きだったという記録もある信長だけに、レトルトカレーにも順応した。

 信長も現代日本の置かれた状況を、徐々に飲み込み始めたようだ。

 しかし、TRPGについてはコウ太の説明が悪いのか、ピンとこないようだ。


 信長には、コウ太のジャージを貸している。

 着心地もよく、気に入っている様子だ。

 髪結いがいないのでまげは結えず、総髪にして後ろで縛っている。

 コンビニで、ヘアゴムを買ってくればいいので楽だ。

 剃った月代さかやきと相まってなかなかシュールな格好である。

 現代人の感覚からすると、髭を生やした落ち武者風な髪型なので、これがジャージ姿で頬杖をついて思案しているというのは、まるでコントのようだ。

 であっても、彼は織田信長なのである。無下にはできない。


 TRPG……というのは、一言で説明するのがなかなかに難しい遊びである。

 TRPGとは、テーブルトークRole-Playing Gameの略だ。

 人間同士の会話と、ルールブックに記載されたルールによって進行していくアナログゲームである。

 参加者のうち、複数人がプレイヤーとなり、自分が操作するPC(プレイヤーキャラクター)を担当し、GM(ゲームマスター)が司会進行や他のNPC(ノンプレイヤーキャラクター)を担当する。

 GMが用意する物語の中で、プレイヤーはPCたちをモンスターと戦わせたり、謎を解いたり、冒険や探索を行わせる。

 その成否は、ランダム要素のサイコロ――TRPGではダイスと呼ぶ――を振って判定して決定する。

 このように、一口で説明してもどう遊ぶのか、そして何が楽しいのかは、なかなか伝わりにくいかもしれない。

 ましていかに柔軟とはいえ、相手は四〇〇年前の時代の戦国大名である。


「そのTRPGとやらが、わしがこの時代に来たことと関係があるのであろう?」

「ええ、おそらくですけど。第六天魔王が邪神の力で現代に復活するのを阻止するっていうシナリオのテストプレイで、召喚側の儀式が全部クリティカルして、PCが全員ファンブルを出しちゃったからじゃないかと」

 コウ太が自作していたシナリオは、『クトゥルフ神話TRPG』で、そのサプリメントである『クトゥルフ2015』、『比叡山炎上』を組み合わせたオリジナルのものだ。

 PCが五人参加する想定でテストプレイをしたのだが、これを阻止するための判定に全員が100の目を出してしまった。

 五人と言っても、コウ太が自分で振った。

 そのうえ、敵の邪悪なオカルティストが召喚の儀式で行う三回の判定のダイス目は、すべて01であった。

 『クトゥルフ神話TRPG』では、判定に1~100が出る百面体ダイスを使って成功率をパーセンテージで表すのだが、この目が出る確率は……


 0.00000000000000001%


 という天文学的な数字である。

 逆に、この確率で織田信長を現代に召喚できるというのも、夢のある話だろう。

 量子学的観点から見ると、結構高い確率である。


 だが、しかしである。

 天正十年六月二日の未明、現在の太陽暦に直すと西暦一五八二年六月二一日に起こった本能寺の変と同日同刻に、ゲームのシナリオのテストプレイでの信長召喚儀式が成功する確率を実行するとなると、さらに途方もなく低い。

 偶然の偶然に、さらなる偶然、そして奇縁が重なれば、奇跡中の奇跡が起こることもありうるであろう。

 人間が壁にぶつかって、人間と壁を構成する粒子がぶつからず、すり抜けてしまう可能性も、ゼロではないが起こり得る。

 ゼロではない限り、起こってしまったもの。それがダイス事故であり、奇跡だ。

 ゲーム内での儀式で、まず起こらないはずの織田信長の召喚に成功する可能性、そして時空を越えた類似性によって織田信長が現代社会に召喚される可能性――。

 これもゼロではない限り、起こり得る。

 実際に我々が生きる地球も、ごくごくわずかなほぼ起こりえないという天文学的可能性の果てに誕生したのだ。

 かのアインシュタインは、「神はサイコロを振らない」との言葉を残したが、のちに量子力学的に否定される。神はサイコロを振るのである。

 この世の中に決まりきったことなど、何もないのだ。


「……というわけで、信長さんがゲーム内の儀式が成功しちゃったせいで呼び出されちゃったんじゃないかと。その、第六天魔王として」

「わしが第六天魔王波旬はじゅんと署したのは、信玄坊主と叡山えいざん売僧まいすどもへの意趣返しでな。別に魔王になるつもりもないし邪神を崇めておるわけでもないんだがのう」

 信長が第六天魔王と名乗った記録は、日本に残る記録ではなく、ルイス・フロイスの書簡にしかない。

 武田信玄が信長に対し、天台座主沙門信玄てんだいざすしゃもんしんげんと書状を送ったのに対し、第六天魔王波旬信長と署名して返信したという、面白い話として紹介された中でのことである。

「いやあ、でもインパクトあるんですよ、魔王を自称って。よくネタにされますし」

「しかし、後の世で化け物にされたり女子おなごにされるというのも、おかしな気分よな」

「その件については、現代のオタクとして申し訳ないなと思ってます、はい……」


 漫画にライトノベルにゲームにアニメ、いわゆるオタクカルチャーの中で織田信長というキャラクターがどう扱われているかは、今さら説明しなくてもよいだろう。

 織田信長と言ったら、下手に歴史に名を残したせいでいろいろキャラクター化されてしまうという例の代名詞的人物である。

 しかし、なんやかんやでそうした現在の文化も理解できるのはさすがである。

 それはともかくとして――。


「つまり、そのTRPGで、出ないはずの目が出た。そのせいでわしが本能寺からこの時代に呼びされた……そういうことか」

「ええ、すごいこともあったもんです」

「もう一度、その目を出せば戻れはせんのか?」

「わかんないですけど、もう一回その目を出すのは、確率的にまず無理かと」

 事象の確率というのは単純に計算できるものではないが、もう一度同じ事態を発生させるためにあの目を出そうとすると、さらに小数点以下にゼロが一六個ほど並ぶことになる。


「それより信長さん、戻りたいですか?」

「そこよな。下手に元の時代に戻ったら戻ったで、戻った先が結局金柑頭きんかんあたまに攻めらた本能寺であったら、結局腹を切ることの繰り返しかもしれんし……」

 金柑頭とは信長が明智光秀につけた仇名とされる。

 酒席を中座しようとした光秀を咎めてこう怒鳴り、その頭をひっぱたいたと。

 この屈辱が本能寺の原因とされる説もあるが、江戸時代成立の説話の中でのことなので、信憑性については疑問があった。

 そんなわけで、コウ太は光秀を金柑頭呼ばわりする信長にちょっとした感銘を受けている。


「しかし、わしとしても、この時代にやってきた仕組みを解いてみたいのじゃ。もしかしたら、違う時期に戻ってやり直せるかもしれん」

「ああ、なるほど。本能寺の変の前に戻れれば、護衛引き連れたり明智光秀の謀反に備えたりできますしね」

「戻った時期によっては、お市の浅井家への輿入れも変えられるかもしれん。わしが助からんでも、せめて信忠も救ってやりたいしのう」


 信長が自分の死後の歴史を知りたいと言ったので、コウ太は受験に使った『チャート式日本史』を渡して学んでもらった。

 お市の方の数奇な運命も、息子織田信忠おだ のぶただが本能寺の変で切腹したのも知っている。

 もし、信長が出ないはずのダイス目を出すことに成功し、過去に戻って歴史改変したら、どうなるのであろうか。

 そうなったら、戦国からさまざまな積み重ねでできた現代までの歴史がぐちゃぐちゃになり、タイムパラドックスが起こってしまうかもしれない。

 コウ太が生まれるまでの歴史も吹っ飛ぶかもしれないのだ。


「そんなわけでな。わしが戦国の世に戻るにしろ戻らないにしろ、このTRPGという遊びがどういうものか知らねばならぬ」

「はあ……」

「コウ太よ、わしとそのTRPGとやらにきょうじてみよ」

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