8.かくして庭園の栽培者は/現在
第27話
七年前に、目の前の人から名前を貰いうけた栽培者は。
「わたくしには本当に勿体ない、とても良い弟子でした」
思わず口を開いて、
*****
「あんた今、いくつ文字使えるの?」
外ではサァサァと音を立てて雨が降る中、文机に向かっていた馨は小首を傾げた。
「話せるのは一般共通語だけだが」
「違う、文字の読み書きが出来るのはって聞いてんの。簡単な文章でいいわ」
「同じく一般共通と、和系文字、テンパ文字、サルバサエク古来文字、クィゾーラ文字、ザエック文字、ホルマ文字……くらいか」
今はゾタ山近郊の文字を勉強しているところだ、と、馨はまったく誇らしげもなく言い切った。
「あぁそう。じゃあ」
どこでも出て行けるわね、と、ヨーコは訊ねた側としては面白くなさそうだった。
ネッサリア北外れに在住し、彼女が出歩くと雨が降ると言われているヨーコは、この庭園のヴァネシアやカリスタの良き友人である。年頃としても丁度二人の中間あたりのため、三人娘はよくガラスドームで女子会なるものを開催していた。
そして、馨はというと、もっぱらそのヨーコの八つ当たり相手だった。今日も朝から馨の部屋にやって来てしばらく沈み込んでいたかと思うと、冒頭の台詞である。
馨は一息吐いて、文机から離れた。
「今日はヴァネシアやカリスタのところには行かないのか」
「なに、邪魔だって? うるさいって言いたい?」
そうも言いたいが、と言いながら、馨は部屋に設置されている簡易的なお茶セットで和系茶の準備をする。
「庭園に来て、私のところだけが目的なら、今回の愚痴もあれだろうとな」
「……分かってるじゃない。ヴァネシアちゃんやカリスタの前ではこんな汚い気持ち出したくないからね」
そこからヨーコが話したことは、馨の予想したとおり『移住』の話だった。
ヴァネシアやカリスタの前で汚い気持ちを出したくないというのは本音だろうが、実際のところ、二人の前で移住という言葉を出すのはタブーだと分かっていたからこそ、ヨーコは馨の元に来たのである。離れたくなかった家から家族のために離れたヴァネシアと、再びフレグロダ社かテクナ・マシナの義肢の力でも借りなければ物理的に移住することは不可能であるカリスタ。
その二人の前では話せない話題であれど、フラストレーションは溜まる。誰かにぶちまけたい。そんな時に、ヨーコは馨の元を訪れるのであった。
「玄関のドアを開ける度に近所の人がビクッとするのよ。少し先に出た人は慌てて傘を取りに帰って来るのよ。わたしだって振らせたくて雨を降らせてるんじゃないってのにね」
そこで自分を知らない、雨の多い地方への移住を考えているらしい。
相槌を打ってくれるでもない馨に対し、ヨーコは一人ぽんぽんと言葉を放つ。
「でも、移住って言っても言葉はどうするの? 今のところ雨が多いってことで考えられるのはチュオノブレ地方か、それこそゾタ山あたり。どっちも会話は一般共通で大丈夫だとして、問題は文字よ。読み書きはまだ一般共通よりも土着文字の方が使われてるって聞くわ。あんたみたいにポンポン新しいことを覚えられる頭じゃないんだから、今から勉強してマスターするのに何か月かかるのかしら」
羨まし気に……若干恨めし気に睨まれた馨は、自分もポンポン新しいことを覚えられる訳ではないという文句を言うでもなく、ただお茶を一口だけ飲んで答えた。
「会えなくなるのはもういいのか」
「ヴァネシアちゃんやカリスタに? 毎回言うけどそれも嫌なのよね」
「では」
私とネッサリアから
「そのくらいの距離なら、会いに来るにも苦ではないだろう」
「は、はぁ? なに言ってんの」
馨はそれには答えることなく、淡々と説明をする。
「和系人の間では、『雨女』と言う言葉がある。それはお前が言われているように、出歩いたり大事な物事があったりする時に雨を呼ぶ性質を持つ人間のことを指す。自分から雨女なのだと公言しておけば、ネッサリアに居るよりも受け入れられやすいのではないか」
「そんなこと言ったって、わたし、和系人でもないし」
「ネッサリアに
陽子、と、馨は手身近な紙に書いて見せてから首を傾げた。
「この字は太陽のことも意味するから、皮肉になるか」
それに対し、
「ちょっと待って、違うわよ、なんでよ、止めなさいよ移住自体を」
ヨーコは頭を抑えるようしてに言葉を連ねる。
もちろん、ヴァネシアやカリスタとは違い『いつでも出ていける状態』の馨を相手とした相談ではあった。しかし、本来予定としては、苛立ちからくるこの衝動的な移住願望を、いつものごとく冷静な馨に止めてもらうつもりだったのだ。それを、今回に限ってこの男は推奨に近い説明までしてくるではないか。しかもまるで自分まで――
「まずお金よ、毎回あんた資金の問題とか」
――移住を考えている、と言わんばかりの言葉で。
発言の途中、ハッと何かに気付いたように、ヨーコは言葉を止めた。どうした、と問う馨の手首をがしりと掴む。
「いや違うわ、この際わたしの愚痴はどうでもいい」
そして強制的に視線を合わせ、囁くように問いかける。
「前にヴァネシアちゃんから聞いたことあったけど……あんた、本気でこの庭園を出て行くつもりなの?」
それに対し、馨はどっちともつかない言葉を返した。
「さてな」
逃げるような返答、ただし、その双眸の奥には既にどちらかの決意が固まっているかのようにヨーコには感じられた。
「やっぱり清谷? それとも勉強した文字の使われてるどこか?」
「何故そう私が出て行こうとしていると疑う」
「だって最近、あんた机に向かいっぱなしじゃない」
それは今に始まった事じゃないだろう、と言いつつ馨は机を振り返る。
馨が毎日のように向かっている文机には、今、年月を経たノートといくつかの辞書が載せられていた。
「じゃああれは別に出て行く準備じゃないのね?」
「……さてな。ただ、とある管理者、栽培者
「管理者か栽培者? それって……」
「――可能性の話だぞ」
ふいと目線を逸らして、馨はそう口にした。
*
「じゃあラスト問題ねーぇ。6足すことの4はー?」
「そのくらいわかります、10です!」
「ありゃ、侮ってたな」
ガラスドームのベンチの上に死人使いが、そしてその膝の上にはすずかが座っていた。
死人使いは、ん~、と言いながらベストのポケットを開き、ご褒美として中に入っていた個包装のキャンディをすずかに渡した。すずかは嬉しそうにそれを受け取る。
「流石にそれは簡単過ぎるよ、ゾンビマスターさん」
頭上から声をかけたのは苦笑するカリスタで、彼女は仲の良い死人使いをこう呼ぶ。
「そう思うならもっと早めに言ってよカリスタちゃーん」
「すずか、もう掛け算も割り算もかんたんなのなら出来るですよ?」
「それこそもっと早く言おうよすずかちゃーん」
三人で笑っていると、ガラスドームの奥から走って来る音が聞こえた。やがて姿を見せたのは、目が赤く、擦ったような跡もあるヴァネシアである。
「――仕事よ、死人使い」
「つーことは死亡確認出来たってことね。最近メンテも頻繁に必要だったしなぁ」
よっこらしょーい、と、死人使いは立ち上がった。その拍子にすずかを一度抱きしめてから、ベンチに座り直させる。
「じゃ、ちょっくら行ってくんね。大丈夫、ヴァネっちゃん」
すれ違いざまにポンと肩を叩いて、
「すぐに四代目に会わせたげるよ」
と、死人使いはガラスドームの奥へと足を進めて行った。すずかの隣にヴァネシアは座り、ぽたぽたと涙を落とす。
「カバレム、死んじゃったですか」
確認のようなすずかの呟きに、そうよ、とヴァネシアは頷いた。
外では雨が降っている。ドームのガラスに沿うように線を描いて水滴が流れ落ちる。
「あたし、結局初代にも二、三代目にも会えなかったな」
まぁたぶん四代目にも会えないんだろうけど、と苦笑するカリスタに、ヴァネシアは顔を上げて眉は下げたまま笑って見せた。
「何代目だって同じだわ。いつか見せた写真、あれそのままよ」
あいつが必ず生き返らせるから、と、ヴァネシアは既にカバレムの元に辿り着いているであろう死人使いについてそう言った。
――『死人使い』。
その呼び名は、以前ザエクールからやって来たルポライターが悟ったように、自称という訳では無かった。また、ただあだ名で呼ばれている訳でも無かった。
死人使いは実際に、個体の記憶から読んだ意思を術によって発生させ、その新たな意思をいわゆる魂の替わりに植え付けることで個体を再活動させることを得意としていた。
その術を編み出すまでは様々な方法で様々な内容を試していたため、『魔術師』と呼ばれていた時代もある。
そしてカバレムは、そんな『魔術師』から生み出されたものであった。
「ドクさん問題。1割ることの999は?」
「えー? キミのことだからどうせ『0.001001……』ではないんでしょう?」
ガラスドーム奥の扉を開け放っての開口一番に、中に居た医者は即座に返した。
「『ではない』ときたか。うーん、答えとしてはサンカクだな」
飴ちゃんはあげない、と、死人使いはドクの前を通り過ぎた。
「どうも、お待たせしました。……というと、まるでカバレムが死ぬのを待っていたようですね。何度も様子を診ていただきましたのに、先ほど、とうとう」
カバレムの腹の前に立つ幽ノ藤宮の発言に、死人使いはヒヒッと笑う。
「流石に三代目だったからなぁ。意思植えとける時間も短かったか。でも、今のワシに1割る999の答えを今さら新たに創りだせるとは思えないんだよねーぇ」
ぽりぽりと頭を掻いた後、
「だからまたこの個体として」
――生き返ってもらうよ、カバレムちゃん。
そう言って死人使いは、
体長3メートル以上はある巨大なバッタの脚に頬を摺り寄せた。
*
カバレムは元々、この地が荒地であった頃、そしてその館に『魔術師』と呼ばれていた死人使いが住んでいた頃に生み出された。
その時死人使いが行ったのは、999匹のバッタの死体に1匹の生きたバッタの意思を植え付けられないかという実験だった。結局その実験は失敗に終わり、しかし1000匹のバッタの死骸が出来上がりもせず、
「なーぜか、でっかい一匹になっちゃったんだよね、お前は」
三代目カバレムの死骸の背中から植物を切り取りながら、死人使いは言う。
新しく意思植えをする前には、奇病の元となる植物を手早く取り除かなければならない。そうでなければ、意思のない個体の身体が植物に侵食されきってしまうからだ。
「カバレムくんの出来方ってそういうものだったんですね」
作業の手を止めないまま、ドクと死人使いが会話をする。幽ノ藤宮は今後必要なものを取りに一度部屋へと戻っていた。
「あんれ、ドクさんには言ってなかったっけか」
「聞いてないですよ。ボクは『生き物なら何でも診る』って腕を幽ノ藤宮さんに買われて、外には秘密のカバレムくんに特別に会わせてもらってただけだから」
死んだままのカバレムの周囲に、次々と鮮やかな花が落ちていく。
カバレムは、苗床としては人間のヴァネシア達よりもポテンシャルが高く、年がら年中、体の様々な場所に色とりどりの花を咲せることが出来ていた。
「ついでに死人使いくん、庭園が出来るまではカバレムくんはどこに居たんだい? ボクがカバレムくんに出会ったのは既にこのガラスドームの部屋だったから、そこもボクは知らないんですよね」
ちょきん、と鋏の音を立てながら、死人使いはドクの問いに答える。
「あぁ、荒地の館からちょっと離れたところの地下、今でいう洋館入り口の横あたりに、ワシの三十七番目の研究室があったんだよ。そこ」
「それで庭園を造るって話が持ち上がった際に一人で反対運動してたんですね」
死人使いが幽ノ藤宮と初めて出会ったのはその時だった。
プラカードを持ち、
「庭・園・設・立! 絶・対・反・対!」
とシュプレヒコールを叫んでいたたった一人の抗議運動者は。
「そそ。おかげで
「それで結果は」
「
密会、交渉、と単語を繰り返したドクに、うん、と死人使いは無邪気に頷いた。
「カバレムちゃん用の部屋も準備するから自分に預けてくれって」
「なるほど」
「それでカバレムちゃんを夜中の内にネッサリア内にあるワシの隠れ家その四十五にまで移して、庭園が造られました、っと」
カバレムちゃんはいい子だからちゃんと度々のお引越しも理解してくれてねーぇ、と胸を張った死人使いは誇らしげに言う。
そしてその後に、
「……でも庭園に入っちゃったことで初代カバレムちゃんが感染しちゃったのは仕方ないよねー、カバレムちゃんには感染予防の薬なんて打って無かったんだしー」
棒読みのように付け加えた死人使いを、ドクは手を止めて見つめた。
「キミは、知ってるのですか?」
「さぁねぇどうだろねぇ、知ってるのかな知らないのかな」
カバレムちゃんどころじゃない、苗床様たちさえ知らない、本当に本当の庭園の秘密。
歌うように楽しげに言う死人使いに、
「――それを知ってるならボクと一緒だね」
と、目元の隠れた医者は口元でゆっくりと笑んで見せた。
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