ノブナガ・ザ・ゲームマスター

解田明

第一章 黎明初心者編

第1話 織田信長、ダイス事故により召喚

 ふと気がつけば、そこは見知らぬ光景――。

 時は戦国、世は乱世。天正十年の六月二一日朝方。

 突然の急襲によって炎に包まれた本能寺で自害して果てた、そのはずである。


 人間五十年

 化天けてんのうちを比ぶれば

 夢幻ゆめまぼろしの如くなり

 一度生を得て

 滅せぬ者のあるべきか


 齢、四九。

 彼の名は、織田平朝臣三郎信長おだ たいらのあそん さぶろう のぶなが

 天下布武を掲げて上洛し、戦国の世を駆け抜けた風雲児である。

 それが現代の都内某所の九畳1DKにいきなり現れたのである。

 燃え盛る本能寺から一転、彼の目には奇妙な茶室にもみえようかという一室だ。

 明智光秀の急襲は、未明。

 信長は、光秀の謀反と知るや「是非に及ばず」と言葉を残し、みずからも槍を取って奮戦した。しかし、多勢に無勢。敵の数が多勢と見るや、もはやこれまでと火を放って切腹に及び、その亡骸は見つからなかったという。

 槍はないが、片肌脱いだ寝間着姿で、短刀を用いてまさに切腹に及ぼうと座ったところであった。

 背中に矢を受けた、肘に槍傷を受けたという記録もあるが、それは見当たらない。

 後世に残された信長のものという肖像画にどことなく似ているが、逆にどれにも似てないような雰囲気の面構え。

 肖像画の多くは後世の伝聞に頼った筆によるもので、それもまた仕方がない。

 しかし、彼こそは正真正銘、あの織田信長なのである。


「なんじゃ、ここは?」

 戦国の風雲児も、さすがに困惑している。

 さて、その信長が現われた部屋には、この物語のもうひとりの登場人物がいる。

 チェックのケミカルシャツにジーンズ、そして小太りメガネという、今時だと珍しいくらいオタオタしいオタルック青年である。

 そのコウ太であるが、案の定腰を抜かし、口をパクパクさせていた。

 いきなり部屋に白装束の見知らぬ男が現われ、切腹に及ぼうとしていたのである。


「ふぁあああああああっ!?」

「おわあああああああっ!?」

 お互いに素っ頓狂な声を上げて、腰を抜かす。


「……蘭丸、蘭丸はおらぬか! 槍を持ていっ!!」

 お気に入りの小姓、森蘭丸もり らんまるはここにはいない。

 信長に槍をつけた明智勢の安田国継やすだ くにつぐに討たれたとの説がある。

「ら、蘭丸じゃありません……」

 オタルックの青年が、かろうじて答える。

「いや、それは見ればわかるわい。おぬし、何者じゃ」

「え、ええと。数寄屋すきやコウ太です。その、東京学文大学の二年生ですけど……」

「……何、大学頭だいがくのかみ? おぬし官職を授かっておるのか。二年生というのは、従二位とかそういう……?」

 これは信長の聞き違えである。

 解説すると、大学頭とは律令制下の重職で、大学寮の長官を意味する。

 ちなみに、信長は右大臣と右近衛大将うこんえのだいしょうを兼任し、正二位の官位を授かった。本能寺の当時は、辞して隠居していたが。

 簡単に言うと、断然偉い。

 いや、コウ太はただの大学生だが。

「あ、いえ。ち、違いますけど。あの、あなたは」

「わしか? わしは織田信長よ」

「の、信長というと、あの織田信長……? 落ち武者の霊とかじゃなく?」

「いかにも。誰が落ち武者じゃ!!」

 まさか、いきなり光とともに部屋に現われた人物が織田信長とは思うまい。

 白装束で髪を解き、これから切腹しようという出で立ちでマンションの一室に出るとなれば、落ち武者の霊と思うのも、わからない話ではない。

「落ち延びられるなら腹は切らんわ!」

 もっともである。

 もはやこれまでと観念したからこそ、本能寺の奥の間で腹を切ろうとしたわけだ。

 その本能寺は、鉄砲の火薬も貯蔵されていたとも言われ、派手に炎上爆発、事件後に捜索しても信長の御首みしるしはおろか、死体も検分できなかったという。


「そもそも、ここはどこじゃ? 本能寺で腹を切って果てたと思ったが……もしや、あの世というやつか」

「今はその、信長さんが死んだときから四〇〇年以上経ってます」

「四〇〇年……? 毛利攻めはどうなったのじゃ!」

豊臣秀吉とよとみ ひでよしが和睦して、中国大返しで明智光秀あけち みつひでと戦いますけど……」

「とよとみ? 羽柴はしばではのうてか」

 怪訝な顔をする信長である。

 豊臣秀吉というのは、秀吉が関白になる際に新しく生み出された氏である。

 秀吉は、平秀吉、そして関白宣下を受けるため近衛前久このえ さきひさ猶子ゆうしとなって藤原の氏を得る。これをさらに豊臣に改める。

 ちなみに、羽柴は私的な苗字である。

 秀吉が豊臣という荘厳な氏を名乗るのは、信長の死後のことであり、農民出身と言われる彼の名に違和感を覚えるのは当然といえば当然だ。


 腰を抜かしているコウ太は東京文芸大学とうきょうぶんげいだいがくの史学部学生かつ、オタクゲーマーの嗜みとして戦国時代の知識は人並みよりはある。

「……つまり、わしは本能寺で切腹に及んだが、四〇〇年の後の世にやってきたわけか。いや、まさに夢幻の如くに過ぎたのう」

「は、はぁ……」

 呆けたようにつぶやくしかないコウ太である。

 織田信長が時を超え、現代にやってきたのだ。

 何が起こって、どうしてそうなったのか?

 何故、時代の違うふたりが、無理なく意思疎通できるのか?

 今のところ、そうした疑問は山ほどあるが、そういう状況になってしまったことは、どうやら受け入れつつある。いや、受け入れないと話が進まない。


「人生これまでと観念したところで、四〇〇年も先の未来にやって来るとはのう。……ということは、天はわしに何かをさせんとしておるやもしれん」

 戦国の人ならではの人生観と言えるかもしれない。

 織田信長と言えば、応仁の乱より続く戦国乱世の時代に生まれ、乱れた日本を統一しようと天下布武てんかふぶを掲げて上洛、畿内統一を果たして天下静謐てんかせいひつを宣言した。


 それほどの人物である。

 おのがこの世に生まれた理由、そして死すはずの時代から四〇〇年の後に現われたことの意味を、天命として見出そうとしている。

 そうすることによって、この怪現象への納得を得た。

 ぐるりと見渡せば、部屋には信長の知らぬ家具や家電が並んでおり、新しもの好きと言われる彼の目をいちいち引いた。

 それとは別の、机の上の奇妙なものに目を留めた。

 サイコロがいくつか転がっている。

 六面体サイコロと、十面体サイコロだ。

 その十面体サイコロだが、1の目が三つと0の目が一三個という出目だ。

 これはコウ太が実際に振って出したもので、まず普通は出ない目である。

 こういう滅多に出ない目が出てしまうことを、俗にダイス事故と言う。


「ほう、それはさいか。おぬし、双六すごろくをやるのか」

「これはすごろくじゃなく、TRPGといいます。サイコロを振りますが、ちょっと違った遊びでして」

「“てぃーあーるぴーじぃ”……とな?」

 今、戦国の雄である織田信長とTRPGが現代日本で邂逅を果たしたのである。

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