第14話
*
「ねぇジルさん、花になっちゃった女の子の話ってありましたよね」
カップを洗いながらレヴィンが言った。
「たくさんあるが、どのパターンのものだろうか」
昼食の仕込みを始めながらジルが答える。
「太陽に恋して、ずっと見つめてたら、そのまま花になったやつ」
「あるな。それがどうかしたかね?」
「あれって続きどうなったんだろうなぁって」
レヴィンは眉を寄せて考える。
「その子が花になっちゃった場所が、花壇とかの邪魔にならないところならいいんですけど。だってそこならずっと太陽を眺めてられるから。だけど、場所によっちゃ早々に撤去されちゃうでしょう。そう考えちゃうと、どうなるのかなーって気になっちゃいません?」
真剣にそう言うレヴィンに対し、ジルは穏やかに笑った。
「レヴィン君」
「なんすか?」
「そういうのを、『言わぬが花』と言うのだよ」
その時、玄関の方から「戻りました」と声がした。
ジルがレヴィンにその場を任せてそちらへ向かうと、声の主であるデューイが客間の扉を開けようとしていたところだった。
「お疲れ様です、デューイ様。昨日だけでなく本日までも」
「いえ、泊めてもらってるんです、このくらい」
「どうぞ身体を休めていてください。軽食でしたらすぐにも準備出来ますが」
「ありがとうございます、お気遣いなく。……ところであの、殿下はまだお休みで?」
目線を階段の方へ向けたデューイに、いいえ、とジルは否定する。
「……ガラスドームじゃ、ないですよね?」
デューイの不安そうなその顔は、
「いいえ。つい先程、幽ノ藤宮様のところへ向かわれました。デューイ様への
再度の否定によって、形容しがたい顔へと変わった。
*
鳴らした呼び鈴に応えてジラルドを出迎えた者は、右袖を肩までまくり上げていた。
袖から伸びているはずの腕は、幾重にも重なる青々しい葉と、薄黄色の六花弁の花によってすっかり隠れている。
苗床であるのだろうこの青年がつまり、すずかが「馨さん」と言っていた者らしい。
「幽ノ藤宮と話がしたい」
「靴を脱ぎ、客間にてお待ちください。ご案内します」
廊下の奥から現れた時からの無表情のまま、馨は上がり框を手の平で示した。
昨日昼食を摂った客間に通され、馨が準備をした座布団に座る。その対面にもう一枚の座布団を敷いた後、幽ノ藤宮に話を通してくると去りかけた馨を、ジラルドは問いで引き止めた。
「君は、自分を病気だと思うか」
「……昨日すずかと話をしていたのは」
廊下で上げかけていた腰を下ろし、やはり貴方か、と馨は言った。
「聞き耳を立てたつもりは無いのですが」
「構わない。それならば話は分かっていると思う。僕は君たちを病気だとは思えないんだ」
「そこも聞こえておりました。化物ではなく病気ではなく能力だとして、それで――」
そこで少し黙り、次に口を開いた馨の眼は、
「何かが変わりますか」
ジラルドをひたと見据えていた。
「私にとって病とは、思う、思わない、の話ではありません。確かに現在それ故の問題を抱えているとも思いませんが、私は事実、奇病に罹っている人間です。他人がそれを呼ばう際の名称が変われど、私に巣食う『もの』に変わりはない」
それを私のお答えとしてください。
そう言い残して静かに立ち上がった馨は、廊下の奥へと消えていった。
*****
ヴァネシアの予告通りに、午前のうちから雨は降り出した。
その雨足はそれほど強いものではないが、途切れる様子はまるで無い。美しい花々の色も少し褪せてしまったように見える。
昼前に洋館へ戻ってきたジラルドは、和館から借りたのだという真っ赤な和傘を手にしていた。ジルに渡されたタオルを持ってジラルドを出迎えたデューイは、慣れない手付きで傘を畳むジラルドの表情に何か違和感を覚えた。
「なんだか、御機嫌……ですね」
「そう見えるか?」
デューイの手から取ったタオルで簡単に水を払ったジラルドは、客間の方へ歩きだしながらこう言った。
「デューイ、午後からは帰り支度をするぞ」
明日は忙しいからなと断定したジラルドに、デューイの言葉を聞く気は無いようだった。
その日の昼食は、ジル、ジラルド、デューイ、そして午前はずっとジルと話していたらしいレヴィンの四人でテーブルを囲んだ。
伊久は出荷に関する作業があるため後からとのことで、
「ヴァネシアは戻ってこないのか?」
「えぇ、今日は例の友達って方が色々作って持ってきてくださっているそうですよ」
ガールズトークとやらは一日かかるようだった。
昼食の間は、主にレヴィンによるテクナ・マシナの話を聞いた。ジラルドが、
「今回は寄れないだろうから話して欲しい」
と頼んだのだ。
「特秘事項以外なら何でも話しますよ!」
「ああ、頼む。聞いた話を、出来るだけ国に持ち帰りたい」
ジラルドの食いつくような質問にレヴィンは本当に何でも答え、その答えにジラルドが更に突っ込んでいく。ジラルドと同じことと聞いているはずなのに、デューイはその話を聞けば聞くほど分からなくなった。
若干頭が痛くなってきたようにも思えたが、真剣な表情で話を聞いている主を見ると、誇らしさにそんなものは気にならなくなった。
(殿下は既に、こんなにも国の発展のことを考えている)
この様子ならば、自分が何かを進言し、その考えの邪魔をすることはやはり間違いなのかもしれないとデューイは思った。
「長い年月はかかるだろうが、テクナ・マシナのような技術をシャグナに取り入れることも出来なくはないようだ」
部屋に戻ってすぐ、ジラルドはそう言った。
「もちろん簡単なものからだが……技術者を呼んで、いや、将来的に考えるならばシャグナの者をテクナ・マシナで学ばせた方が良いな。まずは父に話を――デューイ!」
一人ぶつぶつと何やら計画を口にしていたジラルドから急に名を呼ばれ、考えの邪魔をしないようにと静かにしていたデューイは飛び上がった。
「な、なんですか」
「明日の帰りの船はいつだ」
「……あぁ、午後一番ですよ。早めに昼飯を喰うか、何か買って乗るかになりますね。乗船前には酔い止めの薬を買いましょう」
そこまで言って、そういえばとデューイは思い出す。
「ですので殿下、明日は忙しいとのことでしたが、あまり時間はありませんよ」
心配そうな言葉に、分かっているとジラルドは頷いた。
「朝のうちに買い物に出て、ここへ戻ってくる」
「土産物ですか? それなら早めに庭園をお暇して」
「土産じゃない。先に庭園を出ては買うものの意味が無いんだ」
ジラルドは窓際でデューイに背を向けて立っている。
相変わらず外ではずっと雨が降り続いていて、
「行くのは靴屋だからな」
その言葉の後に降りた沈黙の中、その弱さにも関わらず雨の音はよく聞こえた。
長い長い空白の後、デューイは誤魔化すように言った。
「……庭園の手入れでも手伝うためのものですか。いえ、しかし殿下が自ら感謝を表そうという気持ちは素晴らしいものだと思いますが、」
「やめろデューイ。僕の言葉の意味は、お前には分かるだろう」
「分かりません。えぇ、分かりませんよ、まったく」
――いや、分かってる。分かっているからこそ、こう言わなければならない。
主の背に向けて、付き人は激しく首を横に振る。
「分かりませんね、何ですか。靴屋に行って、貴方が、殿下が、シャグナ王国の第一王子が、正当なる王位の継承者が、一体何を買うって言うんです」
「さぁ、どうしようか?」
ようやく振り向いたジラルドは、困ったような笑顔を浮かべていた。
「何がいいだろうか……僕は靴の種類もよく知らないんだ」
「…………」
「それに、個人的に誰かへ物を贈るということすら、何しろ初めての経験だからな。経験者のお前の意見も聞きたい。お前はどうやって決めたんだ?」
デューイが今まで見たこともないその顔で、ジラルドは続けた。
「お前がジェシカに渡したのは、緑色だと言っていたな?」
――長い歴史を持つシャグナ王国には多くの風習がある。
その中でも、特に国民に広く親しまれている風習が、『一生の伴侶と決めた相手に自分で選んだ靴を贈る』というものだ。
二人の永遠の安らぎを願う白か。
二人の永久の成長を願う緑か。
今後を共に歩んで欲しいとの心を込めて、シャグナの若者は意中の相手にどちらかの色の靴を贈る。そしてその思いが実った暁には、今度は毎年その記念の日に、記念の靴と同じ色のものを互いにプレゼントし合うのだ。
二人の間に、この先も安らぎと成長が続くことを望んでいる証として。
「……殿下、それを、誰に渡すおつもりです」
押し殺したようなデューイの声に、そんな相手から目線を外し、
「カリスタに渡そうと思っている」
僅かに頬を染めたジラルドは答えた。
充分予想はしていた名を出され、しかしデューイの昂る気持ちは抑えられない。
当然、デューイはカリスタのことを悪く思っている訳ではない。むしろその性格は、短時間の接触でもとても好ましいものだと分かった。だからデューイは彼女に対してジラルドが好意を持ったことに、眉を顰める気はさらさらない。――だが。
カリスタに靴を贈る。シャグナの風習に付随する意味を置いておくにしても、その行為の残酷さが本当にジラルドには分からないというのか。
「――ッそれは、彼女の姿を知ってのお言葉ですか?!」
カリスタの半身は、既にクリスタリアの樹と同化しているというのに。
「ああ。もちろんそうだ」
今にも自分に詰め寄って来て胸元を引き掴みそうな勢いだが、付き人であるデューイは絶対にそんな行動はしない。
それをよく理解しているジラルドは、静かに口を開いた。
「聞け、デューイ。今日僕は幽ノ藤宮と話をしてきた」
そして和館の客間で見た、庭へと降り出した雨の一粒目を思い出す。
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