第16話
*****
滞在三日目の朝の空は、綺麗に晴れていた。
ジラルドが初めて訪れた時と同じように、ガラスドームにはたくさんの光が射し込んでいる。
反射するプラチナブロンドを揺らしながら、自分に近づいてくる者に、カリスタはいつものように笑顔を向けた。
「おはようございます。……でも、さよならですね」
ジラルドが手に持つ鞄を見て、今日が帰られる日でしたね、とカリスタはそう言った。
クリスタリアの樹のすぐ傍まで近づいたジラルドは、しばらく何も言わずにカリスタを見上げていた。彼女は少し照れたような顔をして、
「えぇと……ジオークさん?」
ジラルドのことを、そう呼ぶ。
「聞いて欲しい話があるんだ」
「はい、なんですか?」
楽しそうに笑みを浮かべるカリスタに、ジラルドは言った。
「僕から靴を贈らせて欲しい」
昨晩、デューイの居ない部屋でジラルドは考えた。いや、悩んだ。
悩んで悩んで、ジラルドは悩み苦しんだ。幼い頃から不安とも悩みとも縁のない生活を送り続けてきたジラルドにとって、それは今まで感じたことのない苦しみだった。それでも、その悩みの末に、ジラルドは最終的な結論をだした。
カリスタを、ジラルドの伴侶としてシャグナへ――
「緑と白以外の色で、君に似合う色のものを探そう」
――迎えることはしない、と。
「君は、会いたい人が居ても会いに来てもらえなければ会えないと、それは寂しいことだと言っていた。君が会いたい人に会いに行くための靴を、僕から贈らせて欲しい」
カリスタは、ひどく困ったように微笑んだ。
皮肉や嫌がらせなんかではないんだ、と、ジラルドは真剣な声で言った。
「聞いてくれ。君は、自由になれる」
ジラルドは昨日、幽ノ藤宮との間に交わした話をすべて説明した。
そして最後に付け加えた。
「僕は君が自由になるまで、ずっと傍で支え続ける」
「傍で、って」
「テクナ・マシナの義肢に関する技術を学び、医学や栽培に関する知識を学んで、必要ならば資格も取ろう。君自身の望みを叶えられるようになるまで、僕は何でも協力する。君のために出来ることを、すべてやりたいんだ」
だからシャグナには帰らない。
シャグナ王国第一王子は、すべてを捨てる気で彼女を見つめた。
「…………」
自由を封じられた苗床は、
「あたしは――……」
埋もれた自分の下半身を眺め見るように目線を動かしてから、
「あたしは、その方法があることを知っていました。それで……誰かがその言葉をあたしにかけてくれるのを待っていた。気持ちが定まる機会を、待ってたんです」
自分を一心に見つめる瞳を、見つめ返した。
「あたし、やりたいこといっぱいあるんです」
カリスタは笑う。
ジラルドが恋に落ちた笑顔で、カリスタは、笑う。
「まず自分の両手でごはんを食べたいし、ウインドウショッピングしながら街を歩ってみたい。それに原っぱを思いっきり転げ回りたい。こどもの頃に見たきりの海をもう一回見たい。前はよくやってた、山登りもやりたい。それから、庭園に来たお客さんは知ってるのにあたしは知らない、和館や洋館で生活してるみんなの姿を見てみたい」
シャグナ王国にだって行ってみたい、と、彼女は言った。
その言葉に胸が詰まったジラルドが口を開く前に、
「だけど、ごめんなさい、ジラルド様」
カリスタはきゅっと小さく眉を寄せた。
「名前を……何故」
ジラルドは、自分の本名をカリスタには最後まで明かさないつもりだった。
本当の名で呼ばれることはなくとも、それに対するに寂しさや悔しさを堪えてでも、王国の王子としてではなく、ただの観光客として接していて欲しかったからだ。
幽ノ藤宮へ滞在の許可を申し込む時には交渉のカードとして使うことに躊躇うことなどなかったその身分を、カリスタの前では楯にしたくなかった。
昨日、友人内での話の中でヴァネシアが話してしまうかもしれないと思っていたのだが、夕食の後に本人の方から、
「カリスタにもヨーコにも、あなたのことは言ってないわよ」
と告げられた。口であれだけ嫌味を言いながらも、彼女は彼女なりにジラルドの思いを汲み、計らいをかけてくれていたのだ。
――だから、カリスタは知らないはずだった。
ジラルドの疑問を分かっているだろうカリスタは、しかし、それに答えはしない。
「有難うございます。あたし、ジラルド様の御陰ではっきりしました」
カリスタは満足そうに笑っている。
「あたしの『自由』は、ここに在る」
見つけたものの喜びを噛み締めるように、カリスタは瞳を閉じた。
「望みが……やりたいことが、たくさんあるのではなかったのか?」
「あります。さっき言ったのは、全部本当です」
ジラルドの言葉に、彼女は真剣な表情で答える。
「この樹と離れることが出来たら、さっき言ったことは全部出来るようになる。それはすっごく魅力的なことです。だからこそ、ずっとあたしは悩んでました。そうして欲しいって頼んだら、きっと幽ノ藤宮様はあたしとクリスタリアを離してくれるだろう。そんな可能性が見えているのに、あたし、このままでいいのかって、ずっと気持ちが定まらなかった」
――『このままで良いのだろうか』。
それは、式典前日にジラルドが抱いた思いと同じだ。
彼女は長い間ずっと、自分の中に貯め続けていた。誰に話すこともなく、来るかどうかも分からない、その気持ちに区切りがつく時を待って。
「だけどその気持ちも、さっき定まりました」
もたらしたのは、ジラルドだった。
「…………」
「一回心が決まると、ブレないものなんですね。あたし、これから何度自由に選んでいいよって言われても、たぶん、ずっと答えは同じです」
だって、と、カリスタは首を逸らして堂々たる巨木を見上げた。
「この樹も、もう、あたし自身なんです。これはあたしを捕まえてるものじゃない。離れられるものじゃない。きっと幽ノ藤宮様にはそれが分かってて、あたしが無自覚にそれを分かってたってことも分かってて、それで訊いてこなかったんだと思います」
「迷いは……無いのだな」
彼女の頷きに合わせて揺れるピアスが、光を受けてきらりと輝いた。
それに負けない美しさを持つ苗床は、
「ジラルド様。ついでにもう少し、あたしのお話を聞いて頂けますか」
「ああ。是非、聞かせて欲しい」
穏やかに笑うジラルドに、ほっとしたように切り出した。
「ジラルド様にとってのシャグナ王国は、あたしにとってのクリスタリアと同じだと、あたしは思います」
もう、離しがたい、自分を構成するものになっちゃってるんです。
「一緒にお話をする間、色々教えてくださいましたね。一番初めに、とっても綺麗な国だって話してくださいました。それから、あたしはそれまで長いってことだけしか知らなかった、歴史の壮大な内容を話してくださいました。時期ごとに行われるお祭りや行事の様子、その時に一斉に立てられるのぼりの種類やその模様。そこで生きている人たちが大事にしてる、シャグナ王国の伝統のこと」
カリスタは次々と、ジラルドがこれまで話した内容を語っていった。
滞在期間、ジラルドの中ではカリスタに話をしている時よりも、カリスタから話を聞いている時の方が多かったと思っていたが、そんなことは無かったのかもしれない。
流れるような説明によって、自然と脳裏に描かれる故郷は、
「そして、ジラルド様がどれだけシャグナ王国を愛しているか」
とても――愛しいものに思えた。
ジラルド様、と、カリスタは穏やかに笑う。
自分が同じような表情を浮かべていることは、何も見なくても分かりきっていた。
「望みの強さはそれぞれだろうけど、誰にでも色々あると思います」
一日目と同じ言葉を、カリスタは繰り返す。
「だけど、本当に何より捨てられない思いは、今までやこれからを大事に大事に見極めて、いろいろ削ぎ落としていけば、きっととっても少ないんだとも、思います」
「……そうだな」
一日目と同じ反応を、ジラルドも返した。
帰ろう、シャグナに。
何より捨てられない、愛する国に。
「いつになるかは分からないが、必ず、また来る」
その時にはまた一緒に話をしてくれないかとジラルドは言う。
もちろんですよ、と半人半樹の苗床は笑った。
「あたしで良ければいくらでも!」
「――ありがとう、カリスタ=クリスタ。僕は絶対に君を忘れたりはしない」
少し潤んだエメラルドグリーンの瞳を細めて、シャグナ王国第一王子も笑い返した。
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