第24話
*****
開園したばかりの『ウィスティリア庭園』は連日盛況だった。
伊久が整備を行った花畑もそれぞれの建物も客には大いに喜ばれ、特に本物の『偉人』や苗床と触れ合い、話し合えるのは非常に良い経験となる、と大人気だった。
開園初日からしばらくして、伊久は和館・幽ノ藤宮の部屋に呼ばれた。
幽ノ藤宮の部屋だけは、和室ではなく洋室の造りになっている。机の前の椅子を勧められた伊久はそれを辞退し、立ったままで話を聞いた。
「正直にお答えなさい、伊久。今、手一杯ではありませんか?」
「……はい。閉園時間後は特に」
昼間の客への対応は、幽ノ藤宮や苗床自身がする。
そのため伊久は、最近幽ノ藤宮を手伝うようになった商売の方面、花の販売の発注を受けたり顧客と連絡をとったりする作業を行う時間をとることだって出来た。
しかし、閉園後が問題なのだ。
入る多くの客の中には、ところどころにマナーの悪い客も居た。閉園後にはゴミが捨てられ、花が踏み散らされている箇所もあった。整備し直しても、次の日の同じ時間には別な場所で同じようなことをする必要がある。その作業には大分の時間がとられる。
苛立ちを抑えつつ、時々すずかやジルに手伝ってもらいながら、どうにか他の作業もこなしていたが。
「夜間の警備は……すみません、ほぼ出来ていない状態です」
開園前には一定時間ごとの夜間の見回りも行えていた。
しかし今、整備に時間をとられズレ込んでしまった作業をした後に見回りの時間まで仮眠をとろうとすると、どうしてもその時間に起きられない状態が何度か続いていた。だからと言って昼間も忙しく動き回っている伊久がまったく寝ずの番というのも無理な話だ。
「一日働きづめで疲れもするでしょうからね。そこで提案なのですが、何人か、庭園に外の方を入れましょうか?」
「えっ……」
それは、伊久にとって正直なところショックだった。
いくら昼間に客が入るようになったからといえども、幽ノ藤宮と自分、そして苗床たちだけの一まとまりは、言うなれば家族や運命共同体のように感じていたからだ。
――そこに、他人が入る?
「それは……弟子として、ですか?」
幸い洋館の部屋は多いのでそこに住んでいただいてもいいでしょうし、と前置きをして、
「本質に申し分が無ければ、伊久の言うとおり、わたくしの第二、第三の弟子となっていただいても良いかもしれませんね」
(主様が見込み、弟子として入って来るなら認めざるを得ない……)
愕然とする伊久をよそに、幽ノ藤宮は話を続ける。
「貴方も
笑みを浮かべながらの質問に、
「欲しくありません」
主の唯一の弟子を自負する伊久は、咄嗟に強い口調で答えていた。
「そうですか」
と、返す主の表情は特に崩れることはなくいつもの様子だ。
「では、警備役として何人か雇わせていただくというのはどうでしょう?」
それなら、と伊久は考え考え、言う。
「警備を雇うというのは、ありがたいお話です。その、庭園の中に雇われ者――というか、余所者? が入るというだけでも、少し思うところがありますが……」
正直ですねぇ、と幽ノ藤宮は少し笑った。
それに合わせて笑みを浮かべてから、
「でも、今の俺は役に立ててない。警備が薄く、もし何かがあった時に動けない現状、それは許されない。だから俺が生活サイクルに慣れてしっかり警備が出来るようになるまでは」
誰かを雇い入れてください、と、伊久は頭を下げた。
*
その翌週から、夜間の警備として三人の男が閉園二時間後から朝まで洋館に入るようになった。
大柄でエレール女学園に娘が二人居るというガルバ。
時々早めに来て整備を手伝ってくれるティノス。
無口気味だがすぐにすずかと仲良くなったシン。
三人とも気の良い男達で、警備の仕事もよくしてくれる。伊久は、わがままのような理由で警備を他人に任せることを渋っていた自分を内心恥じていた。
「三人はどうやって選ばれたんだ?」
今日も早めに来て手伝いをしてくれているティノスに尋ねると、
「市長の推薦だよ」
と、少し嬉しそうに答えられた。
「幽ノ藤宮様からお話があって、市長が何人か候補を選んだんだ。その中で更に絞られたのが僕らってとこ。あぁ、シンは元から幽ノ藤宮様と少し繋がりがあったらしいけど」
「シンが?」
「そう。庭園のかかりつけ医さん、その人の引き取ってる娘さんのお兄さんなんだって」
庭園のかかりつけ医と言えばドクのことだ。そして引き取っている娘といえば、
「……あの感じだと、ユウじゃなくてディリの兄ちゃんって方かな」
伊久は一人納得した。シンを見た時、どこか既視感があったのだ。あれは、いつもマスクをしてぬいぐるみのディルを引きずり回している、ディリという女の子と似た雰囲気からくるものだったのだろう。
伊久の呟きは聞こえていなかったらしいティノスに、
「まぁ、市長からの推薦じゃ、勝手に花を売っぱらうような真似はしないよな?」
と、伊久は意地の悪い笑みを浮かべる。
「当り前じゃないか! まぁ、夜中に起きているのは得意だから任せてよ」
年下の青年は慌ててそう言うと、
「今日から見回りは一人ずつだもんな。頑張ろう」
と両手を握って意気込んだ。
この三人になら任せられる。自分はもう心配することなく、警備時間に目覚められるように訓練をしながら、更なる勉強に励もう。
伊久はそう思いながら、頼むぞ、とティノスの肩を叩いた。
*
しかし、信頼の崩壊は早いものだった。
――パリィーーンッ。
数日後、夜中高らかに響いた音に、伊久は机に向けていた顔を即座に上げ、階下に降りた。玄関まで走るとそこには既にシンが居り、
「たぶん、ガラスドーム」
と言って走り出した。伊久も後に続きながら、何があったか想像を巡らせる。
ただガラスが割れただけならいい、だがカリスタやカバレムに何かがあったら……と、そこまで考えて、今の時間は、と気付いた。
(ガルバの見回り時間のはずじゃないか?)
そしてもう一つ、
「クリスタリア、開花時期。じゃない?」
隣を走るシンの呟きで、伊久は地を蹴る足に力を込めた。
ガラスドームに到着した時、再び高らかな音がした。ガラスが割れる音だ。
奥の方からは何か言い争う声や暴れるような影が見える。
「大人しくしろっ、何もアンタに危害を加えようってんじゃないんだから!」
「むうううううううううううううううう!」
クリスタリアの樹に近づくと、満開の花の下で梯子に乗ったガルバが、カリスタの口を腕で抑えつけているのが見えた。カリスタはその腕に思い切り噛み付き、
「いってぇなぁっ! っつか危ないだろう!」
「どっか行けぇ盗人ッ! 連れてきてもらった時点でッ、あたしの花はッ、全部幽ノ藤宮様のものだ! ――
パリィーーーーンッ。
口で銜えられたガルバの装飾品を思い切りぶん投げていた。それは空を切り、まったく違う方向のガラスを割ってしまってはいたが、十分な牽制にはなっていた。
そろそろマズい、と思ったのか、ガルバがカリスタから手を遠ざける。
伊久はその後ろに立ち、容赦なく梯子を蹴り倒した。
「いっ……あ」
始めは腰を抑えるようにしていたガルバも、伊久を認めると言葉を失う。
伊久はその肩を掴むと、
「出ていけ。言い訳は聞かん。二度と庭園の地を踏むなよ」
と、園芸用の鎌を携えて言った。ひ、と短く声を出したガルバは、そのままガラスドームを走り去り、庭園からも出て行ったようだった。
「ティノスは行かないの」
シンの声に、樹の後ろに隠れるようにしていた影がビクリと動く。
「ぼ、僕は、ガラスが割れる音を聞いて、それで――」
「ガルバがカリスタを取り押さえる役を請け負ってたなら、クリスタリアを採取する役も必要だったはずだ。嘘を続けようってんなら、そこに隠してる袋を見せてから口開け」
何が市長に選ばれた候補者だ、と、伊久は心からの声で吐き捨てた。
こんなことが今後も繰り返されるのか。また苗床が傷つかなければならないのか。
なぜ皆、主のように苗床を慈しむ気持ちになれないのか。
「……売ろうとしたわけじゃないよ、ただ」
「ただなんだよ言ってみろッ!」
「……欲しかったんだ……」
ティノスはぽつりとそう言うと、袋をその場に置いてガラスドームを去っていった。
伊久はすぐにカリスタを見上げる。
「大丈夫か、カリスタ?」
「平気平気。……うそ、ちょっと怖かった」
だろうね、と言いながら、シンが梯子を片付ける。
その淡々とした相槌に笑いながら、あとねぇ伊久、と、カリスタは続けた。
「歯が痛い。だから、明日のパンは柔らかいのがいいなぁ」
恐ろしい目にあったというのにそうして茶化して笑って見せるカリスタに、
「わかった、約束する。……お前の好きなジャムもつける」
伊久もようやく笑った。
と、唐突にシンが手を上げた。
「自分も、出て行くよ」
「なんで、別にお前が悪いことをした訳じゃないだろ?」
シンはガラスドームの割れた箇所を探すようにあたりを見回しながら、
「伊久が嫌がってるから」
と答えた。
「俺が嫌がる?」
「嫌がるというか。結局起きてる。オレ達が見回りの時間は必ず」
やがて目線を伊久へと戻すと、ぽん、とその腕を叩いた。
「花の採取も、庭園の見回りも。本当は自分の仕事だって思ってるんだ。自分と同じじゃない人がそれをするのは許さないって。そう思ってる」
だから行くよ、とだけ言い残し、最後の、三人目の警備員もガラスドームを去った。
*****
「新しい警備員は要りません」
俺がやります、と、伊久はきっぱりと言い切った。
「市長の推薦でだってあれだったんだ、極力、外の奴らを入れたくない。大事な庭園を荒らされるようなことは、そして苗床を傷つけられるのは、もう御免なんです」
目の前の主は少しだけ微笑んで、そうですか、と言った。
「ただし一つ条件をつけましょう」
「条件ですか?」
「えぇ。わたくしも、夜間の警備をさせていただきます」
そんな、と慌てる伊久に、なぜ驚くのです、と幽ノ藤宮は目を瞬かせる。
「だってそんな大変なことを主様がされるなんて」
「そんな大変なことを貴方一人に負わせていたわたくしが悪いのですよ」
それに、と幽ノ藤宮は机を片付けながら続ける。
「すずかとジルさんの協力から開発した薬のおかげで、病は全体的に治まり、花の改良も充分に進みました。研究の対象ではなくただ共に暮らしませんかという話の持ち掛けとして感染者は以後も探していこうとは思っていますが――ともかく、急ぎであった研究はほぼ終わりました。ですから」
辛いのですよ、と、幽ノ藤宮が笑う。
「わたくしは机上よりも実際の研究で結果を出す方が好きです。研究は夜間の方が捗るので、すずかを寝付かせた後はいつも研究室に入っておりましたが、最近どうも時間を持て余してしまうことがありまして。しばらくこれまでの見直しや今後の計画など、この机に向かって調べものをすることの方が多いでしょう。そんな時の気分転換のためにも、わたくしにも見回りをやらせてくださいな」
ゆるりと笑って見せる主に、伊久は、
「それが本当に主様のためになるなら……」
と、不承不承頷くしかなかった。
「警備については伊久の方が先輩ですからね、いろいろと極意を教えてくださいまし」
「先輩やら極意やらやめてくださいよ」
面映ゆさに顔をしかめた伊久は、そこで気が付いた。
「っ、やっぱり駄目です、主様が夜間警備を行うのは!」
「それはまたどうしてです」
「この間みたいに――ガルバのような大柄な男で、もっと凶暴なやつでも入ってきたらどうするんですか。主様だけではそんな狼藉者に」
「大丈夫ですよ」
きっぱりと、幽ノ藤宮は言い切った。
「何が大丈夫なんですか」
こんなに線が細い人が何を、と考えながら目線を合わせ、伊久はその目がまったく冗談を語っているわけではないとすぐに気付いた。
「何故かは教えられませんが、例えばわたくしに傷を負わせた時点で、その相手は大変なことになりますから」
大丈夫なのですよ、と、主はただ笑ってそれだけを繰り返した。
「それより伊久、気付いておりますか?」
「? 何を、です?」
「シンさんが言い残したという言葉の真意です」
「俺と同じじゃない人が、って部分ですよね? 俺は『弟子』として考えていましたが……違うんですか?」
そうですか、とだけ主は言い、その時点で正解を教えてもらうことは出来なかった。
「それから、開園日を半分にしようと思います。連日急いでの整備では花畑の美しさが保てませんし、何より苗床の皆さんへの精神的不安を減らしたいので」
「あぁ! それは確かに良いと思います、俺も」
「ではまずしばらく閉園として、開園暦の計画を立てることとしましょうか。伊久、今日の夜の予定は」
「大丈夫です、ズラせます。見回りにもきちんと行きますから!」
主の提案に、伊久はすぐにそちらへ思考を切り替えた。
――そのために。
シンが言い、主が確認をした、その内容に伊久がようやく気付いたのは、長らく長らく後のことであった。
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