第6話
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継承者に相応しい者となるべく見聞を広めたいという我が子の申し出に、シャグナ王国の王と王妃は、横皺を増やして喜んだ。そしてすぐに手配をするようにと側近に告げ、只でさえも過労気味の老家臣の業務を増やした。
――こうして、恙無く継承者認定の式典を終えた日の、翌日午後。
ジラルドとデューイは、ネッサリアへ向かう船の上に居た。
「しっかし殿下ともあろう御方がこのような船の甲板にってねぇ……」
ほんと、なんとも似合わない光景ですよ。
煌めく水面を飽きることなく眺め続けているジラルドの隣で、首の後ろをぽりぽりと掻きつつデューイが零した。
自国でさえも満足に歩き回ったことのない王子が、開通したばかりのただの貿易船に乗っているのだ。その乗り心地は当然、整備の揃った一等船室のある観光船とは程遠い。デューイの言葉は皮肉ではなく、事実であった。
だが、王子本人としてはそんなことは何の気がかりでも無いようだった。
長年の教育によって身に染みついた王家の者たる態度を崩してはいないが、次から次への初体験に、普段は堅苦しいジラルドの頬も少し紅潮している。
海と同じくらい光を反射する髪を風に靡かせて、ジラルドは訂正した。
「デューイ、僕は『殿下』じゃない」
「おっと。こりゃ失礼致しました、ジオーク様」
今の二人が着ているのは、上質な仕立てではあるものの、普段王城で着ているようなものではなかった。例えるならば、地位ある家の若き当主とその側近かのような出で立ちである。
緑と白を基調としたシャグナそのものを表す衣装は、すべて城のクローゼットに置いてきていた。
「僕の姿は世間に知られていないのだから、デューイがそうしたミスをしない限り、僕のことがバレることはないはずだ」
今回の旅は偽名を名乗り身分を隠しての、いわばお忍びの旅なのだ。
「……世間に疎いジオーク様に、あちこちで疑問は持たれそうですがね」
港で聞いた船の汽笛に、「海獣の唸り声か?」と訊ねてきたジラルドの真面目な表情を思い出しつつ、デューイは一人そうぼやいた。最早癖となっている腰に下げた剣の確認をしかけて、そんなものは今回の旅に持ってきていないことを思い出す。
「うっかり変なものに捕まらないよう、気を付けてくださいよ」
「あぁ分かった。それよりデューイ、ネッサリアはあれか? もう着いたのか?」
砂浜の広がる島をジラルドが指差した。
期待に輝くような緑眼を受けつつ、デューイはいいえと首を振る。
「あのですね、ネッサリアは島じゃないですから。大陸の中にある都市ですから」
「……あれは島なのか。大きいな。国はあるのか?」
「あそこには国ってものはないです。けど、住んでる者は居ますよ。引越しや祭りなど協力し合って物事を行うときもあるみたいですが、基本的には島の各地に散らばって、それぞれで生きてるんだそうで」
港の民に聞いた話でオレ自身は上陸したこと無いですが、とデューイは言った。
その島に向けてジラルドは目をこらした。よくよく見れば、木と木の間から建物が覗いていたり、島民が崖を登って何かを採取したりしているのに気が付く。
「ああいう者があの島全体に住んでいるのか」
――装飾のなされた高い城壁に囲われることも無く。
シャグナとは存外小さな国だったのだな、と、歴史ある国の王子は思った。
*
ネッサリアの港へ到着したシャグナの貿易船は、ジラルドとデューイを下ろすために一度観光船の発着場へと寄った。
謝礼金を渡して船を降りた二人に、傍らからにこやかな声がかかった。
「ネッサリアへようこそ! おっと、こりゃあ綺麗な色の眼だ。服装も立派なものだし……見たところ、何処かのお偉い方だね?」
でも観光船で来たんじゃないってことはただの旅行じゃないようだ、と、すっかり禿げ上がった頭の老人は言った。
「歓迎をどうも。ですがご老人、オレ達の素性については――」
「あぁ、すまない! もちろん変に詮索はしないよ」
老人はそう言いつつ、抱え持ったパンフレットを一部デューイに手渡した。
「ここは商業都市で、そして今や観光都市。訪れた方はどんな人でも平等にお客さんだ。さてお客さん、お客さんたちは、ネッサリアに何を望まれる?」
にこにこと答えを待つ老人に、二人は顔を見合わせた。
「どうします? まだ腹も減ってないですし、オレは特に。ジオーク様は何かありますか」
言いながら、デューイは受け取った観光案内のパンフレットをジラルドに見やすいように広げた。一般共通文字で書かれたそれは、ありがたいことにシャグナ王国からやってきた二人にも読むことが出来る。
それにザッと目を通していたジラルドの眼は、ある一点で止まる。
「この……『ウィスティリア庭園』というのは?」
ジラルドがその欄の説明文を読む前に、老人から声が上がった。
「おおっ、庭園! 庭園に行かれますかな?!」
大きな反応を見せた老人は、広い額だけでなく表情も輝かせる。
「さぁ案内しよう、いや、案内させてくれ。我が国最大の誇りの庭園まで!」
「…………どうします?」
先程の同じ言葉での、ただしその音をかなり低くしたデューイの問いかけ。それには急に態度が変わった老人への疑りと心配が含まれている。
しかし、ジラルドに迷った様子は微塵も無かった。
「では頼もう。連れていってくれ、その庭園へ」
ジラルドは余りのパンフレットを握る老人に向けて、そう頼んだ。
「あぁ! 少し待っていてくれるかね!」
笑顔で依頼を受けた老人は、そう言い残して近くの馬車へと近づいていった。
「あの人の豹変ぶりを目の前にしていて、即決ですか」
「お前は、庭園とやらに何かあるんじゃないかと心配しているのだな」
分かっているのなら少しは、と口角を下げるデューイに、ジラルドの口角は逆に上がる。
「もし何かあったとしても、お前がお前の役目を果たすだろう。僕はお前を信頼しているから、お前だけ連れてきたんだ」
「そう煽てられてもね……まぁ、観光地としてパンフレットに載ってるほどですし、危険は無いと思いますが」
「デューイもネッサリアは初めてだろう? 折角来たんだ、そんなに固くなって僕を気遣わなくていいから、もっと羽を伸ばすといい」
ジラルドの言葉に納得した訳ではないが、そうですね、とデューイは笑った。
「おぉい、お客さんたち!」
御者と親しげに言葉を交わしていた老人が、二人を手招きした。
二人を馬車に乗り込ませると、老人も対面の座席に座った。
「まずこれから中央地区へ向かうよ」
そう言いながら、膝上で熱意によってシワがよってしまったパンフレットを伸ばしている。
「そこから続くガーデンロードを真っ直ぐ行けば、お客さんの望む庭園に着く」
それから老人はネッサリアの歴史について説明を始めた。
デューイは頭半分だったが、ジラルドは道中ずっと熱心に聞いていた。時折質問をしては、それに返された答えにふむふむと頷いていた。
「――というようにこの国の経済にも陰りが覆ってきていた。だがね、そこに現れて、経済だけじゃない数々のものを救ったのが、何を隠そう幽ノ藤宮様さ!」
「「ゆうのふじみや?」」
突然出てきた人名に二人が声を揃えた時、馬車がゆっくりと止まった。
「あぁ、丁度着いたね。この続きはガーデンロードを歩きながらにしよう」
三人は馬車から降りて、しばし中央地区の街中を歩いた。
老人が普段からこうして観光客の相手をしていることが知られているのか、はたまたシャグナ風の見慣れない(加えてとても目立つ)容姿から判断されたのか、ジラルド達は道すがら様々な人から「ネッサリアへようこそ!」と声をかけられた。
老人が足を止めたのは、道幅の広い街路だった。
「これがガーデンロードだよ」
建物を繋いではためいている布には、飾り文字でその名が書かれていた。文字の枠にはいろいろな花が描かれている。
左右の店を見ていたデューイが、道の脇にあるものに気付いて訊ねた。
「ご老人、あの台座は何です? 上の像が壊れでもしたんですか?」
それは腰よりも少し高く、緻密な彫り物がされてきた。しかしその台座の上には何も乗っておらず、台座が立派なものであるだけに、なんとも勿体無く思えた。
「いいや、あれが正しい姿だよ」
近づいてみれば分かるよ、と老人は笑って答えなかった。
疑問を持ったまま言われた通りにその台座へ寄っていくと、たしかに、その台座の上に小指の先ほどの小さな青銅の像が乗っているのに気付く。
「これは……種か?」
ちょんとそれをつついたジラルドに、老人は大きく頷いた。
「ご明察、これは種を模した青銅像だよ。この先、一定の間隔をおいてこういう像が立っているから見て歩くといい」
にこにこ笑って説明する老人は、台座に手を置いて数回撫でる。
「幽ノ藤宮様の功績を讃える碑を作ろうという話が出たとき、ご本人がだったらこういった形にして欲しいと仰ったものだ。この像によってガーデンロードはますます素敵になったと、皆そう言っている。本当に素晴らしい御方だ、幽ノ藤宮様は!」
「さっきも名前出てましたけど、その幽ノ藤宮って人はえらく尊敬されてるんですね」
デューイが何気なく口にした言葉に対し、老人は何故か肩を落とした。
それは本当に残念そうな様子であり、発言者のデューイは少し焦った程だ。
「我々からするとお客さんたちの方が信じられないくらいなんだがね。……あの幽ノ藤宮様のことを知らないとは」
『あれ』が広がらなかった地域として考えると運が良かったと言えるだろうが、と、目を閉ざして首を左右に振った。
歩きだした老人の背に続きながら、ジラルドが訊く。
「『あれ』とは? その人の功績とは何を差すんだ?」
「……今じゃあ信じられない、ほんの数年前の話さ。とある村を始まりとして、奇病が広がっていったんだ。幸いこの辺りでは感染者は出なかったとされているが、それは最終的に結構な範囲の地域に広がったものらしい」
「数年前の流行り病? デューイ、分かるか?」
「オレも知りませんね……世界情勢に疎い性質なんで」
互いにそう確認し合う二人に、歩みを止めることなく老人は続けた。
「その病は、誰にも手の施しようがない病だったんだ」
自分の手の平をしばし見下ろした老人は、そこでジラルドとデューイを振り返った。二人を交互に見やってから、言う。
「身体から植物が生えてくる病があるなんて、誰も思わない。誰も思わない病の予防法や治療法なんて、誰も考えてなかっただろうからなあ」
驚愕に目を見開いた二人に、そうだろう? と老人は笑った。
「……そんな病が……それは……知らなかったな……」
「それならお客さんは、感染者が差別されていたことも知らないね。ほかの国での感染者への対応は、当時本当に酷かったと聞くよ。感染者が殺されることもあったらしいね」
そこまで滔々と言葉を連ねていた老人は、
「しかしそこで、幽ノ藤宮様のご登場さ!」
突然明るい口調でそう言って、二つ目の青銅像を指差した。
その先で青銅像が模しているのは、
「これは……」
「芽? の、ようですね……」
にょきりとした双葉の生えた種だった。
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