2、うさぎ狩り
岩山から吹き下ろす風が雪を運ぶ、厳しい冬と、一日のうちに数時間雨が降る暑くじめじめした夏。
豊かな森の変化に富んだ四季が、多様な動植物を育てる。
デクロア国は決して住みやすい国ではないが、リシアにはデクロア国が全てであり、美しいと思う。
冬の静謐な美しさは一番上の姉のアクアの美しさであり、夏の陽気な華やかさは、すぐ上の姉のマリンの華やかさだと思う。
ではリシア自身は何に例えられるのか、リシアにはわからない。
王族に生まれついてしまっただけの、特別美しくもないただの娘。
それがリシアを取り巻くものたちのリシアへの評価であり、同時に自己評価でもあった。
城からは1本の石畳の街道がある。
城下町の外に広がる田畑、里山に続き、深い森に続く。
道は、森を抜けて草原の国へ森の中をうねりながら続いていく。
それは、何十年か前に、草原の国の圧力に負け、デクロアを囲む森を開墾して作ったデクロアの外に続く道だった。
なぜにまっすぐの道ではないのか、リシアは幼い頃父王に聞いたことがある。
真っ直ぐに森を抜ければ、最短で草原にでられるのではないか、と。
父王はいう。
「我々が作った道だ。何も、一直線で侵略者を城まで引き込むことはあるまい?うねり、蛇行し、時に山を登り下りながら、外界の者はようやく、美国デクロアにたどり着ける。楽でない道行きに、現れでるデクロアの王都は素晴らしいものに見えるだろう」
王は幼いリシアに悲しい笑みをむける。
「奪われゆくお前たちも、困難があるほど得られる喜びは増すというもの。
喜んで娘を差し出す親はいないのだ」
そんなものかな?
とリシアは思う。
それよりも、姉のどちらかがデクロアを去ることになったとき、アクア姉なら冬が、マリン姉なら夏が味気なくなるに違いないと思うのだった。
街道を馬で歩むと二日の行程。
駆け抜けないと、宿も何もない街道上で野宿するはめになる。
今回の草原からの使者は、うねる街道沿いのどこかで一泊したことだろう。
初夏の爽やかな空気は、野宿には少し肌寒いかもしれないが、新緑が目に鮮やかな良い時期だといえた。
リシアは何度も街道をクレイと駆けたことがある。近道も難所も、狩り場も避難場所も、あらゆることが頭に入っている。
「クレイ!街道から外れすぎないところの狩り場に行く!」
リシアとクレイは途中まで街道を行き、小さな小川沿いに森に分け入っていく。
そのうちに、クレイの相棒の灰色のオオカミのジョンが並走する。
ジョンは親オオカミとはぐれて怪我をして弱っていた子オオカミの時に、リシアとクレイが見つけ、保護したオオカミだった。
大人になったジョンは森に帰ったが、時おり気まぐれにリシアとクレイが森に入ったときに一緒にいたり、狩の獲物を見つけたりしてくれる。
保護した時に一番世話をしたクレイによくなついている。
リシアには微妙であったが、クレイがリシアに付き従うために、リシアには一目置いているようだった。
小川は森を蛇行し、大きくなり、やがて滝になるのだがリシアはそこまで行くつもりはない。
小川には沢山の動物たちが集まってくる。
「あそこ」
クレイが指をさす。
水を飲みに小さな耳をひくひくさせたウサギがいる。臆病に空気をかぐが、風下の二人と一匹には気がつかないようだった。
先をいくリシアは既に茶色の野うさぎを捉えていた。
歩みを止めて、背にしていた弓を取り矢をつがえると片目を閉じてきりきりと引き絞り、放った。
「やった!」
二人より早くジョンが駆けていくと、リシアの弓を体からつき出させたウサギを咥えてもどってくる。
既にジョンが喉笛を噛みきり、とどめをさしてくれている。
「ありがとう」
ジョンに礼をいう。
「何羽いく?」
とクレイ。
「三羽!」
とリシアは言う。川のせせらぎに木漏れ日がキラキラと反射し、美しかった。
クレイは眩しく、先をいくリシアを見る。
軽やかに馬の背に乗るリシアは、彼女も知らないであろう美しいしなやかな背中をしていた。
その背中に、ひとつにまとめた金茶の髪が波打ち、水面と同じように木漏れ日を反射させていた。
森の女神のようだ。
それは求めるものに命をあたえ、時に奪う。デクロアの森を豊かに満たす源泉。
クレイの女神だ。
リシアが16の誕生日を迎えた頃から、リシアの背はぐっと伸び、からだのしなやかさは増していた。
肌の透明度も増していて、くるくる変わる感情をそのまま移す表情が一体何パターンあるのか、数えたくなる。
リシアは知っているのだろうか?
彼女を密かに熱く見る者がそばにいることを。
二人の上の姫はいずれベルゼラか別の国に貢がれるだろう。そのように育てられている。
残るリシアは、デクロアに留まる。
彼女の夫がデクロアの王になる。
クレイはデクロアの王になることは考えたことがない。
今は王騎士になったばかりの下っ端だが、願うのは、リシアの正式な騎士になること。
馬番の息子に生れたクレイが望めるのはそこまで。
そして、彼女のそばに仕え続けるには、にわかに芽生えだした熱い恋心は不要なものだった。
「ジョン?」
クレイは空気の匂いを嗅ぐオオカミの様子が強い緊張の色を帯びているのにようやく気がついた。
時おり、森の奥に目をやる。
「何かいるのか?」
ぐるぐると返事が返ってくる。
なんだか、嫌な予感がした。
「リシア姫、今日はもう引き返したほうがいいかも。森の気配が変です」
言葉にすると、まさしくその通りという気がする。
既にもう3羽、晩ごはんのウサギは仕留めていた。
「異国の一行がきているからだと問題はないのですが、もしかして雪豹が降りてきているのかもしれない」
「まさか、雪豹はほんの数頭しかいないわ!遭遇した話はこの数年聞いたことがないし、きっと大丈夫。あと一羽で帰るわ!」
雪豹は真っ白な豹で、岩場を住みかにしている森の王者であった。
時おり森に降りてくることはある。
その見ための通り獰猛ではあるが、臆病なところもあり、通常は慎重に人を避けていた。
人も雪豹を見つけた場合は、気がつかれる前に、その場を速やかに去る。
気を付けるべきことは、お互いに偶然に、至近距離で鉢合せをすることだった。
リシアは小川から小高い位置にある籔の中にキジの姿を捉えていた。
「あのきじを仕留めて最後にする!」
リシアは馬を降りて、クレイに押し付ける。
「待ってて!」
煌めく目をクレイに一瞬むけてから、リシアは崖を身軽に登り薮に消える。
「リシアさま!」
クレイは慌てて芦毛の姫の馬の手綱を取った。
姫を一人にはできなかった。
自分も馬を降りて、適当な木の幹に二頭結びつけると、姫の後を追う。
三歩で崖を登りきると、姫の姿は見えなかった。
あってはならないことではあるが、クレイは姫を見失った。
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