2nd Collapse:Crimson Advent

2-1 英雄がいた空の下で

 二一〇二年八月。濃紺の空の下、三対の翼を持つ鋼の鳥が飛ぶ。


 手足はなく、頭部も存在しない、流線形の飛行用機械。かつて戦闘機と呼ばれていたもの。


「侵入角修正マイナス二度。DDL濃度問題無し。データリンクの途絶を確認。機体通信をウォーカーとの有線接続に切り替えます――ノルン・ルーヴさん……でしたっけ」


 操縦席である前席に座る女性が緊張した声で話しかけてくる。


「ノルンでいいっす。了解。何度も言ってるけどここじゃ何が起こるか分からない。一応覚悟はしといてください」


 少し脅してしまっただろうか、と発言を後悔する。


「わかってますって。ウォーカーとの接続問題無し。気化DDLも安定しています」


 太平洋、赤道直下。濃紺と浅葱あさぎ色が混ざる空と果てなく続く大海。旧軌道エレベーター跡地。あの日自律稼働した各国機体の自爆により地下にあったDDLが誘爆、半径百五十キロメートルの海が干上ったこの場所は現在国連軍により全面封鎖され、ベイカントを研究したい各国がこぞって睨みをきかせ合う場所になっている。


 三年前、銀の矢作戦オペレーションシルバーアローは結果的に成功した。しかしその後軌道エレベーター周辺は気化DDLにより異界のごとき様相を呈している。


 DDL。第三次世界大戦直後にマントル付近で発見された薄紫色の粘性を持った組成不明の液体。外部からかかるあらゆる力を遮断し、それで覆えば無重力空間を作り出すこともできる物質。セヴンスのコクピット周辺を満たすことでパイロットにかかるGを軽減したり、覆えば内部の重量を無視できる性質を応用して関節部の補助等に使用されていた。『異次元と繋がっている』なんてSFじみた言説が展開されるような、当時は融点も沸点もわからないそれを、たったそれだけの知識だけで兵器に使用していた。


 その結果がこれだ。DDLの沸点は摂氏約一〇〇万度。反応弾によってDDLが気化、引火し爆発。その人類未踏の新物質により、この場所は三年前のあの瞬間から時間が止まったかのようになっていた。干上がった海に水が戻ることはなく、崩れていく旧軌道エレベーターはまるで壊れた映像データのように崩落と修復を繰り返している。


 人類はそれほどに切迫していたし、戦いの終わった現在も尚その物質を使い続けている。


 現在私たちが飛んでいる空に満たされた気化DDLは引火し反応を終えたもののため爆発の心配はない、と言われている。


 後部座席に座る、表向きはジャーナリストとなった自分の仕事はその人類未踏の空間への水先案内人。任務は可能な限りの旧軌道エレベーターへの接近、情報及び物質の回収。具体的に言えば、フェンリルの死体を持ち帰ること。


 この場所に無人機は入れない。DDL計測器以外のほぼすべての計器が狂うからだ。故に有人機、それも手足も既存のクレイドルシステムも無い有視界キャノピーの複座型旧式戦闘機を投入する。だが人でもこの場所で正確な飛行をできる者は少ない。だから二人による機体制御により正確性を高める。そしてそのうちの一人が、かつて Gleipnir≪グレイプニール≫に乗り、AWACSとして戦域管理をしていた自分というわけだ。ただそれだけ。


 いや、きっとそれだけではない。


「60秒後にアプローチに入ります……ノルンさん」


「なにか」


「ノルンさんもあの……銀の矢作戦オペレーションシルバーアローに参加してたんですよね」


「してたっすけど、何か」


「シルバー・アローのことなんですけど」


「知らないっす。それよりあとマイナス3度入射角修正、アプローチに入りますよ」


 すみません、とパイロットは言い再び作業に戻る。


 シルバー・アロー。フェンリルを討ち果たし空を取り戻した銀翼の英雄。今や先輩は伝説の機体の乗り手だ。けれど誰も先輩のことを知らない。彼女のことを知っているのはごくひと握りの関係者だけだ。だからこんな風に噂が広がってゆく。


 孤高の武人だとか、筋肉ダルマだとか、実は年若い美少女だとか。


 先輩は、ただの19歳の、普通の女の子だ。大好きな人と一緒にいたかっただけの女の子だったんだ。


 その大好きな人が、私だったらよかったのに。


 あの先に、先輩がいた。あの先へ、先輩は行った。その思いが私を今、この機体に乗せている。


「三、二、一、入ります」


 DDLの空を翼が薙いでゆく。紫と緑が混じった光が翼に生じる。衝撃。乱気流。まるで側で誰かが機体を掴んで振り回しているようだった。機体が揺さぶられるが私はこの空域を安全に抜けるルートを検索し続ける。


 前述の通り今の私は既存のクレイドルシステムを使用していない。第四世代クレイドル――戦術情報統合管制処理システム『アダー』で機体を操作しているパイロットに外側からアクセス、支援している。


 先輩と、先輩の大好きな人の戦闘データから生まれたシステム。


 機体の制御を自分でなく誰かに委ねている状態は非常に気味が悪い。足元がおぼつかない感覚に陥るし、あの日のことを思い出す。


 冷静になれ。私はできる。身体はなまっても頭はなまっちゃいないはずだ。


 先へ進む。しっかりと、確実に。一分の油断も無く。


 己の目と機体を動かすパイロットを信じるしかない。ただ着実に、前へ。


 軌道エレベーターに空いた穴が見えてくる。天螺あまつみが空けたものだ。第一目標はあの穴からの侵入。


 閃光。視界を白が覆う。霧ではない。光だった。


 誘爆かと身構えるが衝撃はない。だが有線接続で機体外部からの映像を送っていたはずの補助機体、ウォーカーとの接続が途絶える。

 

 先程見ていた外界の景色から高度を予測。空間識失調に陥った際の落下までの時間を予測。アダーを通して前席のパイロットの焦りを感じる。まずいな、と思う。脱出レバーに手をかけ、しかしここで外に出ても命が危ういと思い離す。


 しばらくして、光が途絶えた。上には空、下には海。眼前も同じ青。身をよじり後方を確認すると、軌道エレベーターは遥か後方にあった。ウォーカーとの接続ケーブルは切断されている。


 計器を確認。正常値。機体位置を確認すると、そこは元来た進路上だった。上方に黒く丸っこい不格好な飛行体――ウォーカーが見える。先程まで機体と繋がっていたケーブルが垂れ、まるで黒い風船のようにも見えた。


「作戦失敗……ですね」


 前席のパイロットの緊張が解けた声がする。アダーとの接続解除、自動航行モードへ移行する。


「……機体ログとデータ送信完了。帰りましょう」


 第二十八次旧軌道エレベーター跡地突入作戦、失敗。


 手足のない戦闘機は自らの巣へと帰る。海上にぽっかりと浮かぶ巨大な筒。八洲軍基地へ。

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