1-1 黒翼

 7年後。二○九九年、夏。


 棺桶のような、薄暗く狭い小部屋。パイロットスーツに身を包み眠る肩までの黒髪の女性。通信を受けた無線機のビープ音がけたたましく響いている。目を覚まし応答のボタンを押すと、一瞬のノイズのあとに気の抜けた声が女性の頭に流れ込む。


『せんぱーい、未宙せんぱーい、起きてますかー』


「……ノルンか。今起きた。状況は」


 未宙と呼ばれた女性はそう返す。


『八洲空軍第七飛行戦隊より救援要請っす。戦闘準備お願いします』


「了解」


 未宙は首筋に巻かれたチョーカーのスイッチを押す。ランプが点灯。視界接続のダイアログが現れ、途端、視界が青に染まる。青い海。白と濃紺の空。彼方には旧軌道エレベーターがうっすらと見える。


 十九歳となった未宙は今、太平洋上空高度一○○○○メートル、彼女がかつて憧れた第七世代戦闘機〈セヴンス〉のコクピット内にいた。


 第七世代戦闘機〈セヴンス〉。極近接機動戦を想定され建造された、戦闘機と工業用人型機体を融合させた全長二十メートルの空飛ぶ巨人。その姿は一般的な飛行機に頭と四肢が生えたようだった。背部にある一対の大型噴射飛翔翼に搭載された大出力エンジン〈フレズヴェルク〉を主な推進力とし、機体各部に搭載された小型噴射推進器が飛行補助と自由な空の機動を可能とする。


 二十G旋回を平気で行ってくるような、かつての戦闘機では倒せない敵を倒すための兵器。その中でも彼女の機体は、各部を戦闘機動に耐えられる限界まで軽量化することで機動性能を限界まで高め、なおかつパイロットの脳と機体コンピュータを繋ぐダイレクトリンクシステム〈クレイドルシステム〉の中でも負荷が最も高く、一般機には実装を禁じられている〈クレイドル1〉を備えた特殊仕様である。その証として、八洲軍のメインカラーである白とは正反対の漆黒の外部装甲を纏っている。右肩の装甲には銀の翼のエンブレムがあしらわれていた。


 名を〈F/S-X02天螺アマツミ〉。漆黒の装甲と前進翼、そして紅のアイカメラが特徴の、八洲軍特殊技術研究部の擁する概念実証機だ。


 視界に投影された戦域情報と機体情報を確認、操縦桿を持つ手とフットペダルに置いた足から力を抜く。巨大な手足と一対の翼を持つ漆黒の巨人の心臓部で、未宙は深呼吸をする。今は彼女と先程の声の主が所属する八洲軍特殊技術研究部の兵器開発として命じられた新兵器のテストをした帰りだった。仕事終わりに舞い込む厄介事ほど面倒なことはない。しかし、未宙にとっては違った。


「ノルン、これ、使っていいのかな」


 彼女の機体の右腕には、機体と同サイズほどの長さを持つ巨大な砲身が携えられていた。未宙はその重さを右腕に感じる。多薬室超長距離狙撃ライフル。近接機動戦を主とするこの戦争の、しかもファイターパイロットにとっては道楽のような兵器である。左腕には一般機と同様の八洲制式突撃砲を握っていた。


『実証試験ってことにすればいいんじゃないっすか? 多分開発部の人たちも喜ぶんじゃないんすかね』


 声の主は気だるげにそう答える。ノルン・ルーヴ。未宙にとって軍学校入学の少し前から付き合いのある、いわば親友であり、戦友。普段は飄々としているが中々の切れ者だ。彼女の方が未宙よりも一つ年上だが、何故か彼女は未宙を頑なに先輩と呼ぶ。ちなみに未宙はもう諦めていた。


 彼女の乗機は今、未宙の機体後方の空一五○○○メートルに浮遊している。


 八洲技研所属、電子偵察・早期警戒管制機〈E/S-05 Gleipnir《グレイプニール》〉。大型のクリップドデルタ翼と大型レーダーを備え、脚部には外部接続の大出力ロケットブースターをそれぞれに搭載。現在の武装は右腕に長距離支援用の滑空砲、左腕に天螺の狙撃ライフルの照準補正用センサー。その他の武装は現在搭載されていないが、戦術航空支援と戦闘空域からの急速離脱能力に長けた機体だった。特筆すべきは機体コンピュータ。通常セヴンスは六基のコンピュータを人の脳と接続、並列稼働することで動作する。しかしこのGleipnirはそれより高性能のものを倍である十二基搭載。それら全てを天螺の監視・情報収集に使用している。


「しかし重過ぎる……疑似筋肉痛にならないといいけど……見えた」


 彼方。蒼穹に浮かぶ赤い飛行物体を目――機体のカメラ――が捉える。


 赤い外殻。扁平な形状。腹部から生えた、そこに似つかわしくない人の手。かつて空を制した戦闘機にも似た姿。そして二○七九年に人類から空を奪った、宇宙からの空虚なる使者、ベイカント。


 ファイタータイプ六、コマンダータイプ一。八洲軍第七飛行戦隊の生き残りとともに、青空に白い線を描いている。


 歌が聞こえる。ベイカントが現れるときに戦域に流れる、奴らの巣――旧軌道エレベーター――から流れる指向性通信だ。どの言語でもなく、すべての言語の特質を備えた歌だ、と研究者の誰かが言っていた。


「レーダーコンタクト。エンゲージ」


 会敵宣言。マスターアームオン。クレイドル1の正式起動ダイアログが現れ接続深度計が視界の端で点滅する。FCS起動。視界投影情報が一気に増える。機体コンピューターからダイレクトリンクした脳に機体制御権を移譲。姿勢制御を“彼女”に譲渡する。増槽を投棄し、戦域情報を確認。各種情報類を視界からオミット。ロックオンマーカーと戦域マップ以外を記憶領域に移す。


 〈クレイドル1〉。人と同じ四肢を持つ既存の操縦体系とは大きく異なり、複雑化したそれを人の意思で操作するべく開発された最初の揺籃。首筋にリードと呼ばれるコードを接続、機体に積まれた6基のコンピューターで情報と演算の処理を行い、パイロットの脳が最終意思決定を下す。脳を拡張、機体と一体化するシステムだ。これによりパイロットは機体との接続中、機体や周辺環境、友軍及び敵の戦術情報を全て『既存知識として』理解し、操縦桿もペダル類も、スイッチすら何一つ使わず、自分の体を意識して動かさないことと同じように、直感的に何の疑問もなく空を駆けることができるようになる。しかしその負荷は操縦者の脳と精神を確実に蝕んでいく、諸刃の剣だ。現在使用されている一般の機体には負荷を抑え各種処理を自動化、最適化を施した〈クレイドル3〉が実装されている。


 Gleipnirの補助センサーと機体右腕を同期。本体のシステムとともに照準誤差を修正。機体各部のバーニアと射撃タイミングを同期。環境データと照合し予測弾道を弾き出し、射撃の命令を脳が下す。狙撃銃を握る右手の武装制御コンソールから発射の命令が銃本体に伝達。発射。ここまでコンマ二秒。


 当たる。直感。疑いはなかった。15メートルの砲身内部で幾重にも加速された直径60mmの弾頭は音の壁を難なく突破。大気を破り、距離を消し飛ばし、最短距離で今まさに八洲軍のセヴンスを屠ろうとしたベイカントを貫く。爆散。DDLの紫の光が輝く。


『残り五機』


「こちら八洲軍特殊技術研究部所属、未宙中尉、ノルン・ルーヴ大尉。これより救援行動に移る。至急現空域より離脱、帰投されたし。繰り返す――」


『救援か! ってったったの二機じゃ――』


 第二射。第七飛行戦隊の生き残りの声をかき消す轟音。一拍おいてベイカントが爆ぜる。敵機接近。被照準。ビープ音が脳に響く。ヘッドオン。出力最大。エンジンが唸る。


 敵機を目視で確認。その後方にもう一機いる。前方の機はおとりだ。交差。接触の数瞬前にロールし回避。姿勢を立て直しながら後方の敵機に照準を合わせ、第三射。砲身が黒煙を吹く。敵機も同時に弾丸を放つ。天螺は第三射の直後に背部噴射飛翔翼を畳み大腿のバーニアを噴かす。慣性を捩じ伏せその場で回転。それと同時に第三射が命中。敵の弾丸は虚空を貫く。


『残り四』


 そのまま再び翼を展開し急加速。パワーダイブ。先程交差した機を追う。視界に右腕武装損壊のダイアログ。パージを選択。右腕との固定ボルトが爆ぜ、巨大な多薬室砲が分解されていく。そして中からは左腕と同型の突撃砲が姿を現した。


「テスト含め七射が限界か」


『まああんな馬鹿げた火薬量なら仕方ないっすよ』


 八洲空軍制式の突撃砲の外装としてパーツを取り付け、射撃管制システムとリンクすることで戦域到達前に敵機を撃墜、交戦時の負荷を減らすという名目で設計されたものとしては、些かコストがかかりすぎではないだろうか、と思いつつ、未宙は再び思考を敵機に向ける。


 敵機を追う天螺あまつみ。空と海が目まぐるしく回転する。敵機が手からミサイルを放す。その手は奇妙なことに機体内部に吸い込まれ、消えた。同時にズーム上昇。天螺も追う。下方から迫るミサイルを突撃砲の掃射で破壊。両腕を上げ再び狙う。後方から別の機体が接近。接近警報が鳴るより先に――未宙が認識するより先に――天螺は旋回。RDY GUN。弾をばら撒く。弾薬の減少を感覚として把握できる。撃墜。陽光を受けきらめく漆黒の巨人は旋回しながらなおも上昇。大型の前進翼が白線を蒼穹に刻む。


『残り三』


 追っていた敵機を撃墜。右腕の突撃砲の弾薬が尽きる。兵器試験中だったため予備マガジンは搭載していなかった。投棄。


『残り二。ベイカント、コマンダータイプが戦線離脱を開始。確実に落としてください』


 急旋回。急降下。エンジン吸気量が増大。内部温度が跳ね上がる。降下による加速で最後のファイタータイプに接近、撃破。左腕突撃砲も弾薬が尽きる。残るはコマンダー一機。しかし、ここで引くことはできない。ベイカントは進化する。戦闘情報やどこかで収集してきた生物や兵器から自らを作りかえてゆく。今こうして誘導兵器を使用できず、近接格闘戦を強いられているのも彼らの進化により信管が彼らを感知できなくなったためだ。そしてあの不気味な手。まるで人になろうとしているかのような――そこまで考えて未宙はその思考を破棄する。今は、奴を落とさなければならない。


 右前腕に搭載されたナイフシースを展開、逆手で保持。高周波振動刃に火薬を詰め込んだセヴンス用のナイフだ。アフターバーナー起動。離脱を始める敵機を追う。

 重力加速度をDDLと呼ばれる新物質で遮断することにより実現した自由な機動、四肢と可動翼を用いることで可能となった戦術の幅広い選択と攻撃可能範囲の拡張。そしてそれらを直感的に操作することを可能とするクレイドルシステム。これらが誘導兵器が意味を成さないこの戦場において、〈セヴンス〉が第七世代戦闘機として採用された所以である。


 弾薬の雨を掻い潜り記録媒体とされる敵機の目を狙う。接近。衝突警報。同時に未宙は、手にあたたかさを感じた。


 右腕を振り上げ、振り下ろす。切っ先がベイカント・コマンダータイプの目に触れる。オレンジの火花が散る。押し込む。刃が通り始める。紫の液体、DDLが鮮血のごとく噴出する。刃が敵機内部に完全に埋まる。起爆の命令が機体右手のコンソールからナイフに伝わる。三カウント。手を放し脚部バーニアも用いて急速離脱。爆破。

 レーダー上から敵機の消滅を確認。空域離脱。帰投コースに入る。


『状況終了。お疲れ様っす、先輩』


「お疲れ様、ノルン。ミッションコンプリート、RTB」


 クレイドルシステムを待機状態に移行。操縦をオートパイロットに移譲する。


『私は休眠状態に入りますけど、先輩はどうしますか? もう眠くて眠くて……』


 あくび混じりの通信。無理もない。負荷を大幅に抑えたクレイドル3を実装しているとはいえ十二基のコンピュータによる情報処理を常に行ってきたのだ。脳の疲労は相当なものだろう。


「あたしはもう少し起きてるよ。おやすみ、ノルン」


『そんなこと言っていつも基地まで起きっぱなしじゃないっすか……って言っても聞かないか。おやすみなさい』


 通信が途絶える。システム側からの休眠信号を受けて眠ったのだろう。


 戦域情報を確認する。八洲空軍第七飛行戦隊、出撃六、残存数二。四人のパイロットが死んだ。ベイカントの手によって。しかしそんなことは未宙にとってどうでもよかった。


 死者は蘇らない。死ねば終わる。二〇九九年の戦場でも、その道理が覆ることはなかった。ただひとつの例外を除いて。


 未宙が駆るこの機体、天螺あまつみはスペック上他より少し性能が高く、高性能な電算システムを搭載しているだけのいわば普通のセヴンスだ。それが何故特殊技術研究部に所属し、この一機を監視、情報収集するためだけの高性能電子偵察兼早期警戒管制機が随伴しているのか。


 天螺あまつみにはもう一つの特殊機能が実装されている。八洲軍特殊技術研究部が研究しているのは、機体が持つ直接敵を倒す兵器だけではなかった。


『お疲れ様、未宙』


 甘い、透き通った声が響く。彼女の視界にそれは現れる。青い瞳、白い髪、そこに輝く翼の髪飾り。


 未宙には見えている。未宙は感じている。


 ずっと守ると決めたもの。ずっと傍にいると誓ったもの。


 未宙は機体のシステムを通して見ていた。空を。海を。鋼鉄の自分の体を。そして、クレイドルに宿るその少女を。


「ああ、お疲れ様――リザ」


 リザと呼ばれた少女が、未宙に寄り添う。触れる感覚は、なかった。


 クレイドル1に宿った死者の疑似人格――リザ・オルロ――とパイロット。二つの意識による機体制御及び戦闘データの収集。これが未宙とノルン・ルーヴに課せられた任務であった。


「今日は、何を話そうか」

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