第3話 日常は財布と共に消える


 翌日の学校では、教室の席でいつも通り貴志と下らない話を延々としていた。そうしているうちに、だんだんと昨日の放課後の記憶が薄れていく。日常という枠組みから出たくない響にとって、昨日のイレギュラーなできごとはあまり憶えておきたいとは思わない。

 …だが、ふと突然その記憶が鮮明になる。――姫佳の姿を見た時に。

 今日の姫佳は何も言わずに2人の前を通り過ぎた。顔は良く見ていないが、だいたいの予想はついた。貴志の方も気になったようで、響に顔を近づけてヒソヒソと声をかける。


「今日の風紀委員は一段と機嫌が悪そうだな」


「…そうだな」


 響は姫佳の姿を目で追いながらボソッと相槌を打った。

 すると、教室の前側の扉が開いて、黒髪セミロングの女子が姫佳に向かって声をかけてきた。彼女の名は小川原美那おがわらみな。姫佳と同じ風紀委員を務めている。


「姫ー!今日の放課後は委員会あるからねー!」


「うん、わかった」


 姫佳は美那に目を向けて淡々と返事をする。美那の方は彼女の様子に小首を傾げた。


「おやや?姫なんかあったの?」


「なんもない」


 近づいて顔を窺う美那に対し、突っぱねるような態度をとる姫佳。だが、それは美那には逆効果だ。


「じゃあ~、あたしが元気になるおまじないかけてあげる~」


 美那は素敵な笑顔を向けてそう告げると、両手の指をそれぞれ姫佳の両頬に交互に当ててツンツンし出した。


「元気になれー」

「もー!恥ずかしいから!」


 姫佳は美那の両手を降ろしてやめさせる。――そんな2人のやり取りを響と貴志はボーっと見ていた。


「やっぱり小川原さんってかわいいよなー。顔ももちろんかわいいけど、行動がかわいいっていうか」


 貴志の視線は美那に向いているようだ。端から見ていて元気でかわいらしい美那は好印象だ。


「俺も小川原さんと接点作りたいなー。バイトとかやってるのかな?」


「ストーカーはやめろよ」

「失敬な!」


 美那に興味津々の貴志に釘を刺す響。案の定貴志は顔を歪めた。



 放課後、バイトも無く暇な響は本屋で立ち読みをしていた。30分もすると飽きてきたので家に帰ることにした。

 しかし、何とも運が悪いことに、本屋を出たところで姫佳の姿を目撃してしまった。彼女の方も響に気付いたようで、チラッと冷たい視線を向けた。なんだか気まずい雰囲気が漂う。


「委員会あったんじゃなかったのかよ」


「すぐに終わったの」


 姫佳はそれだけ告げると家に向かって歩き出す。響は突っ立ったままそれを横目で見ていた。――その時


 ドン


 歩いてきた少年の肩が響の背中にぶつかる。


「あ、ごめんなさい」


 少年はか細い声で謝ると、そのまま足を止めずに姫佳と同じ方へ去っていった。


「…ん?」


 響は怪訝な表情になって少年の後ろ姿を見つめる。その痩せ細った体はどこかで見覚えが……。

 そしてすぐにハッとした。


『昨日カツアゲされてた子じゃないか…!』


 記憶に残っていた少年の姿と一致。間違いなく昨日路地裏でカツアゲされていた少年だ。


「そこの君!ちょっと待って!」


 思わず喉から声が出た。平穏と相反する行動をとったのがなぜなのかはわからない。…が、彼の頭の中には“確かめたい”という気持ちがあった。

 響の声に少年の前を歩いていた姫佳も反応して振り向く。一方、当の少年は反応することなく歩き続け、表の道から逸れて路地裏へと入ってしまった。


「ちょっと!」


 響は少年の後を追って路地裏の入口のところまで来る……が、薄暗い路地裏に目を向けると、少年の姿は既になくなっていた。


「今の子って…」


 するとそこに姫佳が寄ってきて声をかけた。姫佳もさっきの少年が昨日の被害者だと気づいたようだ。


「間違いなく昨日カツアゲされてた子だ。できたら話を聞きたかったんだが…」


 響がそう言うと、姫佳が意外そうな顔をした。


「なんだよ…?」


「あんたがそんなこと言うなんて」


 どうやら姫佳は、面倒事には首を突っ込まない響が昨日の件を気にしていたことを意外だと思っているようだ。普段の態度からそう思われても仕方がないが、響の方は面白くない顔をする。


「俺だって善の心はあるんだよ」


 響はそう告げて、体の向きを路地裏から逸らした―――その時


 ヒュ…


 ズボンのポケットに入っていた財布が勝手に飛び出たのだ。それに本人よりも先に姫佳が気付いた。


「猪苗代!財布が!」


「えっ…?」


 突然の姫佳の声に驚き、響はポケットに目を向ける――と、ポケットから飛び出た財布が路地裏の奥へ向かって素早く動き始めた。


「なっ…!?えぇっ…!?」


 ありえない光景に驚愕しつつも、手を動かして財布を掴もうとする。しかし、財布の動きはとても俊敏で、響の手を見事にかわして先へと行ってしまった。


「ちょっ…!俺の財布がぁ!!」

「あっ!ちょっと!」


 響は慌てて財布を追いかけ始める。なんで財布が独りでに動いているのかなんて今は考えている余裕がない。とにかく財布を取り返さなくては。

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