5、戯れのキス(第一夜 完 )

リシアとアズールは少しでも歩きやすいところを選んで歩く。

「大丈夫か?」

アズールはリシアの背中に聞く。

「もちろん安心して。この森は庭のようなものだから」

細い腰だった。

視線を腰から無理矢理はずす。

まだ未成年だろう。

「この森で気を付けなければならないことは何だ?」

がさっと枝がアズールの顔にかかる。

「まずは枝の跳ね返り!」

ふふっとリシアは笑った。

「季節によって違うけど、二番目に蜂。黒髪黒目は蜂が警戒するから襲ってくるかも。

一番目に蚊」

「蚊はかゆくなるだけだろう?」

「蚊を媒介する、ひどい熱がでたり下痢したりの感染症があるから、蚊に刺されないこと。まさか、虫除けは塗ってないの?」

「ない」

アズールは即答である。

ふうっとリシアはため息をつく。

初夏になり雨が降ると、蚊がでだしている。

「そこに座って」

リシアが指差した岩にアズールは腰かける。

リシアは弓の筒の中から小瓶を取り出した。

ナッツを圧搾して抽出したオイルに、レモングラスを漬け込んで作った、よい香りのするオイルだ。


「虫除けを塗ってあげる。手を出して」


言われるままアズールは手を差しだす。

オイルを適量手のひらにとり、長袖を肘までめくり、男の手の甲から肘近くまで滑らせる。

外側を何度か往復させると、肘の内側から手のひら、指の間まで同様に滑らせた。


ほれぼれとする鍛え上げられた戦士の腕であった。

褐色の肌に細かな傷も無数にある。

日に焼けての褐色ではないのだろう。

地肌が褐色なのだ。

リシアたちはま白い肌である。日焼けを気にしていないリシアの肌よりも、アズールは数トーン濃い色の肌であった。

鎖帷子の下にも傷はあるのだろうか?

利き腕の右腕にいく。オイルを塗り込むと、軽く手のひらをマッサージする。

ガチガチの手のひらだった。


「あなたの腕は頑張りすぎだわ!かちこちになっている。よい手のひらはふわっと柔らかいものよ」

足はブーツとパンツで肌は露出していない。

少しオイルを取り、つぎは顔だ。

むき出しの肌に虫が寄り付くからだ。

手にとっていざ顔を!と見ると、男はなんとも言えない優しい目で、リシアを見ていた。


「か、顔もいい?」

「よろしく頼む」

男のなめらかな肌に、顎から頬、額にむかって手のひらを密着させて滑らせた。

最後に耳から首に降りる。


「いくつだ?」

「16」

「まさか。14ぐらいかと」 


男は目を細めながらリシアを見ていた。

見られているとまつげがむずむずした。

気持ちよさげな大きな猫のようだとリシアは思う。

雪豹を撫でるとこんな感じかもと重ねる。


アズールはキスをしたくなった。

首から名残惜しげに離れたその手をとる。

引き寄せた。頭もとらえて、バランスを崩して倒れこむ娘を体で受け止める。

驚いて開いた唇に、己の唇を重ねた。


ふわっとやわらかな唇の触感と温かさに、リシアから何もかもが吹っ飛ぶ。

ざらつく鎖帷子の冷たさに、引き戻された。

慌ててリシアは腕を突っ張り引き離す。

心臓が再び早鐘を打ちだしていた。

こんなに心臓がばくばくいうのは、危険なことではないか?

先程、弓とクロスボウで狙いあったときと同じかそれ以上の強さで、心臓が存在を主張していた。

腰に挿す短剣を抜いて手にする。


「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだ。かわいく思ったのでつい、、。

女は皆、キスすると喜ぶだろう?」

アズールは突きつけられた短剣から体をそらせる。

そのいいわけに、なぜかリシアは腹がたった。


「喜ぶわけないじゃない!キスは恋人同士がするものよ!そうじゃないキスは手の甲にする」

怒りながらもすっといつものように手を差し出すと、アズールは少し驚くが、その手をとり、先程リシアの唇を味わったその同じ唇を軽く押し当てた。


「このようにすればよろしいですか?お姫さま?」

いたずらっ子の目だった。

「いいわよ!そうすると、ラリマーが王子さまに見える」

と言ったとたんにリシアに現実が降りてくる。

アズールから手を抜き、抜いた短剣を腰に差し直した。


「そろそろ戻らないと皆が心配する」

再び歩き出しても、リシアの心臓はなかなか収まる気配がないのだった。



アズールも娘を意識する。

こんな発育不良のような娘にキスをした自分がわからなかった。

いつもは好意を持って寄られるだけでも身を引くアズール王子である。

身分も恐らく猟師の娘か里のもの。

身分が違いすぎていてかつ、自分は花嫁を選びにきているのだ。

デクロアの森でであった娘と戯れの恋をしている暇はないのである。


沈黙に耐えられず、声を掛ける。


「蜂に蚊。獣はいないのか?」

「獣なら、オオカミ。人を積極的に襲うことはないけと、囲まれたら不気味ね。あと雪豹」

「雪豹?それはなんだ」

「雪豹は、普段は岩山をすみかにしている真っ白な豹よ。しなやかで美しい。

たまに森に降りてきて狩りをする。臆病なのに強くて誇り高い、この森の王さま」

「まるでシーアのようだな」

思わぬ返事に、リシアは歩みを止めた。

その行く手を、アズールは遮った。

前方の茂みががさがさ揺れている。

クロスボウをアズールはセットする。

リシアも腰の短剣に手をやる。

茂みからでてきたのは灰色のオオカミだった。

「待って!友だちのジョンよ!」

手を差し出すと、ジョンはお愛想にすり寄る。

「探しに来てくれたのね、助かったわ。ありがとう!ジョン、クレイのところまで連れていって!」


二人とオオカミは再び森の中に分け入る。

今度はオオカミが先頭だった。

途中、街道にでる。


街道のほこりは積もったままだ。

まだ、ベルゼラの一行はこの道を通っていないようだった。

アズールはここで待つことにする。


「ここでお別れだ」

アズールはいう。

名残惜しく思うのが不思議である。

ほんの数時間一緒にいただけなのだ。


「待って!」

街道に降りようとするアズールは呼び止められた。

リシアは彼の肩に手をかけて、引き寄せる。

あっと思うまもなく、アズールの唇に娘の唇がふわっと重なり離れる。

そして、いたずら気なキラキラしたブルーグレイの目に、アズールはからめとられた。


「さっきのキスを取り返させてもらったわ!」

娘は森にオオカミと共に消える。

アズール王子はいつまでもその場で動けなかったのであった。



第1夜 完

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