6.想いと役目とその差の/三年前

第23話

「驚かしちゃってごめんなさい」

 太い蔦に身体を絡めとられ、太ももから植物を発芽させながら、その少女は言った。

「でも、あたしまだ人間のつもりですから。他人に危害を加える気は無いんです。――ただ、どこかの『偉人さん』がつくったお薬を飲んでないのなら、あたしに近づかない方がいいですよ。感染うつっちゃうかもしれないから」

 その少女に近づいた人間は、そうですか、と頷いた。

 そして、

「では、一緒に参りませんか?」

 と、そう尋ねた。

「え、えっ?」

「貴女が、誰かに感染させることを恐れる優しい心の持ち主なのでしたら、わたくしと一緒に来てくださいまし。もちろん、今すぐにということは出来ませんが」

 随分と立派な樹ですしねぇ、と、藤色の髪が揺れる。

「動かすとしたらフレグロダ社に頼むしかありませんね。それでも何人必要か……」

「あ、あの、どういうお話ですか? あたしを、動かす?」

「えぇ。もはや樹から離れられない貴女をネッサリアまでお連れするにはそうするしかないかと思いますが」

 つらつらと、しかし緩やかににこやかに話を進める相手のことを、もしかして、と少女は思った。

「もしかして、……『偉人さん』?」

 『偉人』『栽培の第一人者』――奇病を止め、感染予防の薬を配布し、今は苗床の花の売買にさえ手腕を展開させているという。

 えぇ、と、かの人は頷いた。

「わたくしのような者がお恥ずかしい限りですが、そう呼んでいただくこともあります」

 隔離手段として樹に縛られて一年間ほど。

 ずっと自分の意識が途切れるのを待ち続けていた少女は、

「あぁ……お願いします、連れて行ってください」

 一筋の涙を流しつつ、笑顔でそう言った。


 *****


 すずかとジルの花の売り上げを元にした『ウィスティリア庭園』が完成したのは、カリスタと幽ノ藤宮が出会ってから半年が経った頃だった。

 形あるものはなんでも運ぶがモットーのフレグロダ社の力を借り、遠いカリスタの故郷・ディカダオからネッサリアまでやってきたカリスタは、年中快適に過ごせるよう工夫のされたガラスドームに移された。

 また、同じ頃、ガラスドームの奥の扉にはカバレムという苗床も入所することになった。その時の手伝いにはその年内に出会ったところの死人使いが駆り出され、外の者にはカバレムの見目等は一切何も分からないようにされていた。

 今、庭園の同じ敷地内に建てられた和館には主に幽ノ藤宮とすずかが、洋館にはジルと伊久が入って生活している。

 まだ建物が出来たばかりで敷地内に花の姿は無い。

 当然、『庭園』としてのオープンもまだ先だ。予定では三か月後としている。

「なんのお花さかせるですか?」

 黒土の間の小道を歩き、隣で手をつなぐすずかが言う。

 植物の改良もすっかり終わって、今のすずかの頭は春の野原のような状態だ。小さくてほろほろとした可愛らしい花がいくつもいくつも咲いている。

「そうだなぁ。すずかはどんな花が好きだ?」

「なんでもすきです。あ、ジルさんのさかせるいいにおいのくさも!」

 ジルが背中に咲かせる花には、時々ハーブが混じることがあった。

「そうか。俺はすずかの可愛い花も好きだぞ」

 嬉しそうに笑うすずかをひょいと肩車して、二十七歳の伊久は思った。

 商売の分野で主様が活躍されていた間、自分はずっと栽培の勉強をしてきた。

 ここをどこの金持ちの庭にだって負けない、花いっぱいの庭園に整備してみせるさ、と。


 *


「カリスタ、ジルさんこっちに来てないか?」

 いつもは洋館でのんびりと過ごしているジルが、朝から見当たらなかった。

「ジルさん? 見てないけどな……カバレムの扉の方にも誰も行かなかったと思うよ」

 そうか、ありがとう、と礼を言ってその場を立ち去りかけ、

「忘れてた、何か要るものは?」

 と、ほぼ動けないカリスタの目を見つめて真面目に訊ねる。

 カリスタはけらけらと笑うと、

「無い無い。あたしが庭園来てからここ通る度に毎回それ聞いてくれるけど、そんな気ィ使わなくたって大丈夫だよ。生まれ故郷で縛られてた時よりずっと快適だもん」

 と答えた。

「何かあったら無茶苦茶おっきな声で叫ばせてもらうからさ」

「わかった。じゃあそれで頼む。ただしその声でガラスは割らんでもらいたい」

 二人は顔を見合わせて笑い、伊久はガラスドームを後にした。

 その後もジルを探して歩いていると、東屋の辺りで丁度行き会った。

「あぁジルさん、探してたんですよ」

「何かね」

「花壇にハーブも植えようと思うんですけど、種類と……」

 会話の途中で、伊久は気付いた。

「どうかされたんですか?」

 ジルの表情がいつになく暗い。

「いや……あぁ、心配をかけてしまってすまない」

 今日は妻の亡くなった日で、と、静かにジルは言った。

「洋館は、いつもは申し分なく過ごしやすい。だがこういった日にああいった広い建物に一人で居ると、老体を物悲しさが襲うのだよ。――伊久君、もし時間があれば、お茶の一杯でも僕に付き合ってもらえないだろうか」

 当然の答えを伊久が返し、二人は洋館の客間でハーブティーのカップを傾けた。そして、カップのお茶の量を減らしつつ、ジルの話を聞いた。


 サルバサエクのジルが発病した時、傍らには妻――カルラが居たらしい。

 そしてその翌週には、彼女も発病をした。

 世間を騒がせている奇病に感染する、しかしそれは二人きりの老夫婦の生活の中では穏やかな変化でしかなかった。

 痛みがある時にはお互いに患部をさすり合い、耐えた。出来るだけ気分を落ち着かせて過ごそうと、いろいろなハーブティーを淹れては飲んでみた。

 発病してから数週間。カルラの植物の先に小さな蕾を発見した。

「こんな老いぼれにどんな花が咲くのか楽しみねぇ」

 ゆったりと笑うカルラに、ジルも同意していた。

 しかしある時、カルラが体調を崩した。それはけして奇病のせいという訳ではなく、ただの風邪だった。しかし周囲はそう見なかった。

 ――あれは感染した者の最期だ、近づかない方がいい。

 そう言って、医者からも薬屋からも関わることを拒否された。それならばと家庭用の医学書を買いに本屋に出向くと、

「奥さん、もうダメなんだろう? そんなのの身近に居るアンタには物を売れやしないよ、それにアンタ自身も感染してるじゃないか。消毒する範囲が増える前に帰っとくれ」

 と、入店することさえ出来なかった。

 はじめはただの風邪であったのに、何の処置も出来ないままの老体は、どんどん容態が悪くなっていった。そこに更に、度々植物から与えられる激痛。カルラはとうとう、ハーブティーさえ飲めなくなった。

 それでも。

「心残りは、わたしに咲く花が見えないことね。あなたは生きて、必ず花を咲かせてください。そしてわたしに見せて――」

 カルラの最期の言葉は、世間を憎むようなものではなかった。


 そこまで話し、ジルは自分の襟元にあるループタイを緩めた。

「これは妻のペンダントを加工したものだ。僕は自分に花が咲くたび、一番に彼女に見せるようにしているのだよ」

「そうだったんですか……」

 他に何ということも出来ず、伊久は黙り込む。

 そんな沈黙を、

「僕は世間を憎んでいる」

 と、突然の告白でジルが切り裂いた。

 意外だった。いつでも温厚な性格を表立たせているジルは、今まで庭園に住まう者の中でも最も気が長く、最も穏やかであったからだ。

 伊久は思わずジルを凝視してしまう。

「今は治まったとはいえ、妻を奪った差別があったことは忘れない。ドク先生のような医者が故郷に一人でも居れば、いや、代わりに薬を買ってきてくれる人が一人でも居れば。妻はせめて、自分の花が咲く頃までは生きていられたかもしれない」

 淡々とそう言いながらも、ジルの目には強い意志が見られる。

 ただ、と、彼は続けた。

「今後この庭園が開かれた時、訪れていただくお客様たちのことを憎むことはしないよ。特にネッサリアは苗床病の発生地から距離があって、そういった差別があったことすら知らない方も居る」

 ふうっと一つ大きな息を吐いて、

「ここを、美しいものが見られる場所としてお越しくださるんだ、丁重におもてなしをさせていただかなくてはならないね」

「ジルさん……」

 そうしていつものように笑ったジルに、伊久は知らず安堵の息を吐いていた。

「それで、花壇に植えるハーブの話だったかな?」

「あっ、はい。ハーブのことは精通しているジルさんに聞いた方がより良くなるだろうと、主様も言っておられたので」

「それは困った」

 もうすっかりいつもの調子に戻り、ジルはぽりぽりと額をかいてみせた。

「大恩のある方からの期待に応えられるか心配だ。もう一杯、お茶を飲んで心を静めながらでもいいかね?」

「えぇもちろん、出来れば俺にもおかわりお願いします」

 ジルとのお茶の続きを終え、作業をいくらか手伝ってもらってから、伊久はジルと別れた。

 そこで今日初めて耳にしたジルの過去の話と胸中を思い起こし、苦い気持ちになる。

 幽ノ藤宮の功績によって、奇病は収束し、差別も無くなった。

 ――されど。

(両者の間にはまだ溝が。特に『された方』ってのはなかなか忘れられないもんだ)

 すずか、ジル、カリスタ、カバレムに了解を得てから考案が始められたこの交流型の庭園だが、差別などの辛い目にあってきた苗床にとっては、今後一般人と関わるという点で精神的に負担もかかるのだろう。

(今、一般人よりも苗床に近い場所に居る自分に出来るのは、苗床に寄り添って嘆きや要望を聴くこと、叶えることだ)

 この庭園が開いた後、一般人と苗床の両者が触れ合うことが双方良い方への働きかけとなればいいと、栽培者として伊久は本気でそう思った。

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