第26話

 *****


 豊隗寺の先導で辿り着いたのは、屋敷の地下だった。

 地面が剥き出しとなり、壁が積み石で出来ているその空間はひやりと涼しく、問題の花は寒冷地のものだろうかと伊久は検討をつける。

「ここだ。鍵を開けるから少し待ちたまえ」

 錆び付きそうな南京錠を厳重だとも感じるが、新種かもしれない花となれば分からないでもない。

 四年前の伊久はそんなこと思いもしなかった。しかし幽ノ藤宮に栽培の知識を詰め込まれた今なら、新種の二文字が持つ価値がよく分かる。

 ぎぃ、と軋みながら開いた扉の先は、想像以上に薄暗かった。

 そのため三方向にある明り取りの窓から差す日だけが異様に白く強く感じられて、

「伊久君と会う前にも様子を見に来たのだが、うむ、短時間ではやはり変わらないな」

 日に照らされたものの汚らしさを、余計に浮き出させていた。

「…………な、んだ、これ……」

 立場も忘れて素の反応をしてしまった伊久に、

「ははは、君には見慣れたものだろうに。――これは『苗床』だ」

 豊隗寺はそう答えて笑う。


 光のもとに転がっていたのは、一人の人間だった。


 投げ出されたかのように弛緩した身体からは、まるで生気が感じられない。

 その細さから着ている物を大きく見せてしまう痩せた手足は、折れかけの枝のようだ。肋骨の浮いた肌が覗く襟元からは一本の茎が伸びていて、しかしその茎に生える葉は、一枚どころではなく、それこそすべてが病葉だった。

「これの母親は儂のめかけでな。罫野けいのに住んでいた頃に感染した。そこでこれ――かおると共に清谷のこの地下に移しておいたのだ。だが、本妻が死んで、感染予防の薬をすでに打っておった儂がこちらに移って来た頃には、もう妾は死んでおり、感染した馨だけが残っておった」

 手を後ろに回してそれに近づき、豊隗寺は首を振った。

「ここまで育てたはいいが、花はまったく咲きそうにない」

 ――さぁ伊久君、これをどうしたらいいのかね。

 こちらを見てそう問いかける笑顔の豊隗寺は、伊久の様子にも、そして自分がしている苗床への扱いにも、何の疑問も抱いていないようだった。

(茎の先に出来た、あれを蕾だとでも思っているのか?)

 あれは瘤だ。植物の、病だ。

 伊久の脳裏に、一昨日の、主と苗床が笑顔を交わし合っていた情景が浮かんだ。

「――んの莫迦野郎ばかやろうが! どけ!」

 伊久は豊隗寺を押しのけると、苗床の傍に膝を付いた。

 首の血管を指で探って脈を確認する。それは非常に弱々しくも、苗床がまだ生きていることを伝えた。

 とはいえ、かろうじて、だ。

「なにを……伊久君、どうしたというのだね?」

五月蝿うるせぇッ!」

 変わらない調子でぽんと肩を叩いてくる豊隗寺の手を、伊久は振り払う。

 苗床のぱさぱさに渇いた髪を掻き分けてやると、虚ろな眼は半開きになっていた。しかしどうも今はその焦点は合っておらず、伊久がかける声も聞こえていないようだ。

 襟の合わせを更に開いて確認した身体に、伊久は絶句した。

「死ぬぞ」

「伊久君? なにを言っているんだ?」

「外から見りゃ生えてるのはこの茎だけだが、身体の中がかなり侵食されてる。体外に出る筈の植物が……中で育ってる。このままにしてれば、こいつは死ぬ」

 むしろ、よくまだ生きていると言えるだろう。

 透けそうなほど白い皮膚の下には、根だけではなく茎の形状の凹凸が見える。今後生き永らえられるかどうかの問題は、見えない内蔵がどこまでやられているかだ。

「何故……だ? 儂の栽培方法は間違っていないはずだが……」

 本当に不思議そうに呟く豊隗寺に、伊久は一際大きく怒鳴った。

「間違ってない?! どこがだ! お前はこいつに何をした?!」

「な、何をとは、わ、儂はちゃんとこれまでの花と同じく、水もやって、こうして土に触れさせて、日も当たるように考えっう、っひ、い、いくくん???」

 指折り語る豊隗寺の身体が、言葉の途中で宙に浮いた。

「あんなに庭園に入り浸ってて、一体お前は何を見てきた」

(そして俺は、どうしてどこかで気付けなかった?)

 豊隗寺は庭園の花の購入者として、確かに常連客だった。しかし、自分や幽ノ藤宮にかける言葉の節々からは、苗床に対する執着が見え隠れしていたのだ。

(あれは花が好きな者として鑑賞用にしたいとでも考えてんのかと思ってたが)

 まさか、既に手元に苗床を所有し、自分で咲かせてみたいと考えていたなんて。

 老人の胸ぐらを掴み上げた伊久は、相手を睨みつけながら言う。

「苗床は植物じゃねぇ、『人間』だ。どっちが上かなんて決められるもんじゃないけどな、その二つの区別も付かねぇようなヤツが、半端な知識で手ぇ出してんな!」

 乱雑な手付きで豊隗寺を下ろすと、伊久はその苗床を抱え上げた。

 さしたる重みも反応も無い身体に、舌打ちをして家主を置き去りにしたまま部屋を出る。屋敷の者を呼び、その剣幕によって送りの車を出させ、伊久は庭園へと帰った。

 その腕に、病葉を散らす苗床を抱いて。


 *****


 苗床は庭園で生活させる――それは確かに、定められたルールではない。

 しかし、庭園での苗床の姿をかくあるものとしている伊久には、豊隗寺の屋敷の地下で見たものを許すことは出来なかった。

 豊隗寺が大事な客だということも、そしてそれを幽ノ藤宮に言い含められていたことも、あの時には頭から吹っ飛んでいたのだ。あったのはただ、目の前の苗床を最悪な状況下から連れ出し、庭園へと向かうことだけだった。

 そうして帰ってきた伊久を、幽ノ藤宮が咎めることはなかった。

 伊久の代わりに深く頭を下げ、あれは自分のものだと苗床を手放したがらない豊隗寺との話し合いを何度も重ね、いくつかの条件と引き換えに、苗床を庭園で引き取ることを了承させた。

 そして伊久は、苗床を連れ帰った日から、その苗床の世話を命じられていた。

「貴方には手に負えない箇所もあるでしょう。そこは私が手を貸します。ですが、出来ることはすべて貴方一人でおやりなさい。伊久、貴方が彼を連れてきたのですよ」

 そうすることで幽ノ藤宮は、豊隗寺との話し合いに結論が出るまで、伊久があの老人と接触を持たなくて済むように計らってくれたのだ。

 言葉には出さないその気遣いに感謝をしつつ、伊久は懸命に苗床の世話をした。

 その甲斐あって、馨という名の苗床は、緩やかにだが回復を果たした。

 ただ、初期処置の際、身体に巣食う植物は内臓と密着していたもの以外ほとんど撤去されたにも関わらず、馨はやはり『病』としては治らなかった。しばらくして、右腕の中ほどにしっかりと植物の根が張っているのが見えるようになったのだ。

 それでも、まったく動かすことの出来なかった身体も、二ヶ月後、庭園の洋館に新たにヴァネシアという苗床の少女が加わった頃には身を起こせるようになっていた。五感も正常に動き、身体はあまり強くはないものの、今では日常生活を送ることに然程問題は無い。

 数ヶ月間過ごして分かった事としては、苗床として大きな花を咲かせることは身体に負担がかかるので出来ないし、長い期間花を咲かせ続けているのも良くないということだった。無理をさせようものなら数日間は床に伏せたままになってしまう。

 ただしそういった自身の身体に関し、馨は特に感想を持った様子は無く、体調が良かろうと悪かろうと、彼はいつも同じような態度で過ごして居た。

 ――それはもしかすると、もはや諦めなのかもしれなかった。

 本人がそんなことはないと応えても、伊久には馨が自分の人生を諦めているように見えて仕方がなかった。またそれが、差別とはいえないかもしれないが、感染してからこれまでの対応のされ方によるものであるとすれば、どうしても納得出来なかった。

(折角自由になったってのに、その死んでるみてぇな生き方は何なんだよ)

 そのため色々と構い倒すうち遠慮のなさが軽減していき、そしてそれは馨からも同様であり――二ヶ月後には互いを「半死人」「ウドの大木」と呼ばうことすらあるほどの、良いのか悪いのかの仲になっていた。

 伊久が主の断りも無く勝手に連れ帰った者であるのに、幽ノ藤宮は馨のことをほかの苗床と同様に、そして丁寧に扱ってくれた。馨も、そんな風に自分に接する幽ノ藤宮を信頼するようになっている。

 ――馨の居場所は、最早庭園のほか考えられない。

 本人がどう思っているかは分からないが、少なくともその時から、伊久にとってはそうだった。

 

 *

 

 伊久が馨を引き連れて帰ってから四ヶ月後。

「あら、あんたがこっちに来るなんて珍しい」

 ヴァネシアは、洋館の玄関に姿を現した馨を見てそう言った。

「いつも和室の部屋に引っ込んでる癖にどういう風の吹き回し? 雨でも降らせるのはやめてよね、こんなタイミングで」

 この場では本人以外知らない話だが、二ヶ月前庭園に来るまでの自分を完全に棚に上げた発言、そうでなくても態度の大きな発言である。

 しかし、馨には特に気にした様子は無かった。

「追い出された」

 それはまったく言葉の通りで、

「蔵の中身の日干しに部屋を使うから出てけ。半死人でも洋館まで歩く体力くらいあるだろ」

 と、馨は先ほど伊久に追い出されたのだった。

 ちなみに、幽ノ藤宮はすずかを連れて今朝からドクのところへ出かけている。

「あと、今なら丁度いいから面白いものでも探して来いと、あの大ウドに」

「面白いもの探し、そりゃオレが手伝ってやるよ」

 その場に居た三人目の人間が声を上げた。

「あんたが、このあいだまであの金持ちジジイんちに幽閉されてたって噂の奴だろ?」

 銜えたキセルと左手に嵌められた黒手袋が目立つ男は、玄関階段前のリヤカーの横に立っていた。

「生きて助かって良かったなぁ? 生きてりゃ本が読める。本が読めりゃ世界を知れる」

 そして、そのリヤカーの中には本が山積みになっていた。

「貴方は?」

「おう、オレの名前はしょう。清谷の貸本屋フクロウの店主で、定期的にここに本を届けに来てんだ」

「なるほど、面白いものか……」

「好みを言えば合いそうなやつを選んでやるよ。借りたら延滞金はきっちりとらせてもらうけどな、あと傷つけた時の賠償金」

 手でコインのマークを作って見せる商に対し困ったように黙りこくった馨に、リヤカーの中を吟味していたヴァネシアが珍しく助け舟をだすように言葉を差し込んだ。

「なに、お金のことで遠慮してるの? 今後ともキノコが生えそうな程ずーっと部屋に引っ込んでるつもりなら、延滞金が発生する前に返せるでしょ。さっさと選びなさいよ」

「それで悩んでいる訳ではない」

 ふるりと首を振った馨に、じゃあ文字か、と商が指を立てる。

「安心しな、ちゃんと和系文字の本も持ってきて――」

「そもそも私は文字が読めない」

 突然の馨の告白に、思わず二人は言葉を失った。

 先に復活したヴァネシアが、わざとらしい程に首を傾げるようにして尋ねる。

「な、ん、で、それを今まで言わなかったのかしら。そんな素振り無かったから、全ッ然気付かなかったじゃない!」

 憤慨するヴァネシアをよそに、男二人は会話を続ける。

「そりゃまた……習ってねぇのか?」

「いや、元は和系文字なら読めていたのだが。豊隗寺様のところに居た間、文字を目にすることが無くてほとんど忘れてしまった」

 あぁ、と商は納得したように頷き、

「それならこれ使いな、すずかちゃんにどうかって持ってきたもんだが」

 と、和系文字の教本をリヤカーの中から取り出してきた。

「……いや、そこまでのものでなくていい」

「じゃあそうさな……こんくらいのもんか」

 ちょっと! と、口を挟んだのはヴァネシアである。

「ネッサリアで暮らしていくなら和系文字より一般共通文字の方が目に触れる機会が多いわ! そっちのやさしめな本は持ってきてないの?!」

「いやあるけどよ。和系人である以上、和系文字は思い出しておきたいかと、にぃさんの意思を汲んでやろうとしただけじゃねぇか」

 それに、と、商はにやりと笑って言った。

「将来的に、ここを出て和系集団地域に腰を据え直すことだって考えられるだろ? 処置が終わってて、にぃさんから病が感染して広まることはもう無ぇんだから。そうなりゃ和系文字を使う回数の方が――」

「腰を据え直すって? つまりは庭園を出るって?」

 ヴァネシアは即座に反応し、きつい口調で吐き捨てる。

「苗床のわたし達がそんなことする訳ないでしょ、バカ言ってんじゃないわよ!」

 しかし、

「そうだな。……両方借りてもいいだろうか」

 と、当人である馨は淡々と言って、リヤカーを覗き込んだ。

「――ッ!」

 唇をわななかせたヴァネシアが、捨て台詞を吐くこともなく洋館の中へ走って入っていく。

 目線だけでそれを追っていた商は、

「……結構冗談交じりだったんだけどよ、にぃさん、ここ出てくつもりあんのか?」

 と、目線ですらそれを追わなかった馨に尋ねる。

「少なくとも今時分は無い。だが、いずれ自分一人で生活するためには、両方の文字……出来るだけ多くの文字が使えた方がいいだろう」

「いずれってこた、やっぱりあるんじゃねぇか」

「いずれはいずれ、可能性の話だ。もし、何かの契機でここを出て行く決意をした時、一人で生活する術がなく、結局はここに縋るしかないというのは困る。縁故にここの世話にはなっているが、私は、私だ。自分の意思で道行を決めたい」

 きっぱりと言い切った馨に、ぱん、ぱん、と商は拍手を送った。

「考えてらっしゃるねぇ。――気に入った。そのいずれが来た時には教えろよ? あんたにとっちゃ忌まわしの清谷かもしれねぇが、そこでの生活なら保障してやるよ」

 もちろん幽閉は無しでな、と、貸本屋はキセルを回した。

「再度言っておくが、可能性の話だからな」

 と、馨は商に目を合わせてから念を押した。

 結局、商は馨に二種類の本を渡すと、ジルの元で休んでいたフレグロダ社の社員二名にリヤカーをひかせて清谷へ帰っていった。

 その日を境に馨は二種類の文字の勉強を始め、それはやがて伊久にも伝わる。

「……やっぱりどう見ても和系文字は分っからん」

「私には一般共通の音と文字との不一致の方が謎だがな」

 馨が珍しく自分から何かすることを嬉しく思っていた伊久は、馨の勉強をただただ冷やかしたり励ましたりして喜んでいるのであった。

 ――その時は、まだ。

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