2‐2 これを家族と言うのなら

 機体を降り、徹底的な除染作業の後パイロットと別れた頃には既に午後八時を回っていた。基地内通信用端末には司令からのメッセージがあり、明朝九時に特殊技術研究部の作戦室に出頭せよとだけ書かれてあった。


 のびをして、自分の髪がだいぶん伸びたことに気付く。三年前から伸ばしている髪は、既に腰ほどまでになっていた。


 先輩が見たら、何と言うだろうか。きっと普段と何変わりなく、小さく微笑んで当たり障りのないことを言うはずだ。除染室から五層下り、居住区画に入ってからまた三層昇る。一番右端の部屋。扉横のキーボードに暗証番号を打ち込もうとした時、


「お帰り、ノルン!」


 勢いよく扉が開き、紅い髪の少女が現れた。元気に私の名を呼ぶその少女の髪には銀色の翼の髪飾りがあり、真っ赤な両目をいっぱいに開いて私の姿を映している。細い両腕で私の腰を抱き喜びをまっすぐこちらに伝えてくる。


「リコ! 食べてる時に立ち上がらないの! ――ノルンさん、お帰りなさい」

 

 後ろから女性の声が聞こえる。


「ただいま、リコ。てる


 二人は私の同居人だった。書類上リコは私の遠縁の親戚、照は私たち二人の世話役ということになっている。


 熱烈な歓迎に少々面食らったがいつものことなのでようやく帰ってきたという気がする。照に叱られ少しむくれているリコは、なるほど頬に食べていたものがついていた。自分の頬が緩むのを感じる。


「ノルンさん、ご飯できてます。お風呂も沸いてますよ」


「ありがと。先にご飯にする。間に合ってよかった」


 お風呂は、除染作業でお腹いっぱいだった。今は物理的にお腹を満たしたい。


 3LDKの部屋。それが私たち三人に与えられたスペースだった。そのダイニングで机を囲み食事をする。ハンバーグだった。美味しそうに頬張るリコと、それをたしなめながら静かに食べる照と、割とがっつく私。


「ノルン、ほっぺについてる!」


「ん、ほんとだ」


 ティッシュで拭くと赤黒い液体が付着する。リコの頬についていたのはこのソースだったかと一人納得する。


「リコの前であんまり子どもっぽいことしないでください」


 てるの目が怖かった。


「ごめん、ごめん」


 笑う。賑やかなものだった。少し、孤児院にいた頃を思い出す。


 ベイカントとの戦いが終結して三年、ここ八洲軍基地の役割はほぼ軌道エレベーター跡地の観測施設となり、ある種の観光地のようになっている。地上ブロックの半分と内部施設の二割ほどが一般人にも開放されており、空いた兵舎に『ベイカントの活動が再開したら即時退去』という条件付きで移住してくる物好きも多い。そのお陰で基地内にも商店が増え、今食べているハンバーグのようにレーション以外の多様な食材が簡単に手に入るようになったのはありがたいことだ。


 さて、今ここに集う三人について少し解説をするべきだろう。私、ノルン・ルーヴは銀の矢作戦オペレーションシルバーアローの後、軍を書類上退役。司令が作ったベイカントと旧軌道エレベーターの研究スタッフとして、肩書をジャーナリストに変えここで生活をしている。


 向かいに座る紅い髪の少女、リコは銀の矢作戦オペレーションシルバーアローの際に天螺あまつみが連れ帰った存在だ。目を覚ますまでに徹底的に検査が行われ、わかったことは『未知の物質で作られた人と同じ機能を持つ臓器で構成された限りなく人に近い何か』であるということのみ。人型ベイカント、という見方が最有力であるが、孤児院に移すことは現実的ではないし、人と同じ人格を持つ人間として生活ができる以上その存在の権利に配慮して私が引き取った。今になって思うと先輩の忘れ形見という思いもあったのかもしれない。ちなみに名前は私がつけた。二週間迷いに迷った末、ギリシャ語で狼を表す『リュコス』をもじって『リコ』とした。


 三年にしてはやけに身体の成長が早く、人間でいう十二歳ほどとなっているがその点以外は少しやんちゃな素直で優しく可愛らしい女の子だ。大きくなれば美しい女性になるだろうが、間違っても私のタイプではない。現在は週に三度、特殊技術研究部管轄の医療チームによる身体検査を受けている。


 そしてもう一人。私たち二人の監視役である納戸のと てる。肩甲骨ああたりまでの黒髪をポニーテールにまとめている眼帯の女性。基本的に表情はむすっとしているせいでよく怒っていると誤解されるのがコンプレックスらしい。身長は百五十と少しの瘦せ型。軍のひとつ後輩で階級は中尉。軍学校を次席で卒業したファイターパイロットだったが銀の矢作戦オペレーションシルバーアローの折に撃墜され右目を負傷したらしく、新兵の教育係に移籍する予定だったが私たちの監視役として白羽の矢が立ったそうだ。


 私は知らなかったが、どうやら私をライバル視していたらしい。初対面の時は手負いの獣のような目で見られてどうなることかと思ったが、三年もともに生活すれば自然と打ち解けるもので、今はよい同居人としての関係を築いている。なおリコに対しては厳しくしつけているように見えて溺愛しており、私が仕事で出ている間はリコの世話を基本的に彼女が行っている。表情は硬いが恐らく今彼女の心は口元を緩めまくって満面の笑みを浮かべていることだろう。所謂ロリコンだった。当然、私のタイプではない。


 これが、今の私たち三人の現状だ。課題は山積している。旧軌道エレベーターやDDL、ベイカントのことは勿論、先輩のこと、リコのこと。


 先のことは何もわからない。すべてが暗闇の中だ。八洲の解体、もとい日本国への統合の話も出ている。


 でもきっと、これが家族というものなら、できる限りこの時間が続いてほしいと思うのはいけないことなのだろうか。ふと、両親のことを思い出す。あの二人も、そんなことを思っていたのだろうか。今の私を見て、先輩は何て言うだろうか。誰も、何も答えてはくれない。

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